4 自分からのメッセージ
打ち付ける雨音が、固く閉ざされた心の扉をノックし始めた。薄暗く、ぼんやりと闇に浮かんだスノウへと、僕は詰め寄る。
「またって……またってなんだよスノウ! キミはこの繰り返しに気が付いていたって言うのか!?」
胸ぐらを掴まれたスノウの瞳は沈んでいた。彼の薄い唇から言葉が流れ出す。
「違うよレイン。僕はキミのメモを見て、この屋根裏に来て、そこで思い出したんだ。キミもそうなんだろう?」
「……っ」
「強い記憶にあてられて、微かに思い出した。僕らは以前もこうして、二人でこの謎に直面していた……そう、何度も」
そう言われた僕はスノウから手を離した。記憶を探ると、確かにここでこの謎をめぐりスノウと額を突き合わせていた記憶がある。……彼もまた思い出したんだ。僕と同じく衝撃的な記憶に触れた事によって。
「ごめんスノウ……気が動転して。キミを疑うなんてどうかしている」
「仕方がないさ。こんなものを見せられたら」
スノウの視線が向かったのは、インクと羽ペンの乗った小さなテーブルの奥に積み上げられているメモの山だった。そろそろとそちらに向かっていった僕は、にわかには信じられない――けれど確かに僕らが記したと確信のあるメモを慎重に取り上げていった。どの紙にも最後には僕の名前が記されている。疑いようも無く癖のある僕の筆跡で。
「繰り返している……? 僕もみんなもこの村も、ずっとずっと、全て忘れて、今日という一日を?」
頭ではまだ信じられない。だけど確かに記憶の名残りがある。遠い昔の事のように薄ぼやけた記憶であるが、確信に近い何かが。
怯えて丸くなった僕の背中にスノウが言う。
「とにかくそこにある情報を整理しようよ」
彼の言葉に頷いた僕はメモの山に手を突っ込むと、貪る様に読み漁り始めた。
「スノウも手伝って」
得体の知れないメッセージに肝を冷やしながら、僕らは情報の整理を始める。所々塗りつぶされた箇所のある数多の情報は交錯し、重複し、とめどもないまでに錯綜していたが、村の消灯を告げる二十二時の鐘から二時間ほどが経過するとまもなく、僕らはその目的を達成した。
――整理された情報はこうだ。新しい紙に箇条書きで抜き出しながら読み上げていく。
・〈終戦の知らせを受けた翌日(××年十二月二十四日)を村全体がループしている〉
・〈人も動物も環境も、あらゆる偶然や思考さえも、一日を同じルーティンの様に繰り返し続けている〉
・〈強い記憶に触れると、忘れ去る前の断片が蘇る事がある〉
・〈僕らの話しは相手にされない〉
・〈石の壁の外には、既に死の霧が充満している〉
・〈〇時二十一分三十二秒になると、世界がホワイトアウトしてリセットが行われる〉
・〈リセットによって村に残した痕跡は消え去り、全てが“今日”の始まりに戻る〉
・〈この屋根裏は魔女の呪いの影響を受け無い。ここにある痕跡は残され、リセット時刻を越えても記憶は引き継がれる〉
・〈これら全てが、霧の魔女によって仕向けられた呪いである〉
スノウと共にメモに落とした視線の先で、握った羽ペンが影をゆらめかせる。未だ愕然としたまま、僕は一度唾を飲み込んだ口を開く。
「魔女の呪い……僕たちは、“今日”をループしている?」
多分、正気ではないような顔付きをして頭をもたげた僕に、スノウは細い視線を返していた。
「信じるのかい?」
「信じ……たくない、信じられない。でも、それならこの記憶はなんなんだ! 何度もキミと一緒に、この呪いに直面して来たこの記憶は!」
もしここまでの情報が全て真実なのだとすれば、過去の僕らは、これ程の情報を得る為に、どれだけの時を費やしたと言うのだろうか……考えると、狐につままれた様な空寒さを感じてゾッとした。
スノウがポケットから真鍮の懐中時計を取り出した。既に〇時を過ぎた事がそこに示されている。メモに記されていたリセットと言うのが本当に起こるのだとすれば、もう猶予がない。渋々ながら僕は言った。
