依頼
何故、どうして、こうなってしまったのか。一瞬の出来事で自分自身でさえも分からなくなっていた。分からなくなっていた、では語弊があるだろう。分からないままの咄嗟の行動だったのだから。
真っ逆さまに地面へと落ちていく最中、まるで時間が止まったかのように、頭の中で様々な思い出や思考が駆け巡る。生まれて初めて見る上下が逆になった夜景を眺めながら、やはり走馬灯というものはあるのだな、と実感した。
仮に、なんとか、どうにかして地面への着地が成功し、無事に生還を果たしたとしたら、走馬灯は本当にあるのだという話のネタが一つ出来上がるだろう。
もっともそんな話が出来る人なんて、片手で数えられるほどの数しかいないのだが、いつも相槌やオウム返しで成立させている会話にも、少しの彩りを添えると考えるとあながち悪くないようにも思えた。
なんていう風に、あれこれと色々考えても、結局それも全て生きて帰ればの話になってしまうのだが。
「あんた何考えてるの!? し、信じられない!」
隣で共に絶賛落下中の魔法少女が早口で捲し立てる。その姿はイメージしてきた、そして憧れた魔法少女とは遠くかけ離れた見た目をしているが、自ら魔法少女と名乗るのだから、彼女もまた魔法少女なのだろう。
自らを魔法少女と名乗ったその少女は、まるで映画の中で観た外国の特殊部隊そのもの。そして一際目を引くその両の手は、片手で私の体を覆うように掴めるであろう巨大なサイズ。機械仕立てのその巨大な手は、見ているだけで今にもオイルの匂いがしてきそうだった。
魔法少女兵団『鉄血の乙女』
彼女の所属する兵団の名に恥じぬその姿。兵と武器を表す出で立ちの彼女が、魔獣を一撃の元一掃するその姿はそれは見事なものだった。
しかし何故、そんな彼女と、この街で一番高い建物の屋上から一緒に落下してるのか。
自分自身の気持ちは、依然として分からないままなのだが、その理由を話すには、少しだけ時が遡ることになる。
◇
「あ、そうそう。教室が一室ズタボロになっていたって小耳に挟んだんだけど。あれは莉々ちゃん達の仕業ってことで間違いはないかな?」
「聞いちゃいました? 実はそうなんですよね」
まるで自分が教室を破壊したかのように振る舞う薺ちゃんの言い回しは「罰を与えるなら、私にも」と、そう遠回しに言っているようにも感じた。
「違うの! あれは薺ちゃんは関係無くて。なんなら救護室だって、訓練場だって私が」
そう、私が原因なのだ。教室の破壊はステッキの威力を知らなかったとはいえ、救護室や訓練場の破壊は、予期せぬ魔獣の襲来が原因とはいえ。
責任感の強い薺ちゃんが庇ってくれている事は一目瞭然なのだが、彼女がいわれのない罪を背負う必要は全くないのだ。
恩人に罪を被せるなんてそんな薄情な事は出来ないし、何よりその内に呆れられてしまうのではないかという思いの方が、私にとっては罰を受ける事よりも遥かに重い事実である。
なので私は食い気味に、薺ちゃんにこれ以上話をさせないように、シェイムリルファに訴えかける。
「私が壊したの。薺ちゃんは関係ないよ」
「ああ、違くてね。わたしが潜ませたステッキが原因って事だよね。ごめんね、驚いたでしょ」
「……正直驚いた、けど。でもステッキが無かったら」
ステッキが無かったら恐らくは、口に出すのがはばかれる結果になっていた事は間違いないだろう。私の思惑を知ってか知らずかシェイムリルファはこう続けた。
「別にね、だからどうこうするって訳じゃあないんだよ。ただね、お願いをされたんだ。二つね」
「お願い?」
「そう、お願い。条件と言い換えてもいい」
「それって、救護室や運動場の破壊を不問にする代わりの条件、てこと?」
