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ブロッソン伯爵邸

 ついにアリスがブロッソン伯爵邸に出向くことになった。

 それと同時にティートも伯爵の館に向かい、夕食を作ることになっていた。

「それではよろしくね」

 メビル婦人はそう言って、いままでの働きぶりに対する報酬を支払い、彼を送り出した。

 冬が迫る、寒空に沈む街に。


 石畳の道に馬車が止まり、ティートとアリスの二人が乗せられた。

 貴族の用意した馬車が、銀色に輝く月の光の下を走り出す。

 薄暗い街の中を。

 ティートは破滅の中に飛び込むような気持ちで窓の外を見ていた。

 娼館での強制労働から解放されたというのに、まるで開放感を感じない。

 横に座る少女の表情は固く、いつか来るであろうと聞かされていた事柄が現実になり、不安からか、アリスは少年の手をぎゅっと、力を込めてにぎってくるのだった。


「だいじょうぶだよ」


 少年はそう言ったが──嘘だった。

 大丈夫なわけがない、そう思っていた。

 少女の身なりはじつに美しく、髪型も整えられて、青玉サファイア色の瞳があらわになっている。

 純白の礼装ドレスに小さな銀の腕輪を付け、少女の清純な美しさをきわ立たせていた。


 ティートは少女の小さな手をにぎり返し、これからのことを考えて──気持ちの中だけでも冷静にいようと覚悟をして、二人の食事についての献立を頭の中で復唱する。




 そうこうしているうちに、馬車は大きな館のある敷地に入って行った。

 なんとも豪奢な造りの建物に、暗鬱あんうつとした気持ちになる少年と少女。

 この建物の地下室に、もし……

 少年は強く目を閉じて、心の中でつぶやき、自分に言い聞かせた。


(逃げるときは全力で逃げるんだ。たとえこの街の外でも追われる身になったとしても)


 この街の、邪悪な街の、恐ろしい魔の手から逃げるんだ。

 少年はそんなふうに考え、いま目の前にある館こそが、この街の邪悪の根城であるかのように感じて、身震いするのであった。



 ティートとアリスは執事によって迎え入れられた。

 大きな扉が開かれた先にある玄関は、まるで舞踏会場のように広く、二人はあっけにとられてしまう。

 執事が言うにはブロッソン伯爵は執務があるらしく、夕食までには仕事をかたづけるという説明だった。

 こうしてアリスは別の部屋につれて行かれ、ティートは厨房に案内された。



 そこは広く、設備の整った調理場と、食料貯蔵庫につながるドアがある。その部屋にはさらに地下室へつづくドアがあり、そのドアを開けて地下室へ行くと、そこは酒蔵になっていた。

「こちらの酒類はご自由にお使いください」

 品のよい執事はそう告げて階段を上がり、厨房を去って行く。

 用意された食材を調理場に持って行き、それぞれの素材に下ごしらえをしておくティート。

 いつでも調理に入れるようにし、時間のかかる煮込み料理などはすでに調理をはじめておく。


(よし、少し館の中を探ってみよう)


 料理のしこみを終えたあと、少年は厨房を離れ地下室への入り口を探しに行く。

 赤い絨毯じゅうたんの敷かれた廊下を歩き、階段へと向かうと、やはり二階へ向かう階段の横に空間があり、そこには鉄の扉が取りつけられていた。

 幸い周囲にはだれもいないので、そのドアを開けようかと考えていると、階段の上から人が降りて来る足音がして、彼は気づかれないように静かに厨房に戻る。


 おそらくあれが地下への入り口だろう。ティートは鉄の扉に異様な雰囲気を感じ、持って来た荷物の中から小さな角灯ランタンを取り出す。あ地下へ向かうときの明かりを用意すると、再び調理に取りかかった。


 それほど間を置かずに侍女をつれた執事がやって来て、彼女らと共に料理を食堂へ運ぶよう言われ、彼は黙ってうなずく。

 緊張と、胸の奥がむかつくような不安から、声が出しにくくなっていた。

 そばに控えている侍女たちはそわそわしながら、料理ができあがるのを待っている。

 若い料理人が来るのは聞かされていた侍女たちは、厨房に立ちこめる、嗅いだことのない美味しそうな匂いに、立ちくらみに似た感覚すら覚えていた。

 ティートは彼女らには目もくれず、集中して調理に入り、すみやかに前菜の皿を侍女に手渡すと、二人分の料理を運ばせた。




 ブロッソン伯爵とアリスの二人が食堂で夕食を食べている。

 二人は特に会話するわけでもなく、離れた位置関係でそれぞれが黙々と料理を口に運んでいた。

 伯爵は料理と葡萄酒ワインを。

 アリスは料理と紅茶を口にして。

 まるで伯爵は、少女のことを気にもしていない様子だ。


 少女はその着飾った衣装に、高価そうな椅子と大きなテーブル。美しい白地のテーブルかけなどに緊張しており、料理を味わう気分ではなかった。

 臆病なアリスは一刻も早くこの場から逃げ出したい気持ちになっていたが、それが許されないのは理解していた。

 少女はこの館で、おそらく一生を終えるのだと考え──不安に泣き出しそうになる。

 まだ十三歳のアリスには受け入れがたい現実だ。


 奴隷として売られ、故郷に戻ることなどできないと知った夜から、彼女の心はいつしか、ゆっくりと、大地に深い傷跡を刻む氷河の流れのように、冷たい死の予感に魂を削られてしまった。

 いままさに少女の心は、重圧に押しつぶされる一歩手前にいた。──美味しい料理の味すら感じられなくなるほどに。

 その不安と恐怖は絶望を生み、少女の中にある心の扉が閉ざされ──その代わりに、絶望の扉から破滅が音もなく現れ出ようとしているのだった。

伯爵邸にやって来たティートとアリス。

いよいよ次話から急展開への火蓋が切られ、ティートたちの運命の歯車が動き出す。

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