第32章──絆Ⅲ
Ⅲ
思わぬ情報が飛び込んで来たのは、錫が真堕羅から帰宅して数日が過ぎた夜のことだった。
「なんですって?…ポッキーのおじさんが処刑!?」
「はい。天甦霊主様に呼ばれて直々に聞きましたので確かです。これから堕羅の大門の前で公開処刑だそうです…」
「しょ、処刑って…ポッキーのおじさんは鬼なのよ?」
「私にも訳が分かりません…。無にされるということでしょうか?」
「大変じゃないの!──処刑を言い渡したのは誰?」
「……天甦霊主様ですけん…」
「自称神様──やっぱりあの神様は胡散臭いわ…まったくもう!」
「どうされます…ご主人様?」
「決まってるでしょ──いし、行くわよ!」
「はいですけん!」
錫は考える間もなくいしに飛び乗った。いしは待ってましたとばかり一路黒の国に向けて駈けだした。
〇
堕羅の大門の前では保鬼が太い杭にくくられてその時を待っていた。
「ポッキーのおじさ~ん」姿が見えるや否や錫は大声で叫んだ。
「お~…来てくれたのか」
「来てくれたのかじゃないわよ…。どうしてこんなことに?」
「分からん…。天甦霊主様の命令だと言って、いきなり数人の鬼たちに囲まれてこの有様だ」
「じゃ…ホントなのね…処刑って」
「そうらしい…」
「許せない…。ちょっと美人だからっていい気になっちゃって…」
「誰が美人だからっていい気になっているのです?」
「自称神様よ──えっ?」ご本人が真後ろに立っていた。「い…あ…う………またしても絶世の美女のお姿で現れたのですか…?…うふふっ」慌ててかき消そうとしたが遅い。錫は咳払いして開き直った。「ポッキーのおじさんを処刑するって本当ですか?」
「本当です──これからすぐに処刑します」
「すぐにって……ポッキーのおじさんが何をしたの?──いったい何の罪で処刑なの?」錫は涙目で食ってかかった。
「何の罪…?──そうですね…」天甦霊主はちょっと考えるふりをしてからこう言った。「邪悪な真堕羅のオロチと勇敢に戦って白の国を助けた罪…そんなところでしょうか…」
「へっ…?──それが罪…?」意味が分からず錫は目が点になった。
「くふふ…ごめんなさい錫。実はわざといしを呼び出して保鬼を処刑すると伝えたのです」
「えっ!?…じゃ、処刑するっていうのはウソ?」
「いいえ…本当です!」何も変わっていない。「ですがそれは保鬼という鬼を無きものに処する刑──ということです」
「………?自称神様、結局同じことを言ってますよね?」
「分かりやすく言いましょう」
錫がポッキーのおじさんと呼んでいる保鬼は、もともと信用のある鬼として、長い年月堕羅の門番の監視役だった。加えてこの度、保鬼は我が身を顧みずに幾度となく錫たちを救った。天甦霊主はこの功績を称えて褒美を与えることにした──それがこの処刑だったのだ。けれども通常であれば処刑という言葉は使わない。《生まれ変わり》というのが一般的な言い方だ。
「処刑すると聞けばあなたは必ず来ると思って──案の定すっ飛んで来ましたね…くふふっ」
「もう…やっぱりウソじゃないの!」
「あながち嘘でもありません。一匹の鬼を消してしまうのですから──人間として生まれ変わらせるために…」
「……。もう…自称神様ったら、おいたが過ぎますよ…。でも良かったね、ポッキーのおじさん」
「あぁ…夢のようだ!本当にわしは人間にしてもらえるのですか?」
「あなたがずっと願い続けてきたことです」天甦霊主は優しく微笑んだ。「錫、あなたが処刑執行人になるのです。そのために呼んだのですから」
「その言い方はイヤだなぁ…。だいたい何をすればいいのかも分からないし…」
「あなたの持つ晶晶白露で保鬼を邪身玉にするのです。後は私が引き受けますから」錫の顔に赤みがさした。
「お前の手でわしを人間にしてくれるのか!?」保鬼は目を潤ませた。まさに鬼の目にも涙だ。
「ポッキーのおじさんおめでとう!──幸せになってね!」錫は願いを込めて晶晶白露を保鬼の胸に静かに突き刺した。
「おぉ…この燃えるような痛みも人間に生まれ変われるためと思えば快楽だ──ありがとう…ありがとう……ありがとぅ…」保鬼は礼を言い続けながら邪身玉と化した。
「さて、この保鬼ですが……ちょっとだけ小細工をしようかと思います」
「小細工ですか?自称神様…またおかしなことを?」
「人聞きの悪いことを…またとはなんですかまたとは」
「だって私はいつも自称神様に無理難題を押しつけられてきましたからぁ~。それに〝人聞き〟じゃありませ~ん。ここは地獄──人はいませんからぁ~」嫌味な錫に天甦霊主はムッとして睨み返した。
「まあいいでしょう…ふふふっ」顔は笑っていない。「保鬼の親を誰にするかは私が決めます。目的がない限りこのようなことはしないのですが…」
「えっ!?…誰なの?──だれだれ?」
「錫には絶対教えません」
「わ~ん…自称神…いや天甦霊主さま~…もう噛みつきませんからぁ~…嫌味も言いませんからぁ~…だから教えてくだされぇ~」
そんな錫の訴えも虚しく、天甦霊主は白の国へと静かに消えた──。