第七話
もの凄く遅くなってしまい、申し訳ございません。
もう最悪だ…!
ココを受験する時と同じくらい必死で頑張ったのに、全てを無駄にされてしまった俺は絶望に打ちひしがれていた。
怒りと悲しみのあまり飛び出してきてしまったけれど、結局のところ行き着く場所はいつもの桜の木の下だった。
幹の隙間に挟まるような形で座り込み、膝を抱えて零れ落ちてくる涙を隠す。
補習を免除されることによって生活の心配をしなくて良くなることよりも、課題をこなしていくことの達成感の方が嬉しかった。
ただ今は単純に、努力した成果を無為にされてしまったことが悲しかった。
自分が今、この学院に来てこうしていることさえも嘲笑われているようで…。
「何で俺は……何も出来ないんだよ……っく…っ」
あの人に会いたい。
いるかもどうかも分からない人を求めるなんて自分はどうかしているって分かっているのに、それでも欲してしまう心を止められなかった。
…あの時と同じだ。
大切な思い出を失ってしまった瞬間に感じた、どうしようもない寂しさ。
あの人を失って、記憶まで無くなって…。
心の何処かが、いつも空虚に満ちていて不安だった。
だからこそ、今出来ることを精一杯にやってきたつもりだった。
自業自得とは言え、ああやって目の前で崩れ落ちていくものを見ると途轍もなく堪らない気持ちになる。
最初から何もなかったかのように。
何をしても、結局は無駄だと言われているようで。
全ては泡のように弾けて消えてしまうような気がして。
「う…っく……こんな事で……ひっく……泣いてる場合じゃ…ない、のに…っ」
それでも口の端から零れてしまう嗚咽を止められない。
後から後から止め処なく溢れてきてしまう。
子供のように泣きじゃくるなんてって思っても、込み上げてくる意味不明な熱いモノをどうにかするなんてこと…出来なかった。
誰でも良い。
あの人でないなら誰でも同じなんだ。
少しでいいから…誰でも良いから、温もりが欲しい――――――
「…っ」
そう切に願った瞬間、その思いは叶った。
そっと背中に回された腕。
初めは驚いてぴくりと身体を震わせてしまったけれど、徐々にしっかりとしていく力強い抱擁に安心感を覚え、俺は強張っていた身体から力が抜けていくのを感じていた。
ゆっくりと頭を上げると、目の前には同じ色のタイを身に付けた制服が視界に入ってきた。
顔を見ようとさらに視線を上げようとしたが、胸元に引き寄せられて強く抱きしめられていた。
「ぁ…」
トクントクンと聞こえてくる鼓動。
服の上からでも感じる、温かい体温。
抱きしめられた腕の温もり。
まるで何かから守るように優しく抱くその人の匂いに、俺は何処かで既視感を覚えていた。
「ま……さ、と?」
そんなまさか、と思いながら小さく名前を呼ぶと、回された腕がぴくりと反応を示す。
確かめるようにその胸に腕を伸ばすと、さらに強く抱きしめられた。
「大丈夫……俺がいるよ。お前は何も……不安に思うな」
「でも俺…」
「いいから……このまま大人しく抱きしめられてろ」
そっと耳元で囁かれるテノール歌手のように涼やかな声。
いつも聞き慣れているはずなのに、どこか甘さを含んだ音が優しく鼓膜をくすぐった。
俺はその胸にコツと頭を預けて、全てを雅人に委ねる様に甘えることにした。
今はただ…何も考えないでいたかった。
「うん…ごめん、雅人」
「……」
雅人はそれには答えず、ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めてきた。
俺は子供みたいにその温もりに縋りついて、言われるままに雅人の胸に顔を埋めるのだった。
************
「落ち着いたか?」
「ん…」
雅人はポンポンっとあやす様に俺の背中を叩いた。
どのくらい時間が経ったのだろう。
そんなに経っていないような気もするけれど、何時間も経ったような気もする。
俺はようやく気持ちが落ち着いてきて、そっと吐息を零した。見上げるように様子を伺うと、雅人の態度はいつもとは全然違っていたけどからかうようにニヤリと笑った顔はいつもと同じだった。
端整な顔立ちから時折見える八重歯が可愛いのにカッコイイ。
(ほんと、神様って不公平だよな…っ)
ちょっと恨めしく思いながら上目遣いについ睨んでしまう。
「ん?何だよ?親友様に向かってそういう顔するかぁ?」
「いひゃっ、にゃにすんにゃよっ」
「お前の可愛い顔を、もっと可愛くしてやってんだよっ…このっ、ちっとは俺の苦労を思い知れっうりゃうりゃ」
「にゃんだとましゃとのくせにぃぃいぃぃ~~っ」
俺のほっぺたを引っ張りながらじゃれてくる雅人に応戦。
って、マジ痛いんだっての!ちょっとは手加減しやがれってんだっ!
