1 昨日も今日も、明日も……“今日”
二日目
微かな朝陽を小窓の向こうに見つめ、僕はスノウと一緒に薄暗い屋根裏で目覚めた。穴が開きそうなボロの天井を見上げ、僕は溜息と共にこう囁やき漏らす。
「全部、夢だったら良かったのに」
僕がそう言ったのは、屋根裏の隅に積もったメモの山と、今に抜けそうな固い床で眠っていた自分たちの奇怪な行動に、確かな理由を覚えているからだった。起き上がった僕はポケットに仕舞い込んでいたメモを取り出して、そこに書いてある一文に目を這わせる。
・〈この屋根裏は魔女の呪いの影響を受け無い。ここにある痕跡は残され、リセット時刻を越えても記憶は引き継がれる〉
まるで馬鹿げた夢想に取り込まれたようでもある。霧の魔女が僕らの村に無慈悲な呪いをかけたと言うなら、なぜこのようなセーフティゾーンが存在するのか。――魔女が刻の牢獄に閉じ込められて嘆く僕らを眺めて笑うためであるだろうか。
「スノウ、ちゃんと昨日の記憶はある?」眠そうにしたスノウの肩を揺すると「キミが、村にとっての昨日を言っているんじゃなければね」と返答があって心底安堵する。
スノウの太々しい表情が僕を捉える「とにかく、そこに書いてあるメモの内容を確認しよう。村が本当に、繰り返しているのかを」
屋根裏を降りて寝室で身支度を終えた僕らは一階へと駆け降りていく。次第にジャガイモのスープの香りが立ち込めて来るのに気付いて、僕の中に渦巻いた嫌な予感に顔をしかめる。何も知らずにいた昨日までは、あんなに喜んでいたと言うのに。
「あらおはよう。早いのね」
そう言って僕らを迎えたお母さんの向こう側に、昨日と同じ献立が三人分並んでいるのが見えた。僕らは困惑した顔のままお母さんに抱擁される。
「今日は久々に鶏肉を使ったの、今日くらいは贅沢したって、誰も文句言わないわよね」
寸分狂わぬ同じ笑顔に、僕は内心恐怖していた。お母さんに倣ってテーブルに着いた僕は、神に祈り始めるのを遮って震えた瞳で見上げる。
「お……お母さん。鶏肉の入ったジャガイモのスープ、昨日も食べたよね?」
核心をついた僕の問いに、スノウが空気を張り詰めさせたのに僕は気付いた――だけどお母さんは気さくに笑い始めた。
「何言ってるのよレイン。昨日はパンとサラダだけだったじゃない。終戦の知らせを聞いて、夢の中で先にご馳走でも食べてたの?」
「昨日……」腕に鳥肌を立てた僕は「今日は何日だったかな」と囁くように聞いた。
・〈終戦の知らせを受けた翌日(××年十二月二十四日)を村全体がループしている〉
「十二月二十四日よ」
青褪めた僕に気付かずに、お母さんはケタケタと笑った。
窓の近くで小鳥が鳴いて、風が流れ込む……
*
昨日終えた筈の卵係を請け負い、僕らはまた曇天の空の下を歩いていた。
まるでそう定められているかの様に、昨日見かけた村人たちが順番通りに僕らの視界に飛び込んで来る。同じ表情で同じ言動を繰り返す彼女たちを前にしながら、スノウは気味が悪そうに言った。
「同じ演劇を繰り返す、糸で操られたマリオネットみたいだ」
スノウの言葉には否定出来ないものがあって、黙った僕の背中には冷たいものが伝っていった。
「よう卵家」予想通りに、庭先で干し肉を下ろしたセレナは僕らにそう声を掛けた。風に乗った木の葉にくすぐられ、思いっ切りくしゃみをしてから、くすぐったそうに鼻先を掻いている。
・〈人も動物も環境も、あらゆる偶然や思考さえも、一日を同じルーティンの様に繰り返し続けている〉
またもや立証されてしまった一文に内心肩を落としながら、僕は意を決してセレナに詰め寄る。スノウはこんな状況でも僕の背中に隠れていた。
「うわっと、なんだよ突然!」突如詰め寄られたセレナは驚いて干し肉を落としかけてたけれど、僕は構わずに続けた。
「昨日僕らは何をしてた?」
「……はぁ?」
「スノウのピアノ、覚えてるよねセレナ!」
「どうしたんだよ……ピアノを演奏すんのは、今夜の夜会でだろう?」
心配そうにしたセレナの表情から顔を背けて、僕は項垂れた。やはりセレナもお母さんも村のみんなも、昨日の夜会での記憶を忘れ去っている。一日で全ての記憶を忘れ去ってしまう彼女たちにとっての“昨日”は、どれだけの月日が経過しようとも、戦争の終結したあの日なんだ。
「セレナ、信じられないと思うけれど、聞いて欲しいんだ。僕らは、この村は……繰り返しているんだ! 魔女との戦争が終結した次の日、夜会のある今日というこの日を、何度も!」
鬼気迫る様相の僕らを認めて、一度は荒唐無稽な話しを腹に落とし込んだ様子のセレナであったけれど……
「ぷっは! なんだ、まだまだガキンチョだなぁ、変なごっこ遊びも大概にしろよな」
「ごっこ遊びなんかじゃ――」
「ああ〜はいはい。わかったわかった、こりゃ陰謀だー大変だなぁ。んじゃ、夜会でな、ちゃんと卵は届けるんだぞ。オムレツが出て来なかったら、ぶっ飛ばすからな」
腹をよじってひとしきり笑った後、セレナはひらひらと手を振って僕らを追い払った。決死の思いの告白が簡単にあしらわれてしまった事に憤りを覚えて、僕らは道ゆく村人にも繰り返しの真実を伝えた。けれど誰も僕らの話しに真剣に取り合わなかった。
・〈僕らの話しは相手にされない〉




