2 どうしようもなく湧き立つ最悪の気配――死の匂い――ッ!
本降りとなった雨の中で、僕とスノウは北の空き地に連れられていた。今宵の夜会も中止され、村人全員が参列してのお母さんの葬儀が執り行われる。
「…………なんで、なん……で?」
「ねぇ、しっかりしてレイン、ねぇってば」
まるで僕らの代わりに泣いているかの様に号泣したリズが、涙と鼻汁に塗れた姿で僕の袖に縋り付いていた。僕は何が何だかわからなくて、未だに情報の整理が何一つ出来ないままの混乱した思考でレインコートを深く被り、棺桶を運ぶ村の女たちの後ろに付いていた。スノウも僕と同じ様にして、黙々と、何を語る事もなく顔を俯かせている。
「肉体の変化は……リセットで元通りになって、僕らは同じ時を繰り返していて、だから何もかもが同じのまま、変わらない筈で……」
僕は戯言を繰り返す。冷たい雨に肌を射抜かれ、酷い現実に容赦も無く刺し貫かれて。そんな僕を不憫に思ったのか、セレナもグルタもティーダも、誰も。僕に語り掛けようとはしなかった。沈黙する空気の中には、リズの咽び泣く声と雨音だけがあった。
「僕らには、無限の時間がある筈で……ッッ」
歯軋りしながら見上げた表情は濡れ、顔は火を吹くように熱く、四肢の感覚はぼんやりとしていた。呼吸の仕方がわからなくなって、不規則に肩を上下して口元を喘がせるしかなかった。水溜りに反射した僕の姿は、この悲痛の全てを表現している様で、見るに堪えなかった。
――霧の魔女よ。今も何処かで僕らを監視しているのなら、こんなに無様な姿が見れて、満足しているか。
何処までだって哀れだろう、僕の仮説が根底からひっくり返されたんだ。ここまで積み上げ、盤石かと思われた固い地盤が。
僕らの刻は、止まっていなかった。
もう何がなんだかわからない……。頭がこんがらがって、最愛の家族を失ったこの感情と、思考の混乱とが入り混じって、もう、何も――
茫然自失と歩いていくとやがて、灰色の雨空を背景に細木にもたれ掛かるイルベルトが、路傍の石の様に立ち尽くしているのにすれ違った。
「綻び……」
そう囁き、黒く大きな傘に顔の半分を隠した仮面の男は、ハットに片手を添えながら参列に加わった。僕が何も言わずに目を伏せたからか。誰も見知らぬ商人の参列を咎めたりはしなかった。
「お母さん……」
瞬きを忘れた僕の瞼を、頭上から垂れてくる雫が強制的に固く瞑らせる。
すると深い闇が来る――――
「……お母さんっ」
心に巨大な穴が空いたみたいな、痛々しい声が僕の耳に聞こえた。
みんなは粛々と通例の儀式を執り行う。僕らは側の切り株に並んで腰掛けて足元を見つめ続ける。黒い棺桶に納められたお母さんに、村のみんなが別れの挨拶を済ませていく。
「……イルベル、ト……?」
「……」
冷たい雨に打たれ続ける背中が、フッと軽くなったのに気付いて視線を上げた。そこには僕らを覆う位に大きな蝙蝠傘を広げたイルベルトが立っていた。しかし彼は何を語るでも無い。僕らへと傘を寄せ、雨粒に濡れていく彼の左肩。その手前で横を向いた白い仮面の視線に、僕は彼の口から語られたと言う、記憶に無い筈の声をフラッシュバックさせていた。
――同じ条件下でのループなどあり得ない……
――仮にそう体感しているのだとすれば、それは疑似的な模倣に過ぎない……
――必ず何処かに綻びが生じてくる……
――不老不死は神の領域……
――史上最高峰の魔術師と呼ばれたあの霧の魔女であったとしても、万物の掟は破れない……
――キミたちの中で流れる筈であった刻は、一体どこにいってしまったのかな……
「キミの言った通り、完全なる繰り返しなんて無かったんだね」
何も言わず、ただ前を見据えるイルベルトを、僕は下から見上げていた。返答の無い仮面に向かって独白は熱を帯び始める。
「僕らの刻は止まってなんか居なかったんだ、僕らの世界は止まっている様に見えて、ゆっくりと死に向かっていたんだ!」
「……」
「でなきゃ、お母さんが死ぬ筈が無い」
お母さんの亡骸を天へと送り届ける儀式は、この体感に置いて少しの猶予も無く終了していった。何も言わないイルベルトを差し置いて、僕らは最後に黒い棺桶の中に眠るお母さんの顔を眺め、その頬に触れた。
「冷たいね、雪みたいに」
スノウが言って、僕は頷いた。
それからお母さんの遺体を埋葬する事になった。なんの前触れも無い突然死……その死因がわからないだけに――そんな風には当然思いたく無いけれど、未知の病気が村中に伝染してはいけないとみんなで話し合い、すぐに土中深くに埋葬しようという事になった。だけれど村の共同墓地は石の壁の外、村から出た先の小さな丘に並んでいて、死の霧の蔓延でしばらく外へ出られる見込みも無い事から、広い空き地になっているこの北の地を仮設墓地にしようという事になったんだ。だからフェリスが抱えた墓標も木で出来た簡易な物で、死の霧が収束した暁には遺体を移し替え、あの丘にしっかりとした石碑を立てて埋葬してやろうという話しになったんだけれど……その計画が達成されようも無いという事を、僕らだけが知っていた。
……それでも僕らは手渡されたスコップを手に取り、みんなで家族を天へと送り届ける。誰かが亡くなると、こうしてみんなで土を掘って埋葬するのがこの村のしきたりだ。
――離れた所に、傘を差したまま佇んだ魔導商人の黒いシルエットを認めた……その時だった。
「あっ? なんだいこれは?」
「何かが埋まっているのかな?」
グルタがスコップを突き立てた地点……お母さんを埋葬する予定であった、その土中深くから――
「嘘だろう、なんだよこれは……っ!」
――僕らは掘り起こす。
「なんでこんな所に、こんなにぞんざいに? どうして!? 誰か知ってる奴はいないのかい?!」
それは…………
――剥き出しの白骨死体だった。
この不可解な現象を村の全員で目撃し、そして絶句する。恐怖で足元から竦み上がって、顔を歪めて悲鳴を上げる。人の死体がどうしてこんなに手荒に、何故こんなにも雑多に、墓標も棺桶さえも無く、白骨化するほどにずっと埋まっていたと言うのか……?
