2 世界の真相を
「あーあ、狩人ごっこの途中だったのに」
「こんな真夜中にかい?」
茂みから現れたモノは、ティーダの風貌をして、彼そのものの様にはにかみ、彼の如く振る舞いながら闇より踏み出して来た。その風体と雰囲気は記憶の中の彼と寸分違わず……けれど今、明らかに違う存在へと変異しようともしていた。
「よく解き明かしたねレイン、リズ」
あの霧の魔女に直接呼び掛けられ、心臓がバクリと高鳴った。だけど同時に腹を決めて相対するしか無い事もわかっていた。幸いにしてその姿はまだ亡き友のままだ、覚悟を決めて僕は話し出す。
「スノウが死んだのはこの繰り返しの始まるよりも前の事だった。他に僕と同じ位の背格好の子どもはティーダだけさ。つまりあの白骨遺体はティーダのもので、僕の前でいま息をしているキミは、居る筈の無い者なんだよ。それにキミは、狩人ごっこと理由を付けて僕らの事を監視し続けていただろう?」
……記憶の中の彼と違うのは、目の奥に鈍く光る不透明な霧の揺らぎ、その得も言えぬプレッシャーだけだった。……するとティーダはその声音のまま、話し方のニュアンスを変え始めた。
「キミが心の闇に向き合いさえすれば、それはすぐにわかる問題だった。……キミは大人になったんだね、この淀んだ水の中で、リズと共に」
明らかに口調と風格を変貌させ始めたティーダに、僕は静かに唸る事しか出来ずにいた。いま目前にあのエルドナの女王が姿を現し始めているという事実が、僕の全身を恐怖で覆い始める。
リズの手を引き一歩後退っていくと、ティーダは瞳を細くしながら微笑んだ。それは見た事も無い彼の表情だった。
そこで上擦った声を上げたのは、恐ろしそうに顔をしかめたリズだった。前に突き出した腕をブンブンと振り回し、それ以上近付くなとティーダを威嚇しているみたいだった。
「また私たちの記憶を消すんでしょう? アナタはリセットで、私たちの意識を意のままに出来るものっ!」
泣き始めたリズだったが、それが杞憂だという事は僕にもわかっていた。眉を曲げたティーダが少し困った様に笑って答える。
「僕にその様な害意があるのだとすれば、この世界に勘付いた時点でリセットしていると思わない?」
「で、でも、アナタは壁越えをしようとした私たちを何度もリセットしたんでしょう、違う!?」
「イルベルトに伝えさせただろう。僕には思惑があり、これは呪いでは無いと」
リズとアイコンタクトをした僕は、それでも恐々とティーダの様子を窺う様にした。霧の魔女による思惑……この現象を引き起こしたその真意……気になる事は沢山あるけれど先ずは――
「イルベルトはキミのなんなの? 使者って言ったけれど、一体どんな使命を持たせてこの村に遣わしたのか、それが僕にはどうしてもわからないんだ」
夜と嵐を背景にしながら、絶望的にそびえた石の壁を前に、ティーダはその存在を不明瞭に揺り動かした。周囲で伸び切った草木が風に激しく揺れる中、まるで夜のさざなみのキャンバスに白い光が一つ浮かんでいるかの如く、彼の輪郭はゆったりと、陽炎の様に揺れる。
「彼はこの世界の謎を解く為のあらゆるキーをキミたちに提示した筈」
「確かにそうだわ、彼の話す情報や魔導具が無ければ、私たちは決してここまで辿り着けなかったと思う」
「すなわちイルベルトは、僕がキミたちへと提示した希望……この試練を越える為に用意した、駒の一つだよ」
尖らせた唇を指先で叩きながら僕は思考し始める。散々壁越えを阻み続けて来た霧の魔女が、どうして僕らに希望などというものを与えるのかと……だけどそこで閃いた。
「そうか、僕らに課した試練というのはこの事だったのか!」
「え、え……っええ、なんなの試練って?」
訳がわからず話しに置いていかれそうになっているリズに、僕は早急に解答を与える。
「霧の魔女が僕らに与えた試練、それはこの村に残された謎の真相――すなわち霧の魔女の正体を見極める事だったんだよ!」
「どうしてそんな事が試練になるって言うの? そんなのまるで、自分で作った迷宮を、早く解き明かして欲しいって言ってるみたいじゃない」
「わからない、だけど霧の魔女はイルベルトという助け舟を寄越してまで、僕らがその結論に辿り着くのを待っていた。だから真相に辿り着く事も無く、壁越えをしようとする僕らをリセットし続けたんだ」
霧の魔女による思惑が未だ僕らには見えて来ない。けれど彼女がそれを試練と呼んだという事は、僕らに何かしらの能力を求めているのだという事だけはわかる。
――けれど一体何の義理があって、敵国であり憎き人類である筈の僕たちに霧の魔女は干渉を続けるのだろうか。……どんな目的があれば僕らを八年間もの間、この刻の牢獄に閉じ込める事になるというのか……。
僕が思案しているその時だった。ティーダの背後、立ち込めた闇の向こう側から、聞き覚えのある声が発せられて来た事に気付く。
「閉ざされた世界で生きるキミには、見えていないものがある……いつか私がそう言った事を、キミは覚えているか少年よ」
ランプの照らし出したオレンジの光の中へと、腕を組んだままの仮面の男が暗黒より歩み出して来るのを僕らを見ていた。爛々と瞳を光らせるティーダの後方で、イルベルトは立ち止まって黒い蝙蝠傘を広げた。不敵な男に軽い歯ぎしりをしながら、僕は眉をひそめる。
「やっぱりキミは記憶を持ち越しているんだね」
そう問うとイルベルトは、頭の上の焦げ茶のハットを外し、指先で回転させながら語り出した。
「“保存のハット”。この帽子の中では、あらゆる物質の品質が維持される。亜空間へと通じるその効力は、何も茶葉だけに限った事では無い……」
イルベルトがハットを深く被り直して斜めにしていくのを眺めて、僕は目を細めた。
「キミは眠る時もそのハットを被っていたとメモに書いてあった。リセットが起きてもその帽子の中に仕舞われた記憶は保持されていたって訳だ……この現象を回避する僕らにとってのセーフティゾーンみたいなスペースが、キミの帽子の中にも合ったって事だよね」
肯定する代わりに鼻を鳴らしたイルベルトは、立てた二本の指の一本を折り曲げながらこう言った。
「時に少年よ。その結末にさしたる問題は生じない事だが、私の嘘は二つでなく一つだ」
「……?」
下げた眉毛をリズと突き合わせていると、次にティーダが「リミットまで、もう間もない」と口火を切って話し始めていた。
「試練を乗り越えたキミたちには知る権利がある。これより未来にこの村が、世界が、どのような混沌に投げ出されるか……僕が蓋をし続けた、あの天災の日の真相を」