普段は身長差でリーチが足りなくて負けるけど、今はかなりの超接近戦。
ヤツが顔なら俺はココだ!!
…こちょこちょこちょこちょこちょ
「うひゃひゃひゃひゃっ、ちょっ、おまっ…やめれ…っあはっ、あははははは!!!」
「うっしゃいっ、おみゃーにゃんかこぉだこのっ、にゃんでそんなデケーんだよ…っ、ひょっとはおりぇに寄こしぇぇーっっぉりゃおりゃああぁあ~~!!!!!!」
顔が良くて頭が良くて金持ちでついでに性格も良いなんてありえねぇ!!!!
俺は日頃から感じていた理不尽な(八つ当たり上等的な)気持ちをぶつけるかの如く、雅人のわき腹をくすぐりまくった。
なんでなんでなんだって俺の周りはこうも理不尽で不平等でヒイキに満ち溢れてんだッッ!!
身長だって平均以下の167センチだし、顔もフツーだし頭に至っては再追試。
唯一誇れるのはこの新月の夜よりも真っ黒な髪くらいだ。
それも、オトコだからあんまり人に自慢出来たことじゃない。
個人的には気に入ってるからいいんだけど。
「おまっ、マジやめれっ…んな可愛い顔してっと襲うぞ!!」
「はぁ!?だから俺が可愛いとか言うな!!お前マジ頭どっかイカレてんのか!?眼科行け眼科!」
(…お前がそんなんだから苦労するんだよ)
「何か言ったか!?」
「いーえ?」
にこにこと満面の胡散臭そうな笑みを浮かべる親友に、何かわからんがムカつく。
ぜってーこいつ、腹で何か考えてんな…。
俺はいぶかしむように雅人の顔を覗き込むと、不意に頬を抓んでいた手がするりと後頭部の方へと寄せられる。
……?
「なに…?」
「いーや?何でも?」
「…嘘つけ。何か企んでんだろ?お前がそうやって、胡散臭そうな笑いしてる時はいつもそうだ」
「うさんくさって…ヒドイなぁ…俺は一応、キミの友人のつもりなんだけど?」
「こんな友達を持った覚えはないっ」
「ヒドッ!今のは傷ついた!本気で悲しくなったぞ俺は!!」
「ふふっ…」
意地の悪い気持ちになった俺は、雅人にいたずらを仕掛けようにそっとヤツの耳元に顔を寄せて言ってやる。
「ばーか、友達じゃなくて、親友…なんだろ」
からかうように普段じゃ絶対言わない臭い台詞を零すと、雅人は面白いように固まった。
放心した顔でかちーんっと硬直するヤツを見るのはこれが始めてだ。
…そんなに驚くようなことか?
自分でやっておいてなんだが、笑いを取るつもりだったのに。
「もしもーし、まーさーとークーン?」
ツンツンと顔を突いても何の反応もない。
ちぇ、つまらん。
まあいいや。
とりあえず、こいつのおかげで何に悩んでいたのか忘れた。
時折、どうでもいいことで凄く悲しくなったり、泣きたくなったりすることがある。
そんな時、落ち着くまで一人で泣いているのが通例だったけど、今回は雅人のおかげですぐにスッキリしたし、どこか安心した。
「ありがと、な」
聞こえないようにそっと言って、ばちーんと雅人の頬にビンタをかましてやった。
「んなっ…凛っ!?」
「いつまで呆けてんだよ、バーカッッ。先に戻ってるからなっ」
恥ずかしさを誤魔化すために、そのまま雅人の傍から離れて飛び出す。
一先ず教室に戻ろうと、校舎の方へと駆け出した。
後ろから俺を呼ぶ声が聞こえてきたけど、そんなもんは無視だ無視。
「でも…マジ助かった、かな」
「何が助かったの?」
零した独り言に返事が返ってきてびくっとする。
不意に顔を上げると、そこには不機嫌な表情を露わにした王子が立っていた。
「ねぇ、凛…。キミはいったい、何を考えているの」
そっと近寄ってくる絶世の美貌に、俺は背筋が凍るのを感じていた。
(何で……怖いんだ)
一歩ずつ距離が縮まるに連れて、今来た道を引き返したくなる。
無意識に一歩後ずさると、ますます向こうの機嫌が悪くなるのが分かった。
「嘘つきは、魔女の始まり…なんだよ」