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6 優しい呪い


 衝撃的な光景の連続に、僕らはもうその場にへたり込む事しか出来ない。霧の魔女のねっとりとした口調が、十字架に磔にされたかの様な姿の少年へと続けられていく。 


「……どういう気分だ、自らの思い出に胸を刺し貫かれる気分は?」


 喘ぐティーダの口の端から夥しい出血が溢れかえるのを見ていると、前方でフラフラと立ち上がり始めたボロ雑巾の様な男に気付いて、リズが叫んだ――


「もういいわっ! アナタまで酷い目にあってしまう!」

「…………」


 イルベルトの背を追い掛けて走り出そうとしたリズを、僕は背後から抑え込んだ。彼女の伸ばした手の先には、暴威に一人立ち向かっていく紳士の佇まいだけがある。彼はズレた帽子を深く被り直しながら、手落とした曲刀を拾い上げて肩で息をし続けた。


「これは異な事だな、()()従者よ」

「……ふぅむ」

「お前に()()()()()を施したオリジナルは間も無く消え去るだろう。もう数秒となく、貴様とコイツとの主従関係の契約は破棄される……であるのに、お前は何故私に刃を向ける?」


 霧で造り上げられた太刀が振るわれると、そこに突き刺さっていたティーダが投げ出されて、やがてその頭をゴロリとこちらに向けた。青褪めた顔の中心に、生気を失いかけた瞳が落ちている。


「ティーダ――っ!」


 僕らは彼へと駆け寄った。冷たいに体に触れると、脆いガラスみたいにその体は崩れて霧に変わり始めた。


「ごめんね……キミたちは手を取り合って辿り着いたのに……僕の力が及ばなかった」


 血反吐さえをも立ち上る霧に変えながら、焦点の合わない瞳は宙を彷徨う。向かい合うイルベルトと魔女の姿を横目に、ティーダのまつ毛は小刻みに震えていた。


「もうこの形を保っていられない。情けない、もう僕には……過去の自分を止める事も、イルベルトの行動を保証する事も出来……ない」

「……イルベルト?」


 僕の掌から溢れ落ちていく友達の姿……だけど本当のティーダは、もうずっと前に死んでしまったんだ。本当の彼は、あの土の中に眠っている物言わぬ白骨遺体で、僕の腕の中で霧に変わっていく彼の正体は、いま現在の弱り果てた霧の魔女なんだ。

 やがて仮面に向かって話し出した霧の魔女の声を聞くと、過去と現在とが奇妙に交錯した感覚に僕は陥る。

 霧の魔女は仮面に相対したまま、冷徹な声をその場に残していく――


「強制的な服従関係を意味するその仮面も、もう自らの手で取り外す事が出来る筈だ。なのにお前はどうしてそうしない? 空の器に他人の意志を詰め込まれた哀れな傀儡(マリオネット)よ。それともお前は自分の意志でそうしているとでも?」


 イルベルトは何も言わなかった。魔女は周囲に渦巻き始めた霧に声を届けさせる。幻影の霧に映るのは、数多に現れた魔女の口元であった。


「そんな筈は無いよな仮面の男よ。()()姿()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……っ」

「オリジナルの私が、お前ごと私を刺し貫こうとしていたのを忘れたか……それともお前は、首輪が外れている事にも気付かずに主人に尻尾を振り続ける哀れな忠犬か?」


 ピタリと静止していた曲刀の切っ先は、魔女の喉元へと向かうのを辞めて、ベルトに掛けた鞘へと戻っていった。ティーダが小鼻にシワを刻んで、リズが小さく口を開けて放心するのが見えた。

 冷たい夜嵐の中で、イルベルトは突然敵意を失った。そうして無警戒に霧の魔女の後方に広がる風穴の方角へと歩み出していく。吐息が掛かる程に肉薄した彼に干渉するでも無く、魔女は冷たい目のまま彼の歩みを見届けていった。


「鳥かごに捕らえられた哀れな人形よ、何処へなりとも行くが良い。貴様の呪縛は既に解き放たれている」


 黙した僕らはイルベルトの背中を見つめる。彼は月明かりの射す風穴へと難無く向かっていく。


「……ほんの手土産だ。その姿……()()()()()()()?」


 魔女はイルベルトにそう言った。すると魔導商人は頭上のハットをひょいと摘んで頭から浮かせ、不敵なままにこう返すのだった。


「いいや……私は、自分が何者かを知るのが恐ろしい」

「ならばそのまま、亜人として生きていくがいい……空っぽの男(エンプティ)よ」


 立ち去っていく彼の背をリズはまんまるに見開いた瞳で見ていた。彼女の横顔にはイルベルトに対する落胆も非難も無く、ただ掌を胸の前で握りながら、震えた声で彼の名を叫んでいた。


「イルベルトっ、アナタは空っぽなんかじゃ無い、人形なんかでも絶対にっ!」

「……」


 悠々と振り返って来た霧の魔女の向こうに、振り返りもせずに遠くなっていく魔導商人の背中が雨に混じり込む。魔女より放散され始めた濃縮なる霧は漠々と発散されながら、この村をドーム状に包み始めた。恐ろしい視線が僕とリズを認めたが、次に認識したのは意外にも、許しを請うかの様な柔和な声だった。


「ここが記憶の世界のなのだとしても、いまここで“繰り返しの魔法”を発動しなければ、この世界は崩壊する……それはわかっているね?」


 僕の腕で悶え苦しむティーダを一瞥した後、魔女の瞳は僕を認めて(まなじり)を下げた。


「キミたちはこの魔法の中でしか生きられない……だから、邪魔をしないで」


 その瞳に映った色は冷徹でも敵意でもなく……優しさだった。それを認めた僕たちは、心に灯ったこのチグハグな気持ちへの対処がわからなくなった。何故なら魔女の胸に秘められているのものは悪意では無く慈愛なのだから。それが痛い程にわかってしまう表情を、彼女はいま僕らに見せているのだから……。

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