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3 霧の眼光は背後に

 

 ――夜会後の屋根裏にて。


「そんな――ッ」


 頭を抱えて絶句した僕の鬼気迫った声が、頭上のランプの炎をざわめかせた。闇を映した窓辺に腰掛けたスノウは、何処と無く達観した様な佇まいで、屋根裏に積み上がったメモを読み漁る僕を見下ろし続けていた。


「リズの言っている事は本当だった……思い出す、記憶の断片、失われたパズルのピースが、こうしていると、みるみると……ッ!」


 異様に細かく記された僕らの日記。そこに記された情報を眺めていると、微かながらに過ごした筈の無い記憶が蘇って形を成していく。


「忘れていたんだ……()()ッ! 突然のリセットによって、僕らは全員――!」


 目まぐるしく回転する思考の中で、小さな机に突っ伏して目を見開いた僕は、無意識に前髪をかき混ぜていた。


「ここに記されている壁越えの日に僕らは……」


 僕らが決行した壁越えの日に何があったのかが、まるで思い出せない。だがこれ以降のメモが途絶している事から、その推測を立てる事は出来た。

 その時スノウの眉がピクリと動いた。艶めかしい唇がほぅと息を吐く――それはまるで、僕の思い至った恐ろしい推測を、彼もまた感じ取っているかの様だった。


 ――僕が思い出したのは、過去の僕らのメモに()()がある、といったその点だった。欠落とはすなわち――壁越えを行ったというその記録。ある筈の記録が、この膨大なメモの山の何処にも記されていない。すなわちそれは――


「突然のリセットは僕らが壁越えをしようとした、その時に起こっている……!」


 ハッキリとは僕を肯定して見せないスノウは、怪訝そうに眉間にシワを寄せて歩み寄って来た。その沈んだ額に影が差していくのを僕は見上げていた。


「……それでキミは、突然のリセットが壁越えの時に起きていると、そう結論付けるんだね?」


 指先に髪を巻き付け、ジッと僕を見つめるスノウの様相は冷徹としている。まるで僕の正気でも疑っているみたいな表情にも思える。だがやがて、彼の長いまつ毛が微かに震え始めたのに気付いた。そして薄い唇は押し開かれていく―― 


「もし仮にそうなら、今も何処かから()()()()()()()()()()()()か、だよ?」


 スノウのその一言に、僕の首筋にゾクリと冷気が走っていった。

 彼は僕に背を向けて離れ、なんでもなさそうにしながら引き出しに仕舞ってあったシャツに着替え始めた。そんな背中を呆然と眺める。

 スノウの言う様に壁越えの時に突然のリセットが起こっていたのなら、毎回どのような方法、タイミングで壁越えに望むかもわからない僕らを、霧の魔女は()()()()()()()()していたという事になる。僕らを苦しめ続けるこの呪いの主――あの霧の魔女が、想像しているよりもずっと側に居るなどと言うのだろうか? 


 その瞬間、僕の脳裏に猛禽類を思わせる凍てつく視線がイメージされた。そして疑いたくは無い筈の、大好きな人たちの姿が霧の如く形を成しては次々と過ぎ去っていく。

 ――セレナ、グルタ、ティーダ、フェリス、イルベルト、リズ、そして……スノウ。

 心臓がバクンと脈打って、血流が全身を駆け巡る感覚に満たされる――

 ……何故だか分からないけど、僕はその時唐突にスノウに触れてみたくなった。触れて、感じて、存在を確かめたい。彼が生きているのだという実感を得たいという、突飛であるが、ある種の確信めいた何か……説明しようのない不安に駆られ始めた。

 スノウに近付き、その背中に伸ばした手。指の隙間に絹みたいな白銀の髪が流れ落ちるのが見える……

 ……僕の震える掌が、彼の背中に――――


「……なんだよレイン?」

「え……ぁ……」

「遊んでないでキミも着替えるべきだ、夜会から帰ってそのままじゃないか」

「う……うん」


 振り返った彼の胸に添えられた掌。確かに触れているその先に、魂の拍動と体温を感じて、奇妙な動揺を見せていた心臓を落ち着ける。


 ――僕はどうかしている、どうしてこんな事を……。


「……はぁ、全くキミは」スノウは囁いた。


 僕はいつしか顎に手をやりながら、思考の深みへと沈んでいた。難しい顔をしたままそこに立ち尽くし、汚れたシャツを変えようともしない僕のシャツの前ボタンをスノウがため息まじりに外し始め、ぼやいた声が胸の所から聞こえて来る。


「キミはいつもそうだ。謎に直面すると、僕の理解し得ない深海の様な深みまで没入してさ。僕らは二人で一人だなんて言っておいて、キミの方が僕を置いていくんじゃないか。……ま、でも今回ばかりはお手上げじゃないか、だって僕らは無力な子供なんだ、あの霧の魔女に何が出来る?」


