4 呪いの原点、最強の魔女へ
――それは一瞬の内に巻き起こった事だった……
闇に満たされていた世界が刹那に白み、次に肌を焼き焦がすかの様な熱波を感じたかと思うと、世界を揺るがすかと思うとてつもない衝撃が、切り立つ巨大な壁の一枚を爆散させていたのだ。
「な――ッ?!!!」
「イヤァアアアア、レイン!!」
殺人的な豪風に乗って、肌に打ち付ける熱い雨粒。吹き荒ぶ礫が僕の頬を掠めていって、一筋の赤の線を作った。さらにと注いで来る漆黒の岩壁が僕らの足元に影を落とす。
「さぁ、これが最後の試練だレイン、リズ」
「最後の……試練っ?!」
頭上に降り落ちて来た巨大な瓦礫は、ティーダの体より展開された質量を持つ霧のベールによって阻まれていた。寒気がする程の殺意を孕みながら、彼は何者かを待ち望みながら僕らを背にしてこう言った。
「この謎を解き明かした今、キミたちを縛るものはもう――記憶の中に保存された全盛期の僕だけだ」
降り注ぎ、大地に積もった壁の瓦礫。一瞬にして荒地に変わったその場から見える景色は、緩々と立ち上る白煙……いや、一面を包囲した霧と、崩壊した壁の向こうに望める、月明かりに佇む黒いシルエットの一人だけだった。
おあつらえ向きに空いた風穴を前に、僕は外へと通じる闇へと声を投じていた。
「やっぱりそうか! 深夜の壁の崩壊音……そこから十分程度の後にリセットが起こる、因果関係があるのは明白だった……あれは僕らの記憶の終わりでは無く、始まりだった。僕の考えは正しかったんだ!」
慌てふためいたリズが僕の体に縋り付いて叫んでいた。
「なに、なんなの!? 全盛期の霧の魔女? 八年前の記憶ってナニ?! 何が起きているのレイン!」
「この村にかけられた呪いの本質は、八年前のその日の歴史をあの時のまま繰り返しているという事なんだよ! わかるかい、つまり霧の魔女は八年前の今日この時、ここを訪れて同じ様にここの壁を打ち砕いたんだ、それが深夜の壁の崩壊音の正体だったんだよ!」
「だからっ、どういう事なのー!!」
「彼女はこの日――僕らの繰り返し続けた八年前の十二月二十四日に実際にこの村の中に居たんだ! 僕らが今目撃しているのは、その日に実際にあった記憶の再現なんだ!」
「ええぇ〜っと、こっちは今の霧の魔女で、あっち過去の霧の魔女で……ぅぅぅ、彼女の実態は不明確だから、ここに二人存在出来ているって事?! ……でもそれがわかっていて、どうしてアナタはこんな危険な場所を訪れたの?!」
「それは――この忘却の呪いの源流がここだからだ」
「全ての源がここ?」
「そう、ティーダの体を借りた今の霧の魔女では駄目なんだ! 八年前のこの呪いが実行されるこの時、その原点を回避しない限り、僕らの未来は決して枝分かれしないんだ!」
僕らの頭上に展開されていた霧のベールを掌握し、ティーダはイルベルトを連れて巨大な瓦礫が降り注いだ後を歩み始めた。怪しく光った曲刀、彼らの背中のその向こう側に、僅かな光を灯した風穴が映る。
纏った霧を鋭利に変えながら、少年は僕に言った。
「その通りだレイン。魔族の保有する魔力は不可逆だ。だから魔力切れ目前の今の僕に、この術をどうこうする力はもう残っていない。精々がリセットを引き起こす程度の事。過去の僕は、この超越的魔術を実現させる為の代償として自らの魔力のほとんどを捧げたんだ。……つまり膨大過ぎるこの術はもう、今の僕の意志ではどうする事も叶わない……存在が不明確な僕自身には、自死をする自由さえも無いんだ。――だからそう、原点を止めるんだ。八年前のあの頃の僕を。歴史に起こった事実を改変する。そうすればキミたちには明日が訪れる」
ティーダのその声を後に、不気味に蠢動するシルエットが、その形を不安定に変貌させながら雨霧より出でたのに気付く。リズもまた僕と肩を並べて傍観し、そこに現れた彼女の姿に息を呑んだ。
「あれが……霧の魔女の姿なのね?」
一見するとそれは黒いドレスに身を包んだ美しい女性だった。けれどそこには確かな異質が混在している。後ろに纏めた黒の長髪、額からは曲がったツノが突き出して、肌は血の気の失せた白色で、輪郭は霧でボヤけて長く直視していると頭がくらくらと混乱してしまうみたいだった。霧の魔女はおぼつかない足取りで村へと立ち入ると、吐息荒ぶったままよろめきながら漆黒に灯る双眸を立ち上げた。




