第二十話
目が覚めると、いつもとは違う白い豪華な壁が見えた。
うーん、と寝返りをすると、さらりとした気持ちの良いシーツが肌をくすぐった。
「あれ、なんでおれ、ねてたんだろ? ……てかここ、シューランのおやしき?」
何故自分がシューランの屋敷の部屋で寝ていたのか分からず、伸びをしながら周囲を見回した。
するとすぐに、傍らに座ったまま眠るシューランの姿が見えた。
「シューラン……? こんなとこでねてたら、かぜひいちゃうよ?」
いつも自分が注意されていることなのに、シューランってば人のこと言えないじゃん。と思いつつも、さっきまで包まれていたシーツを引っ張って、シューランの肩に無理やり掛けた。
「うーん、しょっと。これでいいかな? シューランがねてるなんて、めずらしー」
しげしげと物珍しいものを見つけたように、のんびりと観察をする。
というか、この人が眠っているのを初めて見た。
いつも会うのは昼過ぎから夕方に掛けてだし、たまに朝早くに来ても、いつだって起きていた。
寝起きで寝ぼけたところなんて見たこともないし、そもそも寝ているシューランを想像したことがない。自分はいつも、天気の良い日は桜の木の下でお弁当を食べて、ウトウトしてしまったり、そのまま寝ていたりすることなんて日常茶飯事だ。
時折、こうしてお屋敷の部屋までシューランが運んでくれることもあったくらいだ。
「あれ……おれ、なにしてたんだっけ?」
確か、今日は泊まって行っても良いと言われ、夕飯を食べた後で星を見に外に出たような……――――そこからの記憶が全く出て来なかった。
「まぁ、いっか。そーだ! エイさーん、カナメ~」
パタパタと駆け足で扉を開け、屋敷のどこかにいる二人の名を呼ぶと、すぐにエイが姿を現した。
「リンさん、どうされたのですか?」
「もぉー! さん、とかやめてっていつもゆってるのに……あとていねいなのもダメっ」
「あぁ、すみません、クセなものでして。では、リン。どうかしたのか?」
「うんっ、それでいいよっ。あのね、シューランがめずらしくねちゃってるの。かぜひかないかしんぱいで……」
なんとかして? と頼むと、エイは柔らかく微笑を浮かべると、すぐに部屋の中へと滑り込んでいった。
「ボクを呼んだりした? リンちゃん」
「あ、カナメ!」
「何でボクだけ呼び捨てなのさー! エイだけ贔屓しすぎじゃない? リンちゃんってば!」
「だって、カナメってばいっつもおれのこと『ちゃん』づけすんだもん。やめてくれたらかんがえるよー」
「だってリンちゃんはリンちゃんでしょう?」
「ちがうし! おれおとこだし!! まぁいいや、そんなことよりさぁ~」
おれどうしたんだっけ、と聞こうとした瞬間、バタン!! ともの凄い音と共に扉が開かれた。
「リン!!」
「あれ、シューラン、おきたの?」
のんびりとした口調で、かぜひかなかった? と告げる前に、その広い胸の中に囚われた。
「うわっ」
「リンッ、この馬鹿者が……!」
「えっ? えぇっ? ちょっ、どうしたの、シュー…ランっ! 苦しいよ……っ」
よく分からないままぎゅうぎゅうと抱きすくめられ、抵抗する気も起きずにされるがままになっていた。
けれど窒息死するのは嫌だったので、ぽかぽかとその胸を叩いて力を緩めてもらう。
それでも一向に離してくれる気配がなかったので、足らない短い腕をぎゅっとその背に回して抱きしめ返した。
「シューラン……? だいじょうぶ? どっか痛いの……?」
「それは私の台詞だ、この馬鹿……!」
「えぇ~…なんで!?」
抱きしめられたと思ったら怒鳴られた。
なんでおこられてんの!?
う~ん、と考えても分からなかったので、とりあえず謝っておくことにした。
「よくおぼえてないんだけど……ごめんね?」
「お前が謝るなっ」
「うぇ~ん……ますますいみがわかんないよ~シューラぁ~ン」
半ばベソをかきながら抗議するけれど、教えてくれなさそうだった。
助けを求めようとエイとカナメに視線を向けるけれど、エイは云々と頷いているだけだし、カナメに至っては呆れたような顔をされた。
……だからなんで!?
