第30話──絶体絶命Ⅱ
Ⅱ
九本の神殿の柱が全て立った。
寝る間を惜しんで働いた土器職人は、人形のハニワ百体と馬形のハニワ百体の人柱をすでに完成させていた。
祭壇の設えはもう調っている。神々に供える穀物やイノシシが台座に用意され、その向こう側には約二〇〇㎡の広範囲に渡り、二㍍の深い穴が掘られていた。そこにはハニワが並べれら、いっしょに豪華な装飾品や生活用品なども埋められる。
「民たちよ…よく集まってくれました」種女は儀式に集まった大勢の民たちに声をかけた。
「まずこの儀式の準備に携わった全ての民たちに褒美を取らせます」その言葉に民たちからどよめきが起こった。
「そして約束したとおり…昼夜を問わずハニワ作りに務めた土器職人にも、多くの褒美を与えます」土器職人たちは立ち上がって種女に感謝し頭を下げた。
「最後に…とりわけ土器職人を陰で支えた女たちには感謝の意を表し、もれることなく褒美を与えます」
「ありがたい…」。「もったいないことです…」。「なんとも畏れおおい…」女たちは手を擦り合わせて礼の言葉を口にした。
男たちを陰で支えることは当然の務めとして認められることのなかった女たちだ。褒美を与えられるなど思ってもみなかった。それだけに一言では言い尽くせぬほどの喜びがあった。
こうした細部に行き届いた種女の気配りは、知らぬ間に女王としての信用と信頼に繋がっていったのだった。
種女は白い絹の祭服を纏って祭壇の前に立つと民たちに告げた。「最後の大仕事にかかります…老若男女は問いません。一人でも多くの民たちの手で穴を埋め小山を拵えてください。その間、私はここで祈りを捧げ続けます」
民たちのほとんどが種女の言うことに従った。従わなかったのはよほど年老いた者と臨月を迎えた身重の女くらいだった。大勢で何日もかけて掘った穴だ。埋めるにも時間を要すだろう。だが種女は民たちが穴を埋め、それを小山にするまでは不眠不休で祈り続ける覚悟だった。
──「お父様…。お父様の悲願だった神殿を必ず完成させます。そして、それが叶ったら最後の私の願いを民たちに伝えます──許してください…」
種女は心の中で箕耶鎚に思いの丈を伝えた。
Ⅲ
矢羽走彦は妙なことを口走った。
「そんな剣で封印されるようなら、お前を支配する値打ちなどないのだ」
「どういうことだ?」蚣妖魎蛇は尋ねた。
「私は最初から真堕羅のオロチを取り込むつもりだった。だがその前にお前がまずオロチを支配できるかどうか様子を見たかったのだ。危険は避けたいからな…ぐふふっ」
「な…なんだと?──きさまぁっ!」蚣妖魎蛇は矢羽走彦の突然の寝返りに、十五個すべての眼をつり上げた。
だが、それよりももっと怒りを露わにした人物がいた。「利用するだけ利用して簡単に裏切る………私は…私は許せない!」意外にも、それは智信枝栄だった──彼女は奥歯をぐっと噛みしめて矢羽走彦を睨みつけた。
「ぐふふ…お前ごときが怒ったところで何ができる」矢羽走彦は全く動じる様子もなかった。「私はもはや魂を持たぬ念だけの存在だ。簡単に蚣妖魎蛇を取り込むこともできた。だがこいつは私が堕羅に来る遥か以前から棲みついていたのだ。泳がしておいて、じっくり情報を収集するにはうってつけではなか…くっくっ…」
「矢羽走彦…あなたは拗隠の国でも同じ手口で狡狗の醜長を騙しましたよね?いつもいつも汚い手を使って仲間を騙す卑怯者」智信枝栄の怒りは、その美しい髪が逆立つほどだった。
「くははは…それが魂を持たぬ念だけの存在となった私のやり方だ。見ていろ…今から蚣妖魎蛇を取り込んでやる」
