その2。
日付けさかのぼって3月の話です。
「ごめん。陰性だった」
襖の向こうから、消沈したような声が聞こえる。
いったいなにを謝ることがあるというのだろう。手もとの携帯から『たかくんに感染してなかったのなら、よかった』とメールを送ると、すぐにそれを読んだらしい天輝から、『無症状の陽性だったらよかったのに』と返信が来る。
「そしたらここを開けられた。えりさんの顔を見て、えりさんに触れた。ねぇ、もう3日もまともに顔すら見てないよ。同じ家にいるのに」
天輝の声が近い。こちらに寄りすぎているのではと、また携帯から『たかくん、あんまり襖に近寄らないで』とメールを送れば、ごめんという声とともに遠ざかる物音がする。
部屋を分けているとはいえ、たった襖1枚。どれほどの感染予防効果があるのかわかったものではない。
病院から電話でPCR検査の結果を告げられた瞬間から、天輝にも移してしまったのではないかと、そればかりが気がかりだった。
喉の不調と発熱があって検査を受けておきながら、自分がまさか新型ウイルスに感染しているはずがないと、その日の食事と就寝をいつも通りに天輝と共にしていたのだから、迂闊にもほどがあった。
陽性を知らせる電話のあと大慌てで部屋を別にしたけれど、濃厚接触者として自宅待機になった天輝が、職場から送付された検査キットを使うたった今まで、襖越しにほんのかすかな咳払いが聞こえただけで不安になったものだ。
この3日、私はトイレや入浴以外で部屋を出ることはほぼなく、天輝とは接触していない。現時点で陰性なら、このまま別々の部屋で過ごしていれば移る可能性は低いのだろう。
陰性なら、濃厚接触者は1週間ほどで待機期間が明ける。年度末の多忙期に出勤停止にさせてしまったことは申し訳なかったけれど、陽性だったらさらに期間が延びていたことを思えば不幸中の幸いだった。
「あとね、えりさん、もういっこ、ごめんなの」
なんだろう。妙に歯切れの悪い言い方。
なかなか言葉を継ごうとしない天輝に、『どうしたの?』とメールすると、少しの間のあと、「これ、さっき課長から来たメール」と1通のメッセージが転送されてくる。人事異動の通知だった。
「え、異動?」
思わず声が出てしまった。喉が刺激されて、咳込んでしまう。マスクの上からタオルを押し当ててこらえようとするけれど、止めようがない。
「えりさん、恵凛、大丈夫?」
天輝の心配そうな声が聞こえるけれど、返事をすることもできない。
熱は2日ほどで引いたものの、ひどい喉の痛みと咳はずっと続いていた。声を出すと咳込んで止まらなくなり、呼吸をすることすらままならなくなる。すべての空気が絞り出されて、肺が潰れるのではないかと思うほどだ。
数分かかってようやくある程度治まって、改めてメールの内容を見てみる。異動先として記された地域名に覚えくらいはあるものの、現住所からどれほど離れているのか、地理に疎い私にはピンとこない。
『ここから通える?』と聞いてみれば、「無理だと思う。高速使って片道たぶん2時間くらいかかる」と返事がある。
車で片道2時間。免許は持っているものの、天輝は運転があまり得意ではなく、公共交通機関を利用した通勤を好まない。だから職業柄、数年おきに異動があるのは仕方ないとして、住まいは職場から徒歩かせいぜい自転車で通える圏内に移してきた。
天輝の異動が転居をともなうものであれば、運転免許を持たない私もそのつど転職を余儀なくされた。
今回の異動は天輝自身が希望を出していたものだったから、あるのだろうと覚悟はしていた。異動先がここから通える場所であればと願っていたけれど。
『そっか、じゃあ、私は仕事辞めないとだね』そう送れば、「うん、ごめんね」とまた謝られる。
職場には、3月なかばには夫の職場で人事異動があること、異動先によっては私は退職しなければならないことは毎年伝えている。今年はほぼ間違いなく異動があるだろうからと、上司に断りを入れたうえで3月後半のシフトはすべて休みの希望を出していた。
