2 変わらないさ
カゴ一杯になるだけの卵を収穫してきた僕とスノウは、灰色の空の下を歩いていた。
僕らの視界に過ぎ去るは、陽気に歌うおばさんに、手を繋ぎながら僕らを追い抜いていった幼い少女。井戸の水を汲む若い女性と、フルーツを抱えた黒い髪の女性。
「よう卵家」
声の聞こえた方を向くと、風に乗った木の葉が、丁度彼女の鼻先を撫でていくところだった。
「ぶええッくしょい! だぁちくしょうめ!」
豪快なくしゃみを披露したセレナが、百面相しながら庭先の干し肉を下ろしている。
僕がセレナを見詰めて眉を下げていると。スノウは彼女からの視線を避けるようにサッと僕の背中に隠れてしまった。
スノウはどういう訳か村の人に無愛想を貫き続けている。昔と違って体も丈夫になったんだ、そろそろ社交性というものを身に着けていくべきだと思う。
「……なぁところでレイン、スノウ」
活発そうに笑っていたセレナが、突如と目の色を変えたのに僕は気付いた。
「オルト爺さんを見てねぇか? 小麦屋のフィル婆さんも。姿が見えねぇんだ」
僕がスノウと不思議そうにした顔を見合わせていると、セレナは手を振り上げながら調子を取り戻した。
「ま、いいさ。万一外に出ちまうなんてことはねえだろうし、ケロッと帰ってくるさ」
*
「来たね、遅いよ。卵がなくちゃあね」
目的の酒場に到着し、グルタに言われた通りにキッチンに卵を置いた僕たちは、一息ついてまたカゴを持った。これからまたこの酒場まで何往復もしなければならないので、いそいそと酒場を後にしようとすると、腕まくりしたグルタにリンゴを一つ投げ渡された。
「新鮮な卵を頼んだよ」
「村に鶏は二十羽しか居ないんだよ? 今持ってきたのだって昨日のさ」
「なんでもいいから持って来ればいいんだよぉ」
こっちの気も知らないで豚鼻を鳴らすグルタに、下唇を突き出しながら酒場を出る。すると程なくしてスノウがまた僕の背後に回った。見ると向こうから、豆粒みたいに小さな影が頭にミルクタンクを乗せて走って来ている。
やがて僕たちは、山羊のミルクを運ぶティーダとすれ違った。彼は爽やかにこちらに笑みを向けて「夜会でな」と言って走り去っていった。随分と忙しくしているらしい。背中に潜んだままの彼へと、僕は眉を下げながら振り返る。
「そんな調子で、今夜の役目は全うできるのかい?」
頷くスノウ……もっとも彼の事だから、今夜の夜会でのピアノ演奏は、淡々とやり仰るのだろう。
貰ったリンゴをシャクシャク交互にかじっていると、村人たちの会話を小耳に挟む。みんな長い戦争が終わって嬉しそうだ。兵力不足によって二年前に徴兵された村の男たちもじきに帰って来るんだろう。
――これから村が、変わっていくんだ。
「ねぇレイン。これから村が変わっていったら、僕たちも変わるのかな」
何処となく上擦った声で、僕にそう話しかけて来たスノウ。
――ピンと張り詰めた空気。
僕はこのまま変わらずに居たいけれど、スノウは早く変わって欲しいと言う。このまま時が止まってしまえばいいと僕が言うと、スノウは早く大人になりたいと言う。……だから僕は、不服そうに彼へと言葉を返す。
「変わらないさ、僕らはずっと二人で一人だ」
……そう口にした瞬間だった。僕の脳裏に奇妙な違和感が起こる。
――あれ、この会話……
閃光のように走った既視感を、僕はさして気にした風もなく、突風に乱れた前髪と一緒に流していった。
灰の瞳を光らせて、スノウが僕を覗いている。
*
三度目の卵の運搬を終えた帰り道。人々の行き交う大通りで、スノウが僕の服の袖を引いた。丁度空から細かい雨が降り始めた時の事だった。
スノウの視線を追っていくと、井戸の横の大木のある辺りに人だかりが出来ている。スノウの手を引いて野次馬に混じっていくと、見るからに怪しい、白い仮面の男が大木にもたれかかっているのが見えた。仮面の男は「妙だ、誠に妙だ」と繰り返していた。人混みをかき分け、さらにと近付いて行くと、男の出で立ちから、どうやら異国から来た旅人である事がわかる。
僕らの右隣で腕を組んでいたボナが教えてくれる。
「おかしな人が紛れ込んでね。商人なんだってさ、でもこんな時に外を渡り歩いてくるなんておかしいだろう?」
僕らが頷いていると、背後から頭に腕を回してきたサーシャが言う。
「それも何だか無茶苦茶な事を言ってるの。こんな所に村がある訳ないとか、霧の魔女は死んでないだの、何だか危ない人だわ」
背後に見える緑の起伏を背景に、男勝りな村の女たちに圧倒されている仮面の男を眺めていると、ボナが僕らの背中を押した。
「今夜は大事な役目があるんだろう? もう行きな」
僕は物珍しい商人をもっと観察していたかったけれど、スノウは僕の腕を引っ張って人混みから引っ張り出していった。