「私に勝てるつもりでいるとは愚かな奴だ矢羽走彦」
「ふん、お前はオロチと融合して、何人も受けつけぬ無敵の魂と化したとつもりだろう?だが──念だけの存在の私だけが天敵なのだ」
「くっ……あれほど目をかけてやったのに…卑怯な奴め…」
「好きなだけほざくがいい。何より……何よりだ──騙したのは貴様のほうではないか」
「それは今知ったことだろう?」
「ふはははは…。どうあれ、ここまでは計画どおりだ。そして結果として貴様への復讐も遂げられるという大収穫を得られるということだ」
「ゆ…許さん…許さんぞやばしりひこ──!」蚣妖魎蛇は、真堕羅のオロチの八つの口から矢羽走彦に向けて悍ましい霊気を一気に放出した。その霊気や凄まじく、矢羽走彦は躱すこともできず、まともに喰らってしまった。
「ぐっ!」想定外の蚣妖魎蛇の霊気に矢羽走彦は為す術もなかった。
「ふはははは…口ほどにもない。ほれ…ほれ…私を取り込んでみろ…ほれほれ…。辰夜代の姿をしているがお前は矢羽走彦だろ?──少しは手こずらせてみるがいい…がははは」いつもは慎重な矢羽走彦だったが、蚣妖魎蛇に挑発されて体制を立て直すと蚣妖魎蛇に牙をむいた。
「〝念〟だけの存在がどういうものなのか知らんが、魂だろうが念だろうが、この蚣妖魎蛇様には同じこと…貴様が私を支配することなどできん…ふはははっ」結局矢羽走彦は自らの核である念さえも弾き返され、蚣妖魎蛇を取り込むことができなかった。
「ぐははは、この機に一気にお前たちも片付けてやる!」蚣妖魎蛇は長い首を無作為にくねらせながら、八つの口から霊気を放出した。錫たちは俊敏にその霊気を躱し続けたが、智信枝栄の腕にその霊気がかすめた。
「くっ…」智信枝栄は動くこともできず、その場に倒れこんだ。「かすめただけなのに…全く動けない……なんなのこれ…」
「これが今の真堕羅のオロチだ!…ようやく現実が分かったか?」蚣妖魎蛇は改めて矢羽走彦に問うた。「矢羽走彦…どうだ?私の力が理解できたか?一度だけ機会をやる──改心して私の手下となれ。そうすれば共に白の国を手に入れられるぞ」
──「長い長い年月を辛抱した私だ。今は太刀打ちできぬが、この先また長い年月をかけてコイツを支配できる機があるだろう」矢羽走彦は一旦引いておくのが得策と考えた。
「分かりました。蚣妖魎蛇様に従います…」
「そうだ、それでいい!お前が二度と寝返らぬよう、これをよく見ておくがいい」蚣妖魎蛇はさらに強い霊気を放出した。どこに飛んで行くか分からない霊気に錫たちは次々に倒れていった。
「この化け物…強さの限界はどこなの…」錫は伏したまま周りを見渡した。無事でいる者は誰もいない。
「ご…ご主人様すみません──いしはご主人様をお守りできませんでした…」
「こんな時にそんな気を使わなくていいのよ…いし…」愛おしいいしを、なんとか助けてやりたかった。けれど悔しいかな今の錫には為す術がない。
「…なんだ──小手調べにもならん奴らだ。天甦霊主…お前は神だろう?どうした…立ち上がれないのか?神とはそんなにひ弱なのか?くっくっ…」天甦霊主はその言葉を黙って受け止めるしかなかった。
結局、錫たちは一人残らず縛り上げられ自由を失った。
「さてっ…と──矢羽走彦、どいつから消す?」
「そうですねぇ~………」矢羽走彦は一同を一通り見まわし、口元に笑みを作って言った。「気に入らぬ奴から参りましょう──私がどう隠れても見破ってしまう虫の好かない霊神…智信枝栄殿から…くっくっく…」智信枝栄は唇を噛んだまま矢羽走彦を睨みつけた。