対峙
「終わった? シェイムリルファ……なんだって?」
「……はは、なんか急用が出来たって」
流石に実の兄、がシェイムリルファを引き留めたと薺ちゃんに伝える事が出来なかった。
それにしても、それにしてもだ。妹とその友達が初めて魔法少女として魔獣を討伐するというのに、一体あの兄、は何を考えているのだろうか。まさかこんか風に、しかもこのタイミングで新婚のイチャイチャを突きつけられるとは。
嘘が下手くそな私はなるべく表情を崩さないように答えたが、やはり出てしまう苦笑い。その反応を見た薺ちゃんがどう思ったのかは分かりかねるが、まあ、勘が良く、察しの良い薺ちゃんなら、何となくは何があったかは気づいている事だろう。
「て事は、私達だけで魔獣を?」
「うん。一応大した事はない魔獣だから大丈夫、とは言ってたけど」
言っていた。確かに言ってはいたのだが、つい先程まで私達は、げにも恐ろしい魔獣と相対し、すんでところで目も当てられない大惨事になる状況に追い込まれていた。
またあのレベルの魔獣が現れたら、それこそ魔法少女としてのはじめての依頼は失敗に終わり、最悪命の危険に晒されるかもしれない。それこそ救護室での、あの魔法少女のように。
シェイムリルファがいるならばと、どこか楽観視していた呑気な気持ちは見事に吹き飛び、一気に戸惑いと不安に襲われた。一方で、薺ちゃんは、顔色一つ変える様子は無い。
「そうなんだ。じゃあ平気なんだよ、きっと。私はシェイムリルファが試練を与えてくれたんだと思うよ」
何かを察して、私に気を使っているのか、それとも単純に魔法少女としての初仕事を楽しみにしているのか、もしくはその両方なのか。定かではないが、薺ちゃんはそう答えた。
「試練?」
「そう、試練。これから魔法少女を目指すのにおんぶに抱っこじゃ先が思いやられるしね」
どこか魔獣討伐に対して前向きで、自身ありげな、そんな言い草だった。その気持ちも分からなくもない。薺ちゃんは、いきなりとはいえ、憧れ続け目標にしてた魔法少女になる事が出来たのだ。
変身後の可愛らしい姿は見た目だけではなく、とても強い魔力を帯びていた。それこそ、こんな私でも理解できるほどの。
そんじゃそこらの、有象無象の警戒度の低い魔獣なら、それこそ相手取る事は苦にならないだろう。
私だって変身が出来ていれば、薺ちゃんまでとはいかずとも、少しは自信が持てていたかもしれない。
そうなのだ。私は変身が出来なかったのだ。しなかったのではなく、出来なかった。
あの後、いざ変身しようと私がいくら『泡沫の依代』に魔力を込めても、うんともすんとも反応が無かったのだ。魔法少女を目指す者なら誰でも憧れる変身、それが出来なかった。
薺ちゃんの完璧とも言える変身を目の当たりにして、ハードルは果てしなく上げられ、もはやそれは鳥居のようになっていたので拍子抜け、と言えばそうだったのだが、自分の才能の無さに一瞬で絶望した。
同時に憧れの人と、唯一の友達の前での変身失敗は、百戦錬磨の落ちこぼれ女王の私をもってしても、恥ずかしさと気まずさに押し潰される。
ただそれは私の才能云々の話ではなく、直前にシェイムリルファのステッキを使った副作用のせいだった、らしい。
あのステッキは使用者の魔力を強引に引き出す代物で、シェイムリルファが私仕様に作り上げたものだった。
シェイムリルファが言っていた『器』の意味。それは魔力の貯蓄量の事で、彼女に言わせれば私の『器』はかなりのものらしい。ただ、その魔力を解き放つ、いわば銃口の部分が全く機能していないと告げられた。
万年落ちこぼれの劣等生に、あのシェイムリルファが褒めるほどの『器』。そして魔力量。
本当に何が起こるか分からないものである。そして未だに信じる事ができない。眉唾ものである。私にそれほどの魔力が備わっているという事実に。
と、言っても現状、結局はシェイムリルファのステッキありきでのお話である為、そこら辺はなんとも私らしいと言えば、私らしいだろう。
その『器』を無理矢理にステッキの力でこじ開けて使ったものだから現在に至るまで、私は魔力酔いの状態に陥っているらしく、変身はしばらくお預け状態となっていた。
「大丈夫。私、今なら何でも出来る気がするんだ。さ、行こう」
薺ちゃんは誰もいなくなったビルの最上階を見上げる。その決意を固めた表情はとても凛々しく、なんだか安心感さえ覚える。
「……これ、どうやって登るんだろう」
「薺ちゃん、空とか飛べないの?」
「んー。ダメだ、飛べないと思う。今、やってみたけどダメみたい。こればっかりは向き、不向きがあるみたいだからなぁ」
二人で困惑していると、見計らったかのように着信音が鳴り響く。着信の相手はシェイムリルファだった。まるでどこかでこちらの様子を伺っているような、そんなタイミング。
「もしもーし。屋上登れた? 依頼主はそのビルのオーナーだから、防災センターの看守さんに話を通せば専用のエレベーターに案内してくれるからね! じゃあ、がんばってね」
用件を話すだけ話すとすぐに電話は切れてしまった。
……なんというか、段々とシェイムリルファの人となりが分かってきた気がする。良く言えばとても自由、悪く言えば自己中心的。まるでワガママな少女がそのまま大人になったような、そんな印象。
