急変
ここからティートたちのアーヴィスベル脱出への行動がはじまる。
二人は無事に街を脱出できるのか……
だれかが体を揺すっている。
かなりあわてた様子で、少年の体は激しく横に揺らされていた。
「おきて、おきて」
アリスの声が聞こえ、少年はなんとか意識を取り戻した。
「首が──いたい……」
暗闇の中に明かりがぽつんと、床に置かれた角灯の中にある小さな灯火が周囲を照らしている。
なんとも頼りない、小さな明かりだ。
「はやく、はやく」
そばにしゃがんでいる少女を見ると、その白い礼服が真っ赤に染まっていた。
「それ……!」
ティートは一気に目が覚めた。
暗闇の中にある少女が不気味に見える。
(まさか、だれかを傷つけてしまったのか)
少年はそう考えた。
「その服……だれの血?」
少女に尋ねると、アリスは首を横に振った。
「わからないの。気づいたら、まわりの人の様子が……、だめ! 逃げないと……!」
彼女はそう言って小声になった。
何が起きたのだろう? 少女の様子は見ていて不安になるほど混乱している。
ティートは角灯を手にすると、暗い部屋から出るために行動する。
どうやらどこかの部屋に閉じ込められていたようだ。
部屋のドアは鍵がかけられるようになっていた。狭い部屋の中には何も無い。
鍵が開いているのは、アリスが開けたからだろう。
廊下に出るとそこは薄暗く、明かりはほとんどついていない。
壁にかけられた燭台の火の多くは消え、ティートは自分が長いあいだ眠っていたことに気づいた。
「いまは……真夜中みたいだね」
振り返って室内にある格子のある窓を見る。
そこには青白い月の光が、夜をうっすらと照らしているのが見えた。
アリスは少年の手をにぎり、怯えた表情でついて来る。
二人がいるのは一階の廊下だった。
角灯を手に階段のそばを通ると、地下へつづく鉄の扉は開きっぱなしになっていた。
一刻も早くこの館から逃げ出さなければ、ティートはそう思っていたが、心の中に、地下室はどうなっているのかを確認したい、という気持ちが浮かんでくる。
「ど、どこへ行くの」
「地下室、あそこにあったものがどうなったのか、見に行く」
「あぶない、あぶないよ」
「あぶない?」
少年はアリスに手を引かれたが、どうしても地下の様子が気になったらしい。
「大丈夫、ここで待ってて」
そう言って少女を廊下に置いて行こうとしたが、アリスはティートと一緒に、地下へ向かう階段を下りて行くことにしたようだ。
暗闇に包まれた階段を下りて行き、地下室の奥にある扉から、さらに先にある魔法陣が描かれた部屋に向かう。
──金属の扉は少しだけ開いていた。
扉を開けて儀式の間にあしを踏み入れると、そこには数人の人間が倒れていた。
彼らは黒い法衣を身に着け、頭をおおう頭巾をかぶっている。
魔術師が集まって、なんらかの儀式をおこなおうとしたのだ。
「……?」
耳を澄ますと、しんと静まり返った場所に──何か音が響いている。
しゃりしゃり、ぐちゃぐちゃ、がふがふ……
そんな音が聞こえてきて、少年は手にした角灯をかかげ、音のするほうを調べようとした。
すると床にうずくまっている人の背中が見えた。
明かりのない場所で何をしているのだろうと不思議に思いながら少年は、その大柄な背中を見て、相手がブロッソン伯爵なのだと気がついた。
伯爵は一心不乱に何かを食べていた。
少年は伯爵が危険な人物であるとわかっていはいたが、相手の異変を感じ取ると、その理由を知りたいと考え、ゆっくりとそばに近寄る。
「伯爵……こんな場所で何を……」
角灯の明かりで照らしながら伯爵の横に回り込もうとすると、そのわき腹が真っ赤に染まっていた。
くるりと少年のほうを向いた伯爵は顔面蒼白で、血走った目。口元は真っ赤に濡れている。──血だ。あごを伝った血が床に落ちていく。
伯爵の前には倒れた侍女の姿が。
胸元をえぐられた侍女は血の海に横たわっている。
ブロッソン伯爵は侍女の体を手でえぐり、内臓を食っていたのだ。
「うっ、……ぇ」
吐き気をこらえて一歩下がると、アリスがぎゅうっとティートの手をにぎり、彼の腕をひっぱる。
暗闇を照らす角灯が揺れ、伯爵の周囲にいた数人が立ち上がるのが見えた。
彼らは死人だった。
ゆらりと立ち上がったものたちは胸や首から出血し、それらは刃物の一撃を受けているのだと思われた。
「うおぉあァあァアぁ……!」
死人が声を上げて二人に襲いかかろうとする。
ブロッソン伯爵だったものも立ち上がり、少年のほうに腕を伸ばしてつかみかかろうとする。
少年はアリスの手を引いて、暗闇から駆け出した。
はやく、一刻も早くこの館から逃げ出さなくては──!
恐怖よりも先に。
この儀式の場で起きたことを探るよりも先に、彼の決意は固まった。
(逃げるんだ!)
ティートは心の中で強く叫んだ。