1 最後の鍵
六日目
昨日、あれから家に帰って気付いた事があったんだ。
それは屋根裏に持ち込んでいた筈の僕とレインの二人分のシーツが、さも当たりの様な顔をして(思えば何日も前から)ベッドの上に複製されていた事だった。昨日もここにメモを置いたりなんだとちょこまかしていた筈なのに、僕らにとってもこの村にとっても、ベッドの上にシーツがあるのが当たり前の光景過ぎて気にも止められなかった。つまり僕らはこの村で起こる複製について、もっと早く気付く事も出来た筈なんだ。
注意深く観察していれば気付けた筈の見落とし。愚かな自らに落胆している間も無く、僕はこの異次元より湧き出した複製品の、紛れもないまでの現実の感触を指先に触れながら考える。
先日石の壁から外に投げ出した忌まわしい石ころ。あの石は魔女の呪いの範囲を出た事によってループから外れ、この村に再現される事は無かった。しかし呪いの範疇より抜け出すと言う意味では同じでも、セーフティゾーンへの行き来ではループを外れた事にはならず、“ロンドベル庭園の魔草”は僕らの屋根裏にありながら、イルベルトの手元に複製された。この事から、セーフティゾーンはあくまでこの呪いの中に発生したイレギュラーな不具合であり、魔女の関与する所ではないという事。さらにはこの呪縛より完全に解き放たれる為にはやはり、死の霧の吹き荒れる石の壁の外へと出る以外に道が無いと言う事実が判明した。
……八年前の今日、十二月二十四日を繰り返し続けるこの呪いの特性。それを順守しようとした上で起こる不具合の修正が――複製。
これもイルベルトの言っていた綻びの一つなのだろうか? 摂理を無視した不可解なる現象……されどそれは、僕らにとっては希望とも言い換えられる。
――何故なら僕はこの綻びを利用して、村のみんなを魔女の呪いから解放する方法を思い付いたのだから。
*
僕とレインが、いつもの通りに朝食を終えて玄関の扉を開け放ったその時だった。
「おはようレイン! おはようスノウ!」
明朝一番、村中に響き渡るのでは無いかという位の声量を叩き付けられて僕らは飛び上がった。そうして二人で視線を合わすと、玄関先で頬を赤らめる彼女へと慎重に話し掛ける。
「どうしたんだいリズ、昨日とは随分趣が違うような……」
「わたぁ! ワタヒっ……ぅ、生まれ変わったの!」
喉の奥で舌がひっくり返った様な声音に、僕はまたスノウと八の字になった眉を突き合わせていた。スノウの方が首を傾げながら彼女へと疑問を投げ掛ける。
「生まれ変わったって、昨日の今日でかい?」
「そう!」
腰に手をやったリズは鼻の穴を大きくしながら、高揚した様子で胸を張っている。今にもエッヘンと言い出しそうな佇まいだが、無理をしている肩が震え、背中は早くも丸まり始めていた。
*
「それにしてもご苦労だね、今日もキミは僕らの仕事を手伝いに?」
三人で鶏小屋へ向かう道中、スノウがカゴを持ったリズに横目で問い掛ける。するとリズは丸まり掛けていた背筋を直し、何やら遠くに認めたらしい存在に向かって深呼吸を繰り返したかと思うと、次の瞬間に意を決した左手を振り上げていた。
「おはようぅっ!」
「え、私? 私に言ってるのかい……お、おはようリズ」
リズはすれ違う村人に手を振り上げるのに執心している様子で、スノウの問いにはすぐには答えなかった。肩をすくめたスノウは僕へと振り返って話題を変えた。
「ティーダはまた僕らの後を付けているのかな?」
スノウが言うので足を止めて周囲を見渡してみたけれど、そこにはのどかな田舎村の情景があるだけだった。でも確かに、昨日のティーダは朝から狩人ごっこをしていると話していた事を思い出す。
「だとしたら凄い腕前だよ。でも彼も酒場にミルクを届けなければいけないんだから、狩人ごっこが始まるのはもう少し後なのかも」
するとそこで――もう何人目だろうか、村人との挨拶を済ませたリズが満足そうな笑みで振り返った。その半開きの口から語られる内容から、先程のスノウの問いに今更答え始めている事がわかる。
「そうなんだ、手伝いに来たんだよ。でもそれだけじゃないの、魔女の呪いを解く手助けが私にも出来たらなって。だって私、スノウとレインにばかり任せきりなんだもん」
「手助け……?」
するとリズは懐から信じられない物を取り出して、僕らの眼前に突き出した。神々しいまでに光り輝いた赤と緑のお宝を鼻先に、僕とスノウはポッカリと口を開け、リズは覚悟を決めているといった神妙な表情で深く頷いてみせながら、脱帽し掛けた僕らに話し始める。
「言ってたよね、この呪いを村のみんなで抜け出すのにあと必要なのは、イルベルトの持つ“ズーのウロコ衣”だけだって」
その後の彼女の口から語られた提案に、僕らの驚嘆ぶりが村中に響き渡ったのは言うまでもない。
「私のお父さんとお母さんの指輪を、“ズーのウロコ衣”との交換材料に使って」
彼女にとって何よりも大切で、大好きな両親との繋がりを感じられる大切な指輪。赤と緑に瞬く二種類の宝石が、雲間からの陽射しに透き通って美しい影を絡ませていた。
――その時、僕にはリズの言おうとしている事がすぐに分かった。だから声を荒げていた。
「それってまさか、リズ……っ!」
彼女にとっての唯一の宝物、こんなに大切な物を失って良い筈が無い……けれどそんな僕の言葉を遮って語り出したのはスノウだった――
「良いのかい? これは元々イレギュラースペースにあった物だから、失えば複製はされず、二度とはキミの手には戻らない。慎重に考えた方が良い」
「考えたよ、一杯考えた、でも決めたの。私も村のみんなと、アナタと未来に進みたいの。……それに、いつまで経っても持ち主の現れないこの指輪は、もう必要無いから」
僕は思わず、スノウの背から彼女の言葉を復唱していた。
「必要ない?」
「もう待つのは終わりにしたの。私はこの村を出てお父さんを探しに行く。レインが言ったのよ、一緒にこの世界を出ようって」
父の幻影を振り払った彼女。その勇敢なる眼差しに見えた灼熱の火は、ごうごうと滾り、純白の中心で青く揺らめいていた。
あの石の壁を越える。その為に必要な最後のピースが唐突に、今この瞬間に集まった。その心中は何処か厳かとも形容出来て、曇り空の続く僕らの毎日に、空冴え渡る光明の極大が降り落ちて来たかの様でもあった。