 やっぱりスノウも気付いているんだ……そうだ、あのエルドナの霧の魔女が僕らを側で監視しているというのが全ての真相なら、僕らに一体何が出来ると言うのだろうか? 側に感じた強大なる存在に対し、どうする事も出来ないという無力感で肩を落とし掛けたその時――視線の先に落ちたメモの一文が、僕の視界に飛び込んでいた。


 ――“()()()()()()()()()()()()()


「……っそうか!」


 スノウの肩に手を置いた僕は、彼を揺り動かしてこの興奮を体現する。


「霧の魔女がいかに強大だろうとも、刻の牢獄に閉じ込められた僕らには、無限の時間がある!」

「それは、確かにそうだけれど……何を興奮しているんだよ」

「わかるだろうスノウ! 僕らは何度だって挑戦出来るんだ。上手くいくまで、何百回だって何千回だって繰り返し続ける、その時間が!」


 くだらなそうに細い目をしたスノウは、僕の着崩れたシャツを強引に引っぺがしながら反論した。


「なんて途方も無い事を言っているんだいキミは。僕らが懸念していたのは、突然のリセットが起こる度に、いつ思い出すともわからない日々を何日、何年も過ごし続けるって事だっただろう? 逆に言えば、キッカケが無い限り僕らは何時までも気付かず日々を繰り返し続けるんだ。いくら時間を持て余していようとも関係無い。リセットがある限り僕らは一生刻の牢獄から出られない、それがこの呪いの恐ろしさだって、キミもそう言っていたじゃないか!」


 目を赤くして語気を強くしていったスノウ――だけど僕は目一杯に頭を振るって、その反論を一蹴してやったんだ。


「違う、僕らはもうリセットされない。もしそうなっても、すぐにまた思い出す事が出来るんだよ!」

「はぁ? リセットされないって、どうしてそんな事!」

「わかるだろう?! 僕らはもう、一番の脅威だったリセットを()()()()()()じゃないか!」


 ――忘却したリズを記憶を引き継げるセーフティゾーンへと導いたのは、イルベルトから手渡された“ロンドベル庭園の魔草”だった。あの花は世話を怠れば苛烈に鳴き始める。その習性を利用すれば、リセットされた僕らの事もセーフティゾーンへと誘うだろう。つまりあの魔草をこの屋根裏で飼育していれば、僕らは何度リセットされようともここに戻って来る事が出来る。


「そんな、事って……っ」


 脱帽したスノウは前髪を引っ掴みながら硬直し、僕から剥ぎ取ったシャツをはらりと床に落としていった。


「僕らは()()()になったんだ。いつか絶対に霧の魔女だって打ち倒せる」

 未だに驚愕している様子の彼へと、僕はその目をしかと見て表明する――


「僕はこれから、()()()()()()()()()。この村の何処かに潜んでいる魔女に、もうリセットを起こさせない為に」


 闇に芽生えた真なる光明――

 こぼれ落ちる程に目を剥いたスノウが、ゴクリと空気を飲み下していった。腕を組みながら首を少し傾げ、こめかみを激しく小突き始めた興奮混じりの汗が顎先から垂れていくのが見える。


「なるほどね、この現象の元凶であるリセットさえ起きなければ、刻は必然動き出す、か。過去の僕らはこの現象を難しく捉え過ぎていたんだね」

「うん、だけどこの真相に辿り着けたのは、過去の僕らのお陰だ」


 緩々と冷静になっていった灰の視線はこう続ける。


「身震いするよ、なんの力も無い僕らが、あの霧の魔女に挑む。そんな日が来るなんて」


 物憂げにこちらを見つめたスノウは、引き出しから取り出した寝巻きをスッポリと僕に被せた。そうして二人で窓際に並んで、外に広がる濃縮な闇を見下ろす。するとスノウは囁いた。


「考えてみれば、僕らをこの迷宮から前進させるのは、いつだってイルベルトだったね」


 イルベルトから半ば一方的に手渡されたあの花が、呪いを克服する最大の鍵になるなんて思いもよらなかった。……確かに考えてみれば、僕らの進展はいつも、イルベルトの持つ知識や魔導具に後押しされていたように思える。それらが無ければ僕らは無力なままで、決してここまでは来られなかっただろう。

 ――彼は何者なのか? 今改めてその素性に想いを馳せる。

 僕らのメモにイルベルトが家の軒下で眠っていると書いてあったから玄関先まで出ていったけれど、不思議な事に魔導商人の姿は何処にも見当たらなかった。


 もう僕らの手元には、壁越えをする為の“ズーのウロコ衣”も“羽靴”も、イルベルトとの交渉材料になる“妖精石”さえも残されていない。だけどこの呪いを抜け出す為の方法はそんな事なんかじゃなくて、もっとシンプルで根本的な事だったんだ。

 僕らはこの村に潜んだこの呪いの術者(霧の魔女)を見つけ出してリセットを阻止する。彼女は僕らの思っている以上に、ずっと近くにいる筈だから。

 大丈夫、恐れる事なんかは無い。だって僕らは不死身になったんだ。



 ……そう、思っていた。

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