だけど僕らはその疑念を一旦側に置き、心を落ち着かせてから、その隣にまた土を掘り始める。お母さんの遺体を早く埋葬しないといけないのだからと、誰しもがその思考を放棄したいと物語っているみたいに一心不乱に……
だが惨劇は僕らの背を掴んで離さなかった……次の瞬間、僕らは禁忌の箱を開ける事になる。この冷たい土の中に眠っていた、開くべきでは無かった、禁忌の扉を――
「ウワァア……っ!!」
「また!? まただ、何人の死体が眠ってるんだい、勘弁しとくれよ!」
「誰かが亡くなったなんて聞いてないわっ、何がどうなってるの、この村で一体ナニが!?」
第二、第三と、並ぶ様に埋葬されていた死体が出現し続け、僕らは最終的に、六つの死体を掘り起こした。それぞれ埋葬された時期が違うのだろうか、遺体に残された痕跡は全く違い、最後に掘り起こした――恐らく没後一番時間が経過していないと予想される者に関しては、肉や衣類が少し崩れた位で、その身の原型を留めているのだった。
並び合った白骨遺体は左から新しい順に――背骨の曲がった体の大きな老人男性、金の刺繍の衣服を纏った額の短い女性、頭と顎の下に白い毛髪を残した者、エラの張った頬骨とオリーブ色の毛髪の者、腐敗の進んだ栗色の髪を残した子供と思われる者、そして最後に――毛髪や衣服の残骸さえ残っていない、完全に白骨化してしまった僕と同じ位の子どもの遺体。
底知れぬ恐怖にすくみ上がりながら、横目に死を認めて土を掘り続けた僕らは、最後には誰も何も語り出そうともしなくなって、この逼迫した空気の中で、みんなが何を直感しているのかを悟る。
――セレナの祖父オルト爺さんと、小麦屋のフィルお婆さん、白髭の村長と、僕らの二つ年下の少年ロイド、キノコ屋のアンおばさん……
この村から消えた五人の行方と、“残された一つの子供の死骸”
「爺さん、そうなんだろう? なんでこんな姿に、なんで、なんで! だって昨日まで――っ!」
口に手をやり涙を流したセレナが一つの遺体の側に膝を着いていた。それだけじゃなく、行方不明者の家族やそれ以外の者たちも、遺体を凝視しながら故人の名を口にし始める。
――符号する、居なくなった者たちと死体の特徴。わからないのは、最後に掘り起こした、なんの特徴さえも残されていない白骨化した子どもの遺体のみ。
バクンバクンと脈打つ心臓――。どうしようもなく湧き立つ最悪の気配――死の匂い――ッ!
お母さんの眠る黒い棺桶に手を着いて立ち上がった僕は、突風に乗って横から打ち付けてき始めた大粒の雨に坂巻かせるまま髪を踊らせて、額に張り付いたその毛髪の隙間に、悲痛と嗚咽に満たされだしたこの惨状を眺める。
――このループの中に置いても、〈死んだ命は還らない〉、そして〈遺体となったモノはそこに残り続ける〉。
つまり綺麗に並んだこの遺体の真相は、村で誰かが死ぬ度に、僕ら自身で同じ地に埋葬しに来たという事だ。誰かが亡くなると僕らは、同じ様に発想して、同じ土地に遺体を埋葬に来て、その度に遺体を掘り起こしては驚愕し、止む無くその隣に新しい遺体を埋葬する。そうして次の日には全てを忘れて日々を繰り返し続けた。その人たちが死んだ事も忘れて、居なくなった事にされて……彼らはこの北の地に眠り続けていたんだ。故人を思い、立てた墓標も、使用した棺桶も、無慈悲なリセットによって全て消し去られ、巻き戻しの対象とはならない遺体となった彼らだけが、ただ冷たい土の中に残されて白骨化した……。




