3 反逆の欠片
家に帰った私は、濡れた服を着替えてお風呂に入った。湯船に浸かって今日を振り返る。……少しはマシになった空腹感。けれどその代償に怖い目にもあった。
「明日はどうしよう。明日もこんな事をしなくちゃいけないのかな?」
人の物を盗む事なんて本当はしたく無かった。だけど家に食べ物は何もない。……今頃みんなは、夜会でご馳走でも食べているのだろうか? どうして私だけ……こんな事なら、いっそ死の霧が村に流れ込んでそのまま――
「ぅぶぶぶぶ……」
湯船に沈んで、良くない事を考えようとした自分を懲らしめる。それからお風呂を出た私は、またお腹が空いてしまう前に、眠ってしまおうと考えた。
寝巻きに着替えて大きなベッドに大の字になった。天井に見える渦の木目の元にまた戻って来たんだ。こうやって繰り返す、ずっとずっとこうやって、いつまでも……色の無い毎日を。
……しばらくすると、二十二時の消灯の鐘が耳に届いた。今日は眠る事が出来ないかも知れない。私を取り囲んだ村人たちの顔と、罵る声が頭から離れない。明日への不安に胸が押し潰されそうになる。
――『そんなものは、キミの暗い心がもたらした幻影に過ぎない』
なんでかな、こんな時に私は、イルベルトの言葉を思い出していた。どこかで出会った事のあるみたいな不思議な雰囲気の彼の事を。
「お父さん……会いたいよう」
どうしようもない位に寂しい気持ちになって、私は唱え続けた。お父さんはいつだって私を助けてくれた。私に優しく微笑みかけてくれた、なんだって叶えてくれたんだ。
閉じた瞳の向こうにお父さんの姿を思い描く……
「あれ、なんで……?」
どうしてかな、昨日までハッキリと思い描けた筈のお父さんの顔が、今はもう曖昧にしか思い出せない。
思い描けたのは、霧がかった様に顔のない、不気味な男だけだった。
私はまた泣いた。唯一ある大切なものまで消えてしまいそうなのが怖くて、それが堪らなくって……
――そんな時の事だった。
「……なに、この音」
どこか外の近くで、けたたましく鳴り始めた鈴を打ち合わせる様な物音に私は飛び起きる。枕元に置いていた蝋燭台を一つ持ち、へっぴり腰で耳を澄ませながら音の方角に進んでいく。やがてその不可解な音が、離れにある地下のお父さんの寝室で鳴っている事を突き止めた私は、意を決して地下へと続く重い扉を開いた。
「なにこれ……花なの? 一人でに動いているように見えるけれど……」
お父さんの机の上に置かれた見覚えのない鉢の中で、銀色の蕾が葉や茎をうねらせて音を立てている。
「夢、だよね、はは……だってこんな事って」
摩訶不思議な植物に歩み寄り、私がその花に触れた瞬間だった――
「ぁぁッ――?!!」
私の頭を駆け巡ったイメージが、彼らと共にもがいた日々がフラッシュバックしていた――
衝撃的な閃きと、確かな現実感に骨を抜かれた様になった私は、彼の声とその時の記憶を思い起こしていた――
――『一緒に行こう…… 』
「この……記憶……は? レイン……?」
嬉しかった言葉、温かった彼の掌、男の子からの初めてのプレゼント、秘めた彼への気持ち……
知っている、私は知っている。とても信じられないこの村を巡る衝撃の真実。私たちを取り巻いたこの繰り返しの呪いの事を!
「……その証拠に私は、この蕾が薄紅の大輪を開くと知っている」
側にあった魔法瓶の水を注ぐと、魔草は音を立てるのを止めて、私が言った通りの華麗な花びらを開いた。
「どうして私たちは、全部忘れて……っ」
世界がひっくり返ってしまいそうな衝撃。どうして私たちが全てを忘れているのか、肝心な事は思い出せないけれど、記憶のピースは頭に蘇ってくる。
……確かに一つわかるのは、この真実をレインに伝えなければならないという事。
頭を走った電撃を整理していると、やがて石の壁が大破する様な振動を覚えた。そして、大切な両親の指輪が無くなっている事に気付く……