異動告知から2週間ほどで転居作業を完了しなければならず、天輝は引き継ぎ業務で荷造りにはまったく手を割けないことは経験済みだ。私ひとりですべてをこなすのに、仕事と同時進行は到底無理だった。
ここ数年は異動があっても同じ建物内の別の部署だったり、転居をともなわないものばかりだったから、今回もそうだといいと思っていたのに。
自宅療養期間が明ければできるかぎり速やかに仕事に復帰できるよう、上司も本部もいろいろと手配してくれていた。それらの気配りに応えることもなく、このまま出勤することなく辞めなくてはいけないのかと思うと、申し訳ない気持ちになる。けれども決まってしまったものは仕方ない。
職場の都合もあるのだから、退職するのであれば連絡は即座にするべきだろう。
上司宛に夫の異動辞令が出たこと、引っ越す必要があるので復帰せず退職する旨をメールすると、それほど間を置かずに返信が来る。
「職場に連絡したの?」
『うん。本部への通達や退職手続きはやってくれるみたい』
上司からの返信には、『非常に残念です。』の文言が二度も記されていた。辞めてくれてせいせいすると言われない程度の働きはできていたのだろうか。そうだといいなと思いながら、鏡台の上のカレンダーに手を伸ばす。
今日が11日の金曜。新居を探すとして、2人で一緒に不動産業者を回れるのは土日だけ。明日・明後日は私も天輝もまだ療養・待機期間だから駄目で、そうなるとさらに次の土日と、月曜の三連休で新居を決めて引っ越し業者を手配して、荷造りして。
今後の予定を頭の中であれこれと組み立てながら、天輝にもメールを送る。
「不動産屋さんに行くのは19、20、21ね。わかった。俺たぶん引っ越し準備全然できないと思うけど、えりさん大丈夫かな?」
正直まったくこれっぽっちも大丈夫な気がしない。発症してからというもの、頭が働かず体力もなくなって、ここ数日ほとんど寝て過ごしているのだから。
だけど待機期間が明ければ天輝はきっと、溜まった仕事と引き継ぎに忙殺されて引っ越し作業どころではないだろうことは予想できた。
『大丈夫。がんばる』
それだけ送れば、「ありがとう。じゃあ、お願いね」と天輝の声が聞こえる。
携帯を閉じて、寝転ぶ。
新しい部屋はすぐに見つかるだろうか。引っ越し業者は手配できるだろうか。転居にともなう手続きと、住所変更もろもろの届け出と、荷造りや片付けは、間に合うだろうか。
ただでさえ日数がないのに、療養期間が終わらなければなにもできない。
よりにもよって、なんだってこんな時期に感染したんだろう。タイミングが悪すぎて嫌になる。日ごろの行ないが悪いのだろうか。
仕事、辞めたくなかったな。ここは住み良い土地で、部屋も気に入ってたし、引っ越したくなかった。ずっとここで暮らしていけたらとさえ思っていた。
別の土地でまた一から環境整えて、慣れていって、仕事も新たに探さないといけないのかと思うと、気持ちがふさいでくる。
けれどもう、決まってしまったものはどうしようもない。
翌週、一足先に外出可能になった天輝は出勤していき、その日は帰ってこなかった。
夜になって、感染の可能性を少しでも下げるために職場近くのビジネスホテルに移ることにしたというメールが来る。ここにきて天輝が感染でもしようものならいろいろ詰むから、妥当な判断だろう。
いよいよ明日は私も療養期間が明けて、ようやく外出できるというときになって、ふと天輝が帰ってきた。
「えりさん。これ書いてくれる?」
そう言って襖の隙間から差し入れられ、床に落ちたそれを拾い上げる。
「……ええと、これは?」
「見ればわかるでしょ。初めて見るんでもないんだし」
ずいぶん嫌な言い方をするな、と思ってしまう。
確かに、見ればわかるものだった。もうかなり前にだけれど、見た覚えも書いた覚えも、なんなら役所に提出した覚えまである、俗に『緑の紙』と呼ばれる、それ。
離婚届だった。