第28章──真堕羅のオロチ復活Ⅲ
Ⅲ
月夜美乃神の力を借りて、大晦日の夜空は煌々とした月光に照らされた。錫はゆっくりと古代神殿の御扉に手をかけた。
〝ギィ~…〟御扉は、荘厳な音を鳴り響かせながら、錫の手によって開かれていった。
「やった~!」錫が叫ぶと、一同も歓喜の声を上げて喜んだ。
「剣は…剣はありますか?…錫雅様」智信枝栄が恐る恐る尋ねた。
錫は御扉に掛かった御簾を手で少し捲り上げてから小さくも力強い声で答えた。「…ある!」
再び一同は歓喜の声を上げて手を取りあった。
──「これが最後の剣…。でも最初の剣は堕羅の亡者に奪われたまま…。なんとしても剣を取り返さないと…」喜びながらも神妙な顔をしている錫の心の内を、智信枝栄は察していた。
「錫雅様…お気持ちは分かりますが急ぎましょう。天甦霊主様と文女が待つ真堕羅へ…」智信枝栄は至って冷静だ。
「そうだな」錫はこっくりと頷いた。「月夜美乃神様ありがとうございました。そして信枝殿、何度も助けてもらい感謝している…心からお礼を申す…」
「錫雅様、そんな…改まって…」信枝はうつむいて顔を赤らめた。
「では、ここでお別れを…」
「とんでもない!せっかくお会いできたのです。私は錫雅様の行くところ、どこにでもお供いたします」
──「ヒィ~…ダメだって信枝──堕羅に入れば私は香神錫に戻っちゃう」慌てる錫だ。
「信枝殿、あたいたちの役目は終わりました。今日は引き揚げましょう」綿が気を利かせて信枝に言った。
「でも…」しばらく渋っていた信枝だったが、最後は綿に従って引き揚げることにした。
錫は胸をなで下ろし、智信枝栄といしと共に一路真堕羅を目指して旅だった。月夜美乃神も信枝と綿に別れを告げると、かぐや姫の如く月に向かって帰って行ったのだった。
「ねぇ、綿…私が錫雅様の後を追いかけていくと、いつも錫雅様の危機にかち合うの…」
「はぁ…」綿はそれだけで察しがついた。
「もしも…もしもよ…もしもだよ──今度も錫雅様が危険な目に遭ったらどうする?私が追いかけて行くとまたしても危機一髪の場面に遭遇した──なんてことになったら…」
「それは、信枝殿の想像でしょう?」
「でも…もしもその想像が的中したら?…私が追いかけなかったために、錫雅様に万が一のことがあったら?…そんなことになったら私は一生後悔することになる…」
「それで…あたいにどうしろと?」
「どうしろとは言ってないわ。ただ、そうなったら私は一生それを引きずって生き続けないといけない…。ううん…生きていけるかどうか…」
「……」綿は人間がややこしい生き物だと感じた。
Ⅳ
恵栄文女之命は化け物に真っ向から立ち向かった。そいつは丸太のような太い腕に二本の角を持つ赤いウロコに覆われた巨人だ。文女之命は霊刀静丸を赤い巨人に幾度も振り下ろしたが、ダメージを受けることはほとんどなかった。
「ダメです…天甦霊主様、たとえ私の力を全て解放しても、この化け物を倒すことは無理です」
「では私の力を使うがよい」天甦霊主は霊刀静丸に自分の力を忍ばせた。すると文女之命が剣を一振りするだけで、赤い巨人は苦しそうに唸り声あげて動きを止めた。
「先ほどとは雲泥の差です。ですが、それでも少しのあいだ動きを止めておくことしか…」
「ふははは…勢いよく挑んで来たわりには大しことないな」どこからか堕羅の亡者とは形の違う化け物がヌッと現れた。「こんな奴一匹に苦戦しているようではな…」
「お前は誰です?…私たちは戦いに来たわけではありません」
