6 霹靂に打たれ
考えを霧散させていく僕に、スノウはくだらなさそうに手を上げてヒラヒラとさせた。
「思考するのは後でも出来るだろう、キミの目的はここから先。彼の見せる魔道具の一つにあるじゃなかったの?」
スノウの言葉に思い直した僕は、リズと一緒にイルベルトの側にしゃがみ込んだ。そうして異次元の様な大きなカバンの底から、目的の物が姿を現すのを今か今かと待ち望む。程なく生臭い衣が姿を見せた途端、僕は立ち上がった。
「やはりお目当てはコイツか少年……しかしな、私も慈善活動で商人をしている訳では無いし、先の話しを全て信じた訳でも無い。キミたちの持つ貨幣では取引には応じられ無いし、そもそもこれは私の持つ随一の品物だ。相当数の金貨銀貨を集めた所で、交渉には応じられないだろう。悪いが半分以上コレクションを自慢する為に陳列している様なものなのだ」
「そんな……わかるでしょうイルベルト? 壁を越えるためには、あらゆる毒を跳ね除けるその衣が必要なんだ」
「キミらの不憫な事情を鑑みても、説得の末私から貸し出す事が出来るのは、やはりこの“ズーのウロコ衣”以外に留まる。私は鬼では無いが、また、愚か者でも偽善者でも無いのだ。無償で宝玉を手放せる程、欲を欠いた訳もあるまいのでね」
抗議する僕にイルベルトは首を振った。そうして自慢げに“ズーのウロコ衣”を広げていってみせると、怪しき商人は言うのだ。
「対価があるのならば、いつでも」
歯噛みするしか無い僕らは、広げられた衣を物欲しそうに眺めた後、顔を見合わせてから下を向いた。僕らの持ち得る貨幣が通用しないと言うなら、この村に一体どんな対価が残されているというのか。
足元に赤いクロースに“ズーのウロコ衣”を置いたイルベルトが、足を組んで椅子に座ったままカバンをまさぐって、さらに魔道具を取り出していく。先の落胆に頭をもたげたままの僕は、胸に手をやりながらぼんやりとその様子を見ている事しか出来なかった。
「命を吹き込む“ゴンゴリューニの砂”に、忌まわしき“二枚舌”。そして――」
度重なる難題と襲い来る真相の迷宮に胸が悪くなった僕は、リズに背中をさすられながらうずくまった。迫り上がって来る胃液の感覚に嗚咽が漏れそうになる。
「ぅっ……ごめんよリズ、もう僕らに出来る事なんて……なにも」
「そしてこれが――――」
――だが僕は次の瞬間に、蒼白となり掛けた顔を勢い良く顔を上げる事になっていた。
それはイルベルトの口から語られた、そこにある筈の無い物の名と、手元に引っ張り出された、紛う事のない銀の煌びやかな反射に釣られての事だった。
「――じきに花開く“ロンドベル庭園の魔草”」
「え――――ッ!」
鬱々とした曇天に、走る紫電の瞬きが僕の全身を貫いていった。立ち上がった僕はイルベルトの背中を引っ掴んだ。
「そ、それって! もう一輪持っていたり、そんな事はあるのイルベルト!」
「どうした少年よ。くすねられたのは一輪だけだ。それ以上は私の美学に反するのでな」
呆れ顔のリズがイルベルトの背中をつつく。
「くすねるのに美学も何もあるの?」
「手厳しいなエルフの少女よ。くすねたと言っても、これは対価として私が――」
口元に手をやり、一輪の銀のつぼみを見下ろしながら絶句した僕に気付いたのはスノウだった。僕の肩に纏わりつくように彼は近寄って、顎を乗せる。
「僕らの屋根裏にも、昨日譲り受けた同じ物があったね」
僕は思い直す。魔女の呪いから逃れるセーフティゾーンの認識を。この村で唯一と昨日の痕跡を残し続けられる不可思議なる場所の法則を。
「屋根裏から外に持ち出した、八年前の“今日”にある筈のない物は、リセットによって消滅する。……反対にその屋根裏の中でなら、ある筈の無い物も存在し続けられる」
ループしているこの村で、昨日の痕跡を残し続けられる僕らの屋根裏とリズのお父さんの寝室。この村の法則より外れた奇跡のスペースでは逆に――村から持ち込んだ物質が複製される。
リセットにより八年前の十二月二十四日を再現するその辻褄合わせとして、そこにある筈であった物は再現化され、屋根裏に回収された物質は痕跡として取り残されたままになる。
この瞬間――走る閃き。繋がった光の道筋が、呪いの外へと到る確信に貫かれた。
「まだ“ズーのウロコ衣”を入手する方法は分からないけれど……」
顔を傾けると、目前にあった灰色の水晶――スノウの眼球に反射した、毅然とした表情を僕は自覚する。
「そこさえクリアすれば、全て叶えられる……この呪いを飛び越えて、村のみんなを救い出す事が」
只事でない様相に気付き、リズとイルベルトも会話を中断して僕の声に耳を傾けていた。
「何か気付いたのか少年……ふぅむ。たったこれだけの情報で、この絶望的なる状況の打開策を?」
「わかったよイルベルト。後は“明日”のキミをどう懐柔し、“ズーのウロコ衣”を手に入れるかだけさ」
挑戦的な視線で頷いた僕に、リズは感嘆の声を出して控えめに手を打ち鳴らしていた。イルベルトはハットを深く被り直しながら、怪しい仮面を斜めにして僕に言った。宵に差し掛かり始めた薄い紺色の空の下で、肩に垂れた屋根からの雨漏りを払いながら。
「聡いね少年、まるで十かそこいらの幼い少年だとは思えない程に……」
小気味良く、パチンと指を鳴らしたイルベルトは、仮面をカタカタ揺らした。それが笑っているからだと気付いたのは、長い足を解いて立ち上がった彼の仮面の下から覗く白い口元に、上がった口角を見つけたからだ。
カバンに物を詰め込み始め、ここを離れる身支度をし始めたイルベルトを認めて、僕らも踵を返して雨空の紺色に歩き出した。
「諸君の言うループする世界が真実だったとして」
思い出したように放たれたイルベルトの口調には、あくまでそれを真実とは言い切れないといったような、慎重な言葉選びがあった。それを嫌味たらしく思いながらも僕は振り返る。
「キミたちの中で流れる筈であった刻は、一体どこにいってしまったのかな」
彼は最後にそう残して、闇に紛れて消えていった。