「寝具をここに持ってきて、今日はここで過ごそう。馬鹿げていると思うけれど、そこに書いてある事が真実かは確かめる事ができる」
頷き合った僕らは、二階の寝室からシーツを持って来ると――底知れぬ恐怖が僕らにそうさせたのか、示し合わせたように一緒に包まった。屋根裏の小さな窓から、闇の垂れた村を横目にしながら考えを巡らせる。そして一つの疑問を抱いた……
「魔女の呪いから逃れられるというこの屋根裏――言わばセーフティゾーンであるこの場所で記憶が引き継がれると言うのなら、どうして僕らはこの事を忘れていたんだろう」
「……とにかく、あらゆる現象の真偽を確かめよう、そうだろレイン」
屋根裏の隅に腰掛け、ゆらめくランプの炎を見上げる僕らの間には、懐中時計の一つが開かれたまま置かれている。まるで断罪の時を待つかのような重苦しい空気の中では、時の流れが異様に遅れて思えた。
その間僕らは不安を誤魔化すように、答えのない質疑を繰り返した。まずは僕が、そしてそれに応えるようにスノウが答える。
「今起こっている事が本当だとして、どうして霧の魔女は僕らにこんな呪いを掛けたのかな」
「わからない」
「そもそも霧の魔女は昨日死んだって、そう聞いたじゃないか。これはもしかして死の霧の影響なのかな」
「霧の魔女はその名の通りに実体のない存在なんだ。誰かに擬態して生き延びていても不思議じゃない。それと死の霧は命を奪う霧なんだろう? 僕らは生かされているじゃないか、ずっと同じ一日を」
「……村のみんなは、この真実を知ったらなんて思うかな」
「そこに書いてある事が本当なら、一日経てば全て忘れるさ」
過ぎる疑念の数々と、夢を見ているかの様な浮ついた心情……いっそ夢であってくれと願いながらも、僕らの意識はハッキリとそこに残り続け、醒める事は無かった。
手元に置いた情報を要約した紙に、思い出したように自分の名を記した時だった。
「来るよレイン」スノウがそう言って、僕を見つめる。懐中時計の針が、〇時二十一分を指している。もう数十秒ともせぬ間に、この呪いにおいて最も不可思議なリセットという事象が発生する。
異様なくらいに怖くなって、僕らは手を取り合った。
――次の瞬間、世界を包むかのような白き発光が窓の向こうで爆ぜた。そうして一瞬、ホワイトアウトした景色の中で気付く……光と思われた白の正体が、濃密な白き霧であるという事実に――
「レイン、見て!」
外の世界の霧が消失した後に、視線の先で、懐中時計の針が物凄い速度で逆回転を始める。さらに屋根裏の小窓から、巻き戻っていく村を目撃する――
「世界が、目まぐるしく動き回っている……!」
「夜が明けて、雨が降って、陽が差してっ! 村が超高速で巻き戻っているんだ!」
今日過ごした丸一日が、ものの数十秒という間に巻き戻された。夜が戻り、夕暮れを抜けて、雨と日差しを垣間見たかと思うと、また夜に変わる。目眩を起こす情報過多。翻弄され、吐き気を催し視線を背けると、巻き戻った懐中時計の針が〇時二十二分を示し、正常に回り始めた事に気付く。
「今のが……」
「リセット……魔女の呪いが、本当に起こった」
・〈〇時二十一分三十二秒になると、世界がホワイトアウトしてリセットが行われる〉
僕らの世界が昨日に巻き戻った。この視界に映った景色は全て、もう通り過ぎた筈の時間なんだ。言葉を失いながら思う……
――僕が、変わらない毎日を望んだから……
なんと皮肉な結末だろうか、僕らは刻の流れから隔絶されていたのだ。まるで生きたまま氷結されたかのように。そうとさえ気付かずのうのうと繰り返していたんだ。
僕らの喉が同時に鳴った。そして仰け反り、窓に映る静寂の闇に絶句し合う。
――もしこれが、霧の魔女によって引き起こされた呪いだというのならば……
「僕らの止まった秒針を、誰かが動かさないといけない」
囁いた僕の横顔をジットリと眺め、レインは静かに頷いた。