シェイムリルファは「正解。察しがいいね」と薺ちゃんの頭を優しく撫でた。薺ちゃんは彼女を超える魔法少女になると話していたが、こうして見るとシェイムリルファに憧れる幾多数多の少女と何ら変わらないように見えた。
実際の所、薺ちゃんは頭を撫でられてとても嬉しそうにしているし、もっとシェイムリルファと話をしたい様子が、鈍い私にもありありと伝わってくる。
「まずは一つ目。この救護室で起こった事をきちんと報告する事。包み隠さずね」
確かにごもっともな事だ。人が、魔法少女が一人死んでいるのだ。必ずしなくてはならない事だろう。シェイムリルファは逃げると言ったが、そう考えると裏の世界で現場に留まっていた事は正解だった。
「そして二つ目。魔法少女は知っての通り、全然人数が足りてなくてね。ある施設から何度か依頼が届いてるらしいんだ。それを一つ片付けてほしいって」
「その条件をこなせば」
「そ、施設の破壊は不問。本来なら修繕費を支払ってもらう所をチャラにしてくれるって」
「条件を指定された日はいつですか?」
今度は薺ちゃんが食い気味に質問した。きっと魔法少女として、早く初依頼をこなしたいのだろう。興奮した様子はまるで出走前の競走馬のようだ。
「今晩、この街の一番高いビルの屋上。夜な夜な現れる魔獣の討伐依頼」
「こ、今晩!?」
「いいじゃん、いいじゃん! 行こうよ、莉々!」
やる気十分の薺ちゃんは、きっと一人でも現場に向かってしまうだろう。
私はというと正直な話、怖かった。数時間前に警戒度の高い魔獣を目の前にして、改めてその危険を肌で感じ、魔法少女になる事よりも恐怖が勝ってしまっているのだ。
しかし、この依頼は私が破壊した教室を不問にすると条件をつけられた依頼。
「怖いから今晩は無理です」なんて断れる依頼ではないのだ。ましてや薺ちゃんを一人で向かわせるなんて以ての他。
「……そうだね。うん、行こう」
「決まりかな? じゃあ後で現地集合ってことで。時間はまた伝えるね」
こうして初めて、魔法少女の依頼が突如として舞い込み、初めての魔獣討伐を急遽行うことになったのだ。(実際には昨晩、自分の意思とは無関係に討伐をしているのだが)
本来の私ならこの時点で、恐怖と不安が私の精神を蝕み、自律神経は乱れに乱れ、手汗が大変な事になってしまいそうなものだが、よくよく考えて見ると今度はシェイムリルファが同行するという事に気づく。最強の魔法少女が、共に。
先刻、目の前で見せつけられた魔獣の討伐。もっともシェイムリルファにとって、あれは討伐ではなく、クッション代わりに踏みつけただけの事だったらしいが、だとしてもだし、それにしても、あのレベルの魔獣を一瞬で葬り去ったのだ。
意外にも、簡単に、あっさりと依頼をこなせてしまうかもしれない。実際、こなせてしまうだろう。小慣れた様子で、確実に、完璧に。
そう考えると少し気持ちも楽になり、むしろ初めての依頼に少し心が躍る気分にもなってくる。
今思えば、こういう単純な所が、あっさりとシェイムリルファの代役という大役を引き受けてしまう結果に結びついているのだろうけど、それに気づかないからこその私、なのだろう。
ともかくそう考えると、薺ちゃんがいとも簡単に依頼を引き受けた事も案外頷けた。
シェイムリルファ自ら、魔法少女としての手解きをしてくれるのだ。こんなに贅沢な事はない。聞く人が聞けばハンカチを噛んで悔しがるに違いない。
彼女の手解きは、これから魔法少女としてやっていく上で、これ以上ないお手本となりうるだろう。
いやはや、単純なものである。もはや、私も目の前に人参をぶら下げられた競走馬だ。私の気持ちも薺ちゃんと同じくやる気十分になっていた。
「ごめんね、わたし急用が出来ちゃったの。ダーリンが離してくれなくてさ! え、大丈夫だよ。そこまで危険な魔獣じゃないからさ。いい報告を待ってるね」
そんな陽気なシェイムリルファの声を、電話越しに聞くまでは。