5 魔導商人の受容
リズの家を後にした僕らは、彼女の手を引いてイルベルトの元へと向かっていた。昨日よりも少し早い夕暮れの空は、いま少しだけ雲間から夕焼けを見せている。
あの怪しき商人は、リズが繰り返しを思い出した頃にはもう村に居たらしい。彼女も魔導商人の存在は認知している様だが、積極的には関わって来なかったのだとか。
「大丈夫かなぁレイン、私と居たら、アナタまで変に思われるんじゃ……」
「なんと思われても構わないさ、みんな忘れてしまうんだから」
――リズとイルベルト。過去の僕らに無かった存在は、この呪いを解き明かすのに大いなる力を発揮するかもしれない。
*
「……ほう。これはこれは、小さなお客さ――」
僕らはイルベルトの居る吹き抜け小屋に辿り着く。彼の赤黒いシャツの奇妙な模様が、緑と花々を背景にしながら浮き上がっている。すると仮面の視線が僕とスノウを通り過ぎていき、おっかなびっくりと腰を屈めているリズの所で静止した。
「ひぃ……っこっち見てっ……仮面怖いぃ」
「…………」
顎に手をやり、前屈みにリズを凝視するイルベルトを不思議に思い、僕は問い掛けてみた。
「どうかしたのイルベルト?」
すると彼は腰掛けていた椅子に背をもたげて「いや、何でもない」と答えた。そうして仮面を斜めにすると、今そこの藪に隠れたリズを認めながらウンウン唸り、今度は急激に思い至ったかの様に指先をピンと天に向けた。
「それより諸君は何故私の名を知っているのだ。一度も名乗った覚えは無いのだがな。これは妙だ、誠に妙だよ」
再三繰り返された質問に、僕とスノウは顔を見合わせながら苦笑した。
しかして一体どういう情緒をしていればそうなるのか、今度はクツクツと微笑し始めた白い仮面は、今ではすっかり落ち着き払って僕の言葉を待つ様にしていた。テーブルには既にティーセットが置かれていて、ティーカップより立ち上る湯気が降り始めた雨に霧散している。
「うん、僕らもキミに話したいことが……」とそこまで言った所で、彼が足元の大きなカバンから、もう一組のティーセットを取り出したのに気が付く。少しズラした仮面から覗く尖った顎先を見つめていると、その手前で昨日より少し色の薄い黄金色がカップに注がれていく。
「取るがいい、少年よ」
「……」
芳しい香りと共に僕の胸に突き出されたティーカップには、緻密な彩色が施されていて目を奪われる。目前のティーカップより少し視線を上げると、そこには僕を試す眼光が滾っていた。
飄々としていて、全く掴めない魔導商人の言動。横から覗いているスノウの視線を感じながら、僕は差し出された茶器を受け取り、グッと流し込んで見せた。熱い液体が喉を通り過ぎると、花の様な香りが鼻から抜ける。
「……知っているかい少年よ、かつての世界の英国紳士は、一日の内に最大で十回もティータイムを設けていたとか。そして今は丁度、ミッディティブレイクの頃合いだ」
仮面の下から覗いた口元が白い歯を見せて微笑んだと思うと、背もたれに仰け反って大仰に手を広げる。まるで僕らを歓迎するかの様に。
「いまここでキミの口から未知が語られるのを直感した。私にとってその甘美を味わう為には、やはり紅茶が必要なのだ」
細長い足を大胆に組み替え、イルベルトはティーカップを傾ける。
「あいにくとティーポットにはあと一人分の紅茶しか残っていなくてね……それとも、ちゃんと人数分揃えた方が良いだろうか?」
振り返ると、スノウは首を振って、リズは何やら眉をひそめながらイルベルトを窺っていた。二人の意見を汲み取った僕は彼からの申し出を断った。
「必要ないよ、イルベルト」
早速僕は、空を仰いだ彼に本題を切り出そうとしたが、一足早く話し始めたのは仮面の方だった。
「少年少女諸君。まずは本題では無く、何気もない話しをしよう。それが紳士淑女のやり方だ。キミたちは不思議な事にそうでは無いようだが、私の方はキミたちの名前も知らないのだからな」
うっかりしていた僕らは順番に名を名乗った。リズはビクビクと、スノウはぶっきらぼうに。それが終わると、細長い足を高らかに組み換えて、イルベルトはテーブルに頬杖を着き始めた。
「私は魔道商人のイルベルトだ。今ここに広げている様な、未知の伝導を生業としている」




