2 傀儡人形の役目
「東の果て? 魔導商人?」
今日初めて出会った筈の手足の長い怪しい男。赤黒いシャツの派手な模様が雨に濡れててらてらと輝いている。焦茶のハットに何処か気品のある風体、腰に下げた曲刀……明らかに怪しくって、少し笑った感じの仮面が怖いと思った……なのに不思議と私の警戒心は余り反応しない。臆病な私にとってこんな事は初めての感覚で……なんと言うのだろう、むしろこの人の放つ心地の良い雰囲気に、安心感を覚えているみたいだった。さっきの泣き顔を見られて恥ずかしいという気持ちはあったけれど、私はいつもみたいに逃げ出そうと思わないでいた。
強まる雨の中で、私は充血した眼差しで怪しい男と見つめあった。
「アナタ、今日この村に来たの?」
「ふぅむ……」
私の話しに適当に相槌を打ったイルベルトは、頭上のハットをひっくり返して肘まで腕を突っ込むと、ガサゴソ何かを取り出して私に突き出してた。
「ん……」
「え、これとうもろこし、何処に入れていたの? それに、まるでさっき焼き上げたみたいな焦げ目がついてる!」
彼がハットから取り出したのは、なんと湯気の立ち上る焼きとうもろこしだった。その帽子のどこにそんなスペースがあったのか、それに今焼き上げたかのようなこの香ばしい匂い、突然の手品にもてなされた私は思わず笑みをこぼしていた。
「私にくれるって言うの?」
「……他にどう意味があると?」
「ありがとう……」
受け取った黄金色の輝きを前に、私のお腹が鳴っていた。この空腹感に任せて思い切りかぶりつく。
「んんっ! んんん〜〜っっ」
「そうか、旨いか」
仮面の商人は自分の腰程までしか無い小さな私を見下ろしたまま、顎に手をやってさすっていた。私はなんだかこの不可思議な男に興味を抱いているみたいだった。
「どうして私に良くしてくれるの? 今日初めて会ったのに」
「本当に、何故だろうな」
「……?」
無我夢中でコーンを頬張りながら、私はお行儀悪く彼の足元にコーンを飛ばす。リスみたいに芯を回していると、ふと疑問を浮かべて口に出していた。
「どうして私の一番の好物を知っているの?」
「……さぁ」
とうもろこしを完食した私は、不思議な事ばかり言うイルベルトに首を傾げる。すると突然彼の鋭い指先が私の顔に影を被せ――
「付いてるぞ」
「ん? あぁ、ありがとー!」
頬に付いたコーンを指摘すると、彼はハットを頭に被り、向こうの空へと視線を投じた。
「ねえねえどうして私に優しくするの? あっ、でも大変、私は魔族だから、こんな所を見られたらアナタも村のみんなに虐められちゃうわ」
「私も魔族だ」
「えっ?!」
「それがどうした。そんなものは、キミの暗い心がもたらした幻影に過ぎない」
「げんえいって?」
「……」
私に見つめられたイルベルトは、頬を掻いて気まずそうにしていた。そうしてまたそっぽを向く。
「私とした事が、ルールを少し破り過ぎてしまったようだ」
「ルールって?」
「……少女よ、キミは質問ばかりだな」
それだけ言って、イルベルトは私の元を立ち去ろうと歩み始めてしまう。
「え、何処に行くの? 待ってよイルベルト、私まだアナタにお礼をしてないわ」
「必要ない。本来出会う筈の無かった者が出会ってしまっただけなのだから」
待ってって言ってるのに、足早に歩んでいってしまうイルベルト。
「待ってったら」
「さらばだ」
「待ってって言ってるじゃない」
「……」
「待て――ッ!!!」
「――ッぐぅぉァアアア!!?」
気付くと私は、イルベルトの背に飛び乗ってうつ伏せに引きずり倒しているのだった。こんな大胆な行動を起こす自分にもギョッとしたけれど、それよりも先ず、私は足元の男に伝えたい事があったんだ。
