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プロローグ『違和感』

(これは…)


 暗く、冷たく、静かだったはずの景色が、

 明るく、温かく、騒いでいる。


 森が、燃えている。



 尻にじんじんとした痛みを感じ始め、彼は尻餅をついていることに気がづいた。激しい鼓動を感じ、呼吸を思い出した。一瞬だけ失われていた感覚が戻ってきて、少しだけ冷静になる。


(とりあえず、ここから離れよう。)


 わずか数メートル先、ごうごうと燃える炎の中で樹木がバチバチと音を立てている。さすがにこんなところでいつまでも尻餅をついている場合ではない。幸い、背を向けていた方向にまで炎は及んでいない。 



 後ろを振り向きつつ腰を上げて走り始めたとき、背後から、おそらく炎の中から、甲高い悲鳴のような音、バキバキと枝を踏み割る音が聞こえる。こちらに向かっているように感じる。


 この森に化け物がいることは確認済みであった。異常に大きいイノシシ、身体のあちこちから蛇が生えた小人、首の根本まで裂けた大きな口と鋭い牙をもつ鹿。遭遇したら命はないだろう。

 

 彼にとって、背後から迫るそれはまさに死神である。


(やば、詰んだんだが。)


 死を覚悟しつつも彼は足を進める。この絶望的状況の打開策はない。あったとしても、思いつくための時間と心に余裕がない。だから、彼の生への執着心はただ足を動かす。他に化け物が潜んでいることなんて考慮せず、背後から迫る死神から逃れることだけに全力を注ぐ……


 ……はずだった。



 突然、彼の背中を僅かな衝撃が押した。彼は冷たくごつごつした地面に身体を預けて、うつ伏せになる。


 起き上がり、多少の土をはらう。逃げるために使っていた足が、さっきまで尻餅をついていた場所に戻るために動く。なぜか、必死な感情も化け物を恐れる感情も存在していなかったかのように冷静になっている。


(化け物は、いない。安全だ。)


「あれ、今のは…」


 ふと、自分の中で呟いたことに対し、違和感を感じる。どうして化け物がいない、安全だと確信できるのか、その根拠は存在しない。

 そして、それとは別の違和感に気づく。いつの間にか炎が消え、暗く、冷たく、静かな景色が取り戻されている。そのこと自体に違和感は感じない。だが、そのことに多少なりとも驚かない自分に違和感を感じている。



 さっきまで尻餅をついていたと思われる場所に立ち止まった。再び足を進めるとぬちゃぬちゃと水っぽいものを踏んでしまう。暗くて何も見えないが、恐らくさっきまで背後にいた雑魚の一部だろう。


 とくに不快感も感じずに、彼はそのぬちゃぬちゃを漁る。



「見つけた、俺の、俺の…」


 くしゃくしゃになったティッシュ。さっき鼻をかんだティッシュ。ぬちゃぬちゃに浸かってたのに一切水分を吸っていないティッシュ。

 彼は、それを拾い上げ、ポケットにしまった……


 ……そのとたん、一気に恐怖が、不快感が、衝撃がこみ上げる。


(俺が…、今触ってたのって…)

 

 自分の生臭い手を見ようとしたが、暗くて見えない。


 信じたくない信じたくない信じたくない信じたくない信じたくない……


 ……信じたくないのに、ぬちゃぬちゃした感触が、生温かい温度が、じわじわと体験の記憶が蘇ってくる。


 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……


 ……気持ち悪くなって、吐き気がこみ上げる。



 森の中を彷徨い、肉体的に疲労していた彼の、


 化け物に怯え、さらに現在進行形で精神的な疲労が蓄積し続ける彼の、


 意識が、遠のいてゆく。



「なんで、俺…、こんなこと…」



 自分を理解できないまま、彼は気を失った。

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