サラ
地下室から急いで逃げると、ティートとアリスは暗い廊下から玄関に向かい、館の外へと出た。
夜空に青い月が浮き、闇夜に浮かぶ雲を青く照らし出す。
「────?」
街の様子がおかしい。
遠くから何か聞こえてくる。
「祭り……? いや、これは──悲鳴⁉」
街から聞こえてくる甲高い叫び声や低いうなり声。
「まさか、街にもさっきみたいな化け物が──?」
街の中で爆発が起こった。
だれかが攻撃魔法を使用したのだ。
街にいた兵士や冒険者たちも戦っているらしく、怒号に似たわめき声が響いてくる。
「大変だ……!」
ティートは街の様子を感じ取って震え上がった。
──少年は街の方々から聞こえてくる声に気を取られ、気づかなかった。
アリスが冷たい目を街に向けていることに……
少年は少女の手を引いて、建物のかげに隠れながら、ある場所へ向かっていた。──メビル婦人の娼館に。
念のため婦人に伝えておこうと考えたのだ。
自分たちが地下室に行ったときにはブロッソン伯爵が死んでいたこと。そして、不死者となって蘇ったことを。
もしかしたら婦人は自分たちに協力し、街を去る手助けをしてくれるかもしれない。少年はそんなふうに甘い期待を抱いていた。
大通りは大混乱だった。
兵士たちが列をなし、暴漢たちを剣や槍で斬ったり、突いたりしているのが見える。
その暴漢とは、死んで蘇ったものたちなのだが。
「こわい……」
アリスは震えている。
怖いのはティートも同じだった。
「婦人のところまでもうすぐだ。がんばろう」
少年はそう少女に声をかけ、なんとか裏通りを通って、娼館の裏手にまでやって来たのだ。
幸いだれにみ見つからず、裏口から館の中へ入ることができた。
娼館の中は暗かった。
いつもはもう少し燭台がかけられ、明かりが点されているはずだが。
少年は不気味さを感じながら、慎重に廊下を進む。
婦人の部屋の前まで来たが、護衛が立っていない。
ドアを開けて部屋の中を覗いたが、そこにはだれもいなかったのである。
婦人は逃げたのだろうか。街にあふれた不死者の存在に気がついて。
少年は部屋から出ると、調理場に戻って裏口から娼館を出ようと考えた。
暗い廊下を歩いていると、前からだれかが歩いて来るのが見えた。
とす……とす。
小さな足音が二人に近づいて来る。
「だれ……ですか」
角灯を高く持ち上げ、相手を照らし出そうとすると、歩いて来るのがサラだと気づいた。
だが────
サラは首から出血し、真っ赤な薄手の羽織を着ていた。
白い薄布を紅く染めたのは、彼女の鮮血だった。
「ぁ……、ぁああァア……!」
裸足の彼女は、いまだ首から真っ赤なしずくを流し、二人に手を伸ばして歩み寄って来る。
まるで助けを求めるみたいに。
「こ、こないで──」
少年の声は震えていた。
サラが、死から蘇った化け物になっているのは明らかだった。
「ぅううゥぅぁあぁァアぁ……!」
しゃがれた声をのど元から響かせるサラ。
生前の面影はまるでない。
苦痛から解放されたくて救いを求めるように、少年と少女にすがろうとしているみたいに。
化け物と化したサラが飢えた獣みたいによだれを口から垂らし、二人に歩み寄る。
ティートは抵抗できなかった。
立ちすくみ、逃げることも考えられなくなっていた。
目の前にいる女性が、あの人目を引く、ほがらかな娼婦のサラだとは認めたくない。そんなふうに首を横に何度も振っている。──まるでいやいやをする子供のように。
すると少年の横から小さな影が飛び出した。
すばやく動く影が不死者のサラにぶつかると、サラだったものは、横向きにぐったりと崩れ落ちたのである。
小さな影はアリスだった。
少女の手には奇妙な短刀がにぎられ、それでサラの心臓を突いたのだ。
だがその短刀は、ティートにはよく見えなかった。ずっと倒れ込んだサラの姿を見ていたから。
不死者のはずのサラは床に倒れたまま動かない。──すでに止まっていたであろう心臓に受けた攻撃で、彼女は二度目の死を迎えたようだ……
「しっかりしなさい」
アリスが言ったが、それはいままで聞いた少女の声とは違っていた。
「何をぼんやりとしている。おまえはこの子をつれて、街を出るのではなかったのですか」
詰問するような口調。
少女は短刀についた血を払うと、壁に赤いシミを飛び散らせる。
「きっ、きみは……!」
だれだ? そう問おうとしたティート。
しかし言葉のつづきを口にする暇はなかった。
アリスの背後のドアが開き、男が現れたのだ。
その男は娼館の客だった。
そいつは上半身裸で、口元を真っ赤にして、胸元までを血に染めている。
腕には複数の刺し傷らしいものがあった。
だれかが抵抗し、男を小さな刃物で傷つけたのだろう。──それでは死者は止められなかったようだが。
「に、にげよう!」
少年はアリスに言った。
アリスは短刀を手にしたまま、じっと彼をにらんでいる。
背後から少女に迫る不死者。
ティートは少女をかばおうと、アリスの手を引いて抱き寄せる。
すると──不死者は彼らには目もくれず、横を通り過ぎて廊下を歩いて行ってしまった。
まるで二人のことが見えていないかのように。
「な、なんだ……?」
少年にはわけがわからない。
ともかく彼は厨房のドアを開けると、裏口から館を出て行くことを選んだのである。
なぜティートたちは襲われなかったか。
そのあたりも意味があります。
苦痛から解放されたくて~のあとに文章を追加。
もう少し不気味な感じを演出する表現を入れたい気も。