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賢人の警告

「この街には、危険な妖術の匂いを感じる」

 と、賢人は告げた。──彼にはまるで周囲のあらゆる呪術的効力が可視化されている、とでも言うみたいに。

「それはどういう……」

「あなたも耳にしたはず。──禁制品の短刀の効力とやらを。……私にはそれが、そこで話されていたような物ではないと感じるのだ。勘にすぎないが」

 賢人は真剣な口調だ。

 あごに手を当てると、何か考えごとをするみたいに黙りこくる。


「地下に気をつけよ」

 唐突に賢人が言った。

「地下?」

「私の勘が正しければアルテリスを欲している伯爵は、危険な妖術に手を染めようとしているはずだ。──あなたも伯爵の邸宅に行くのであろう? ならば地下室を調べ、なんらかの妖術の儀式をり行う場所があれば、アルテリスをつれて逃げてくれ──この街から」

 そう言われてティートはごくりとつばを飲む。

 彼の話す言葉には力があり、その彼の予感には、言いようのない真実が伝わってくるのだった。


「しかし、なんでそんなことがわかるのですか」

「妖術とは──この世のことわり埒外らちがいの力を操ろうとするもの。その力の波は、見えずとも感じられるものだ。運命の歯車をきしませる、錆びついた音が聞こえてくるかのように」

「禁制品の短刀に秘密があると?」

「おそらくその短刀は────」


 そこまで言うとアリスの上体がぐらりと揺れた。めまいを起こしたみたいに見えたが、そうではないらしい。


「むぅ、──ん……どうやら私は、ここまでのよう、……だ。すまないな──だから、気をつけよ。伯爵、そして──メビル婦人にも……気を許す、な──」



 賢人の声が小さくなると同時に、少女の体がテーブルの上に沈み込むように倒れてゆく。

 がっくりとうなだれた頭が胸の前で止まると、しばらくしてその頭が起き上がった。

 金髪の長い髪が揺れ、少女が目を覚ます。


「あ、あれ……? わたし──」

 それは──臆病なアリス。

「わたしまた──気を失って……?」

「ああ」

 食事はもういいか? そう彼が尋ねると、少女はおなかに手を当てて「はい」とだけ言った。

 少女は椅子から立ち上がり、ぺこりと頭を下げると、部屋から逃げるみたいに食堂を出て行く。

 そんな少女の後ろ姿を見ながら少年は、先ほどの会話を思い出す。


 賢人はいくつもの警告と、アリスの過去についても説明してくれた。

 北方人の少女は、奴隷商の奴隷狩りによって大陸につれて来られたのだと。

 過酷な北の大地。そこで暮らしていた少女が、どんな思いをしたら人格を分裂させるほどの精神的な傷を負うのか。ティートはそのように考え、いきどおりに拳を固くにぎりしめる。


 伯爵はなんらかの妖術──魔術的儀式をおこない、アリスをその儀式に利用するつもりでいるのだろうか。賢人はそのように考えているようだったが。



『地下に気をつけよ』



 その言葉を胸に刻み、伯爵の館に向かう決心をする少年。もし邪悪な儀式の場を発見したら、アリスをつれて逃げるよう言っていた。

 ティートにはどこまでそのように振る舞えるかはわからない。伯爵の館から逃げ出すことなどできるかどうか。──だが、やらなければならないかもしれない。

 いざというときは魔導具を使って──多少強引にでも、狂気にむしばまれた街を抜け出さなければ。


 メビル婦人が信用ならないのは彼女の発言でもわかっていた。契約という意味では彼女は約束事を守るだろう。しかし、まさにその契約を大切にするがゆえに、彼女はおのれの利益を軽んじない。

 娼館の女主人はすでに取り引きを済ませ、アリスを売り払ってしまったらしい。

 アリスを高く買い取ったであろう伯爵が、少女を何に利用するつもりなのか。

 ブロッソン伯爵には、少女に対する歪んだ欲望があるわけではなさそうだ。もともと伯爵はどちらかというと男色家であるからだ。


 だからこそメビル婦人は、伯爵がいったい何に少女を使うつもりなのかと疑いの目を向けたのだった。

 しかも例の禁制品が手に入ったとたん、奴隷の少女が欲しいと言い出すなんて。

 まさか、アリスを……

 メビル婦人はその不吉な予感を振り払い、もう手放すことになった奴隷について思い悩むのをやめてしまっていた。




 ティートは夕食のしたくをしながら、いろいろな覚悟を決めなければならなかった。

 この街から逃げ出さなければ、いずれは呪縛のように、病のように──この街の毒に侵されて取り込まれてしまう。少年はそんな暗鬱あんうつとした気持ちにさせられていた。

「逃げ出さないと」

 少年の心には、そうした決意が固まりはじめていた。

 どうしてもティートはアリスを見捨てられそうになかった。出会ったばかりの不遇の少女にどうしてそこまで強い想いを抱くのだろう? 彼は自分の気持ちに向き合っても、明確な答えは得られそうになかった。


 まるで何者かに意思を操られているかのようだが、彼には何ひとつそのようには感じられていないらしい。

 ただ焦燥感しょうそうかんが心の底からじわじわとわき上がってきて、彼の感情と心をかき乱すのであった。


 賢人の言葉は、運命の呼び声を思わせる力があった。その言葉は少年の中でくすぶる石炭の火にも似て、空気を求めて静かな口火をはらみ、いつでも強く燃え盛ろうとするみたいに、火を心の奥深くにため込んでいた。

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