2 夢の住人は奮い起こす
草の伸びたあの細い路地の窪みの所に座って、私は雨宿りをしながらレインが来るのを待っていた。たらふく食べたとうもろこしのお陰で、お腹はしばらく保ちそうだ。地面に打ち付ける雨音を聴きながら、なんとなく考える。
「イルベルトは今日も来ないのね」
以前ここに現れたイルベルトは、あの日以降姿を見せない。繰り返しの中でみんなは同じように行動する筈なのに、彼だけ違う行動をするの変だなって思った。考えてみると、彼の言っていた人形がどうって話しもよくわからないままだ。――謎多き魔導商人。私が彼を知っている様な気がするのは、全てを忘れ去る前の私が、彼となんらかの接点を持っていたからだろうか?
そんな事を考えている内に、この暗い路地へと走り込んで来る人影のシルエットを光の向こう見る。
「リズ? 驚いた、こんな所で何をしているの」
時間ピッタリに現れたレインが、小首を傾げたまま私に歩み寄ってくる。降り頻る雨が地面を跳ねて、大粒の水滴が足音を掻き消している。
「聞いてレイン、私たちはね、繰り返してるんだよ! この村で同じ“昨日”を延々と!」
「繰り返し? 何を言ってるの?」
「何か覚えてない? 少しでも良いの、違和感を覚える事があるんじゃないの?」
「……ハハ、繰り返しかぁ、それじゃあまるで、僕らは夢の住人みたいだね」
朗らかに笑う彼の表情に、敵意や害意は一つも見受けられない。
「夢の住人? 違うわレイン、夢ならいつか醒めるでしょう? これはそんなに生易しい様な現象じゃないわ、私たちは来るべき未来を永遠に奪われたままなの。ねぇレイン、お願いだから私の話しを聞いて」
私必死の懇願も虚しく、昨日と同じ優しい目線が私を捉えて歩み去ろうとしていく。
「キミがそんなに夢中になるなんてスゴいね、でもごめん、今からお母さんを迎えに行かなくちゃいけないんだ」
「レイン、お願いよ!」
「夜会においでよリズ。そこでゆっくり話そう」
徐々に小さくなっていく、路地を過ぎ行く暗い背中を私は見やる。
「……っ」
昨日と同じく傍観するしか無い世界で、私は足下の水溜りを見下ろす……そこに映った気弱な自分を見つめ直し、固く拳を握り込んだ――
「――……っ!」
「――ワァっ! リ、リズっ!?」
昨日掴めなかった彼の背中を、私は決死の思いで掴んでいた。驚いたレインが私へと振り返ったのを確認して繰り返した。
「大切な事なの……私たちにとって、とても重要な」
「……」
「お願いレイン。思い出して……アナタは私に言ったわ、“明日”に行こうって、私をこの世界から連れ出してくれるって!」
「リズ?」
「アナタは私の世界を変えてくれた! だからお願い、帰って来て……良くは思い出せないけれど、あと少しだと思うの、この世界を抜け出す為に必要な努力は、あと少し。それだけ私たちはこの呪いの真相に迫っていたって、そんな気がするのよ!」
レインはそこで首を振る。寂し気な目をして、私に謝罪するかの様な弱々しい表情をしながら。
「キミが何を言ってるのか、僕には……」
「いいえ、私を信じてレイン、信じてくれなくちゃダメ! こんな所で負けちゃダメなんだよ、あと一歩で私たちは願った世界へ行けるんだ、本当なんだよ! 上手く、私は頭が良くないから上手くは言えないけれど……っお願いだから、信じてよっ」
浮かない表情のままのレインは半身になって、背中を掴んだ私の手にそっと掌を被せた。息を切らした私がそっと彼を見上げると、灰の瞳のその中に、顔を真っ赤にする程必死になって訴える、ボロボロの私が見えた。
「ごめん、それでもキミの話しはとても信じられないよ」
――これでもダメなんだ……肩を落とした私が、ゆっくりとまつ毛を伏せていくと、レインは私の顔を目と鼻の先に見つめたまま、握ったままの私の手を、ギュッと強く握り込んだ――
「でも……キミの事は信じてる」
「え……」
「だって初めて見たんだ。キミがそんなに他人に表現している所を、息を荒げて他人に訴えてる所を。キミにそんな勇気があるなんて知らなかったから」
「勇気……?」
「うん。変わったねリズは。何だか強くなった……だから僕はリズを信じたい」
大粒の雫に打たれたまま、私は火の灯ったレインの瞳をただ凝視していた。
「僕はキミの言う通りにするよ。どうしたら良い、リズ?」
私の勇気が、この一歩が、彼の背中に届いていた。――昨日まで誰にも届かなかった声が、みんなに届く様になっていた。
「きっと、アナタが私を変えたのよ?」
「なんの事だい?」
交差した私とレインの視線。止まった時計の秒針が進み始める。これからの私は、何度忘却しようとも――“昨日”の私じゃない。