どうしようもなく憧れていた相手は神秘的な見た目とは裏腹に、とても自由奔放な人だった。そしてそれは私にとって少し苦手なタイプ。
こういう所が、彼女の事を少し怖いと思ってしまう原因なのだろうか。
私と薺ちゃんは指示された通りにビルの防災センターに向かう。そこには年老いた一人の男の人がおり、こちらに向かって手招きをしていた。
「君達が魔法少女かい? オーナーから聞いてるよ。ここに入館する時間と、お名前を書いてもらえるかい」
薺ちゃんは「……はい」と少し複雑な表情で言われた通りに用紙に記入をする。魔法少女もこういった手続きが必要なのは正直拍子抜けだった。
もう少し華やかな感じで現場に向かえると思っていたので、少し勢いを削がれた感が否めない。
口が裂けても言えないが、色鮮やかな衣装に包まれた薺ちゃんが自分の名前を記入している姿はとてもシュールで、少し笑いそうになってしまった。
業者の手続きみたいなやり取りを終えると、看守さんは「はい、これ魔獣の特徴書いてあるから」と一枚のメモ書きを渡してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「メモ? なんて?」
「えーと」
そのメモは依頼主からのもので『魔獣の警戒度は低いが繁殖能力が高く、換気口や排水に詰まってしまい困っています。発生元が屋上の為、大元を処理して頂けると助かります』との事だった。
この文面だけ見てみると、確かにシェイムリルファの言う通り、魔獣の危険度は少なそうで少しだけ安心した。
屋上に上がるエレベータの中で、薺ちゃんは一つ大きな深呼吸をする。「いよいよだね。緊張してきたよ」とステッキを握る手には力が入っているのが見てとれた。
エレベーターが屋上に到着し扉が開くと、目の前に飛び込んできた黒くて大きな毛玉のような魔獣。その体からは一定間隔で小さなマリモみたいなものを、ポコポコと音を立てながら産み出している。
一体この魔獣はなにが目的でこんな事をしているのかは、理解し難いが、しかしそれが原因で被害が出ている事は一目瞭然だった。
「こいつか。じゃあ、さっさとやっつけちゃおうか」
「気をつけてね」
「ん? ちょっと待って。あそこ、何か聞こえる」
薺ちゃんがある異音に気付き動きを止める。耳を澄ませるとなにやらビルの外壁の方向からガシャ、ガシャと機械音が響いてくる。しばらく様子を見ていると機械仕立ての大きな二つの手が外壁から姿を現した。
「なにあれ」
「大きな……手、だね」
恐らくは、いや確実にあの手を使ってこのビルの外壁を登って来たのだろう。その手の持ち主はこちらを見ると、首を傾げ不思議そうな顔をすると、少し怒った様子で話しかけてきた。
「はあ? なにアンタ達。もしかして依頼の横取り?」
口調の強いその女の子はこちらをジロジロと見ながら、不審者を見るような眼差しを向けてくる。こちらから言わせてもらえば、まさに彼女こそ不審者そのものなのだが。
なんせこんな夜更けに、あの見た目でビルの外壁をよじ登ってきたのだから。
「横取り? こっちは正式に依頼されて来てるんだけど」
「んな訳あるか。邪魔するんだったら容赦出来ないよ。わざわざこんな所まで来たんだ。手ぶらじゃ帰れないんだよ」
まるでどこかの特殊部隊のような制服を見にまとう少女は好戦的な態度でズカズカとこちらに詰め寄ってくる。
「ははーん。この姿を見てもなんの反応もしないなんて、よっぽどのバカか、新人だろ?」
「なんなの? さっきから偉そうに。その姿がなんだって言うのさ」
少女はふんぞり返って自信満々に答える。
「魔法少女兵団『鉄血の乙女』隊長の李凛様だ! 空っぽの脳みそにしっかり詰め込んどきな!」
「あっ! なにすんだ!」
まるで魔法少女とは思えないその少女は、名乗りを上げると同時に、その大きな手で目の前の魔獣を一瞬で叩き潰してしまった。
マリモのような魔獣はその一撃に抵抗する事もなく、あっという間に煙のように消滅してしまった。
「はん。仕事を片付けてやったんだ。ありがたく思いなよ。三下ちゃん」
「あんたねぇ」
あの薺ちゃんと相性の悪い人がいるなんて想像もしていなかったが、やっぱり世の中は広い。目の前の李凛と名乗る魔法少女は絶対に薺ちゃんとは相容れないタイプなのだろう。口も悪いし、態度も悪い。そして恐らくは性格も。薺ちゃんじゃなくても相容れる人は少なそうではある。
「まあまあ、薺ちゃん。何事もなかった事を喜ぼうよ。ね」
「なんなんだよ、コイツ。いきなり現れたと思えば失礼な奴だし」
「おい、オマエ。コイツとはなんだ」
「コイツとはオマエに決まってるだろ。他に誰がいるんだよ」
「ま、まあまあ。二人共。ね、少し落ち着こ」
この時、私は油断をしていた。完璧に、完全に。突然の来訪者に驚きはしたものの、無事に魔獣を片付ける事が出来たのだから。依頼自体が、成功なのか失敗なのかは分からなくなってしまったが、とりあえず魔獣は倒せたのだから。
だけど魔獣はまだ死んでいなかった。確かに目の前の魔獣は叩き潰された。しかし、もう一匹いたのだ。闇に紛れてこちらの様子を伺う全く別物の魔獣が。
そう、最初から依頼は被っていなかったのだ。私達が受けた依頼と、李凛の依頼は全く別のものだった。