「私、アナタを知っている気がするわ!」
「このじゃじゃ馬娘め、親の顔が見てみたいものだ」
泥水に頭から突っ込んだイルベルトは溜め息を吐いて起き上がると、ぐしょ濡れになった衣服を叩いて泥を落とした。そうして仮面の泥を拭い、こう言った。
「私もいよいよ、焼きが回った様だ。私自身の行いで、この様なイレギュラーを引き起こしてしまうとは」
うずくまって頭を抱えたイルベルトは続ける。自分で放った単語を驚いた様子で繰り返しながら。
「私自身? これはどういう事なのか、傀儡が自我を持つ事などありえない筈であるのに、何故……」
また訳のわからない事でウンウン唸る白い仮面。パペットって操り人形って事かしら? よくわからないまま、私は深く考えずにイルベルトに声を返す。
「簡単じゃない。アナタが傀儡じゃないって事よ」
仮面の向こうのエメラルドの眼光がゆったりと持ち上げられて来て私を凝視し始めた。そして彼は自分の掌を見下ろして、開いたり閉じたり、その感覚を確かめるみたいにしてから、まるで驚いたみたいに言い始める。
「私が、傀儡じゃない……?」
「そうよ、アナタはアナタ、イルベルトじゃない」
「私は……ワタシ?」
「そうよ、だからアナタはルールを破ったんでしょう? それが何なのかを私は知らないけど、きっと自分の意見を持っているからそうしたのよ」
「自分……」
「そう、本当の自分が、そうするべきだって思ったからアナタはそうしたの、きっとそうだわ」
腕を組みながら深く考え込んでしまったイルベルト。偉そうな事を言ってはいるけれど、私は彼が何にそんなに悩んでいるのかさえまだわかっていなかった。しばらくすると彼はぶつくさと繰り返し始める。
「いややはり、何も思い出せない。……だがそれがそうしたと言うのか、この舞台の主役はやはりキミたちであって、私などという存在はやはり、取るに足らない黒衣に過ぎないのだ」
何だか開き直ってしまったらしいイルベルトが、背すじをピンと伸ばしていった。私は立ち去ろうとする彼を今度は静かに見守る事にした。彼の声はなんとなく晴れやかになっていた気がしたし、また失礼な事をしてしまう気もしたから。
「行っちゃった。何だか不思議な人だったわ」
イルベルトが路地を立ち去って行ったのを見守り、一息ついた私が彼の歩んでいったのと反対方向、つまり来た道を戻って行こうとしたその時だった――
「リズ……?」
「ぁ……」
暗闇の向こう、濡れた草花の向こうから路地に立ち入って来た少年と目が合っていた。
「レイン? なんでこんな所に」
灰色の瞳が二つ、暗がりに灯って近づいて来た。
「卵の運搬を終えたからちょっとだけ遊んでたんだ。でも雨が強くなって来たんで裏道を使って家まで近道して帰るとこ。リズは?」
気さくな感じで話し掛けてくるレインは、嬉しそうに歯を見せて笑っていた。彼にここで会えたのはイルベルトと話し込んでいたからだと思った。だっていつもなら私はこの路地をものの数十秒で通り過ぎてしまうんだもの。彼が私を呼び止めなければ、レインとはここで出会わなかった。そんな奇跡に見舞われたのに、愚かな私は赤くなった目を見られるのが恥ずかしくって、その場を走り去ろうとする。
「あっ、リズ!」
なんて言ったら良いのかよくわからないけれど、私は恥ずかしい姿をレインに見られるのだけはどうしても嫌だった。この村で、彼だけは私に微笑み掛けてくれるから、私も彼を心配させたく無かったんだ。
――でも、本当にそれだけなのだろうか? 彼を見ていると、何だか他の人には感じない妙な感覚に満たされるのを私は感じていた。
赤く染まったこの顔を、彼に見られていないかが心配だった。