「どこも痛くないのだな!?」
「ふぇ……うん、おれはいつでもげんきだよっ」
「そうか…。頭がふら付いたり、どこか具合が悪い部分はないのか?」
やたらと心配してくるシューランが不思議で仕方がなかったけれど、どこも変わったところはないと教えてあげる。
いつもならヘンなのって言うところだけど、ちゃんと言わないとどうにかなってしまいそうなくらいシューランの様子がおかしかったから。
「うん、だいじょーぶ。けど……」
「けど、なんだ!?」
「えっと、おれ……ねちゃうまえのこと、おぼえてないんだけど……おれ、なんかしちゃった?」
「……っ!」
正直に告げると、自分を抱きしめていた腕がピクリと震えるのが伝わってきた。
…やっぱり何か迷惑を掛けてしまったのだろうか。
不安になってシューランを見上げると、戸惑うように眉間にしわを寄せていた。
「シューラン? やっぱりおれ、めいわくかけちゃったの?」
「……あぁ、いや、そうではないのだ。お前のことが迷惑などと思ったことは一度たりてない」
「そうなの?」
きょとん、と見つめて問うけれど、難しそうな顔をしたままのシューランが不思議でならなかった。
自分が迷惑を掛けたわけではないのなら、どうしてそんなに苦しそうな表情をしているのだろう。
「あぁ。だから、今日はもう寝ていなさい。身体に障る」
「えぇー! せっかくシューランといるのに、ねるなんてもったいないよっ!」
「ならぬ。あとで話でもしてやろう。だから今はベッドに戻りなさい」
「うぅ~……シューランのけちぃ」
「私はケチなどではないっ。早くせぬならベッドに括り付けて数日遊んでなぞやらぬぞ」
「うえぇぇぇええぇえっ、それはいやっ! わかったっ、わかったからベッドにしばるのはやめてぇえぇえぇぇえぇぇ!!」
「わかったのなら良い。カナメ、リンを部屋へ連れて行け。私はエイと話がある」
「なんでボクが……ってハイッ! 分かりましたからすぐにモノを投げるのは止めてくださいよぉぉぉぉ!」
ぎゃーぎゃー騒ぎながら急いで部屋へと向かう。
この際、シューランの怒りはカナメ一人が受ければいいよな、と薄情にもカナメを見捨てることにした。
だって怒ったときのシューランってホントまじで怖いんだもん。
ガシャンとモノが飛ぶ音を聞きながら、走って部屋へと戻っていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
執務室とは名ばかりの、書斎代わりの小さめの部屋にエイを呼びつけた。
ほとんど使われていない大きな机に手を置きながら、これからの事を思う。
幸いにも、自身の血を使ったことによる弊害は今のところ起きていないようだった。
眠り続ける凛が心配でならなかったが、もう大丈夫そうだ。
仮にもし、何か異変が起きたとしても、魂の誓約がすぐさま己に伝えてくるだろう。
――――もう傍に、いる必要など何処にも無かった。
「明日、だ。明日の宵、リンに全てを話す」
「……御意」
「あの子は……怒るだろうか」
「…分かりません。しかし」
「だが、なんだ」
「リンさんは、レイン様の血族と陰陽の娘一族の血を受け継ぐ唯一の者。……レイン様が魔女であるフェルーナ様の母君を受け入れたのなら、同じように全てを受け入れるように思います」
「……そうか。皮肉なものだな」
そっと、部屋の窓から見える、屋敷の庭に大きく聳え立つ大木を見つめた。
かの血族である凛の血を僅かにでも得たためなのだろう。
以前よりも力を増し、より強く咲き誇る紅色の華。
自身を呪った一族の血と、自身の一族を愛した一族。
その両方を兼ね備えた唯一の子供。
心はその存在を欲して止まないのに、身体はその血を奪わなければならない。
その矛盾が、こんなにも己を蝕むなどと思ってもみなかった。
それでも。
「出会わなければ良かったなどと思えない私は、もう妖でも人間でもない、ただの異形なのだろうな」
零した言葉に、エイは答えられなかった。