「私たち…?──そうか、どうりでお前とは違う悍ましい霊気を感じると思ったら、その剣に隠れている奴がいるんだな…出てきたらどうだ?」
「そのことが分かるということは、堕羅の化け物ではないな?」
「ふん…私は辰夜代。蚣妖魎蛇様の側近中の側近だ」辰夜代の形態は常に変化していた。今や辰夜代は、狡狗の姿に近かった。あえて違いをいうなら、その所々にウロコを纏っていることと、霊気を奪う毒を持った牙を持っていることだ。
「私たちはある者に会いに来ただけです…。そこをお退きなさい」
「ダメだな…これ以上奥に行かせるわけにはいかん」
「では、力ずくで通るしかないですね」
「そんなひ弱な霊力で私とやり合うつもりか!?…ムハハハッ!」辰夜代は文女之命をバカにするように笑うと一気に間合いを詰めてきた。さすがに辰夜代の強さはけた違いだった。本来の霊力と狡狗の怪力、それに毒を持つ牙を巧みに使って文女之命を追い詰めていった。
「仕方ありませんね…。文女之命、私の力を全て使いなさい!剣をしっかり握っておくのですよ…弾き飛ばされないように!」
「はい!」言われたとおり文女之命が両手で静丸を〝ギュッ〟と握ると、その刃は一気に眩い光を放った。
──「これが天甦霊主様の力…。これなら充分戦える!」文女之命は辰夜代に向かって静丸をほんの一振りしてみた。刃の先から迸る霊気は確実に辰夜代を捉えた。
「ぐっ…動けん……」辰夜代は苦しそうにのたうち回った。
「さっ、今のうちに…。奴の待つ奥へと急ぐのです」。「はい…」
「待て…んぐぐっ…」辰夜代は苦痛な声をあげながらもどうにか立て直すと、文女之命の行く手を遮った。「その剣に隠れた奴は何者だ?…どうして姿を見せない?」
「このお方は…」文女之命が天甦霊主の存在を口にしようとしたとき、真堕羅の奥から悍ましい霊気を感じた。文女之命は言葉を止めてその悍ましい霊気に目を遣った。
「漸くこいつと一つになれた──真堕羅のオロチ復活だ!…辰夜代よ待たせたな」
「蚣妖魎蛇様、とうとうこの時がきたのですね」
「そうだ。我々の時代が来るのだ!…ぐははは」真堕羅のオロチと同化した蚣妖魎蛇の笑いは地響きを誘った。
八つの顔と八つの尻尾──それを束ねる胴体はあまりにも大きく、その全体像を掴むことができないほどだった。
「なんという物の怪…」文女之命は今まで出遭ったことのない化け物に驚きを隠せなかった。
「お前たち…オロチの大きさに驚いているのか?…それならもう少し待ってからにしろ──このオロチの強さを知ってからにな…むがはは…」言うが早いか真堕羅のオロチと同化した蚣妖魎蛇は文女之命に襲いかかった。文女之命は八つの頭を巧みに使って襲いかかるオロチの攻撃を躱すだけで精一杯だった。それでもなんとか隙をみつけて霊刀静丸を素早く振った。その刃の先から放たれた霊気はオロチを確実に捉え、文女之命は手ごたえを感じた。
「あれっ…今何か当たったか?──蚊が刺したほども感じなかったが…」真堕羅のオロチはわざとらしくそう言って笑った。
「なに…!?──そ、そんな…」文女之命はいっぺんに戦意を喪失した。
「おい、お前はいったい何しにここへ来た?……んっ?ふははは…」
「私は…私は戦いに来たわけではない…。矢羽走彦に話があって来たのです」
「……なんだと!?──矢羽走彦…?」真堕羅のオロチは何故だか驚いた様子を見せたが、八つの首をクネクネとくねらせながら八方から文女之命を囲い、長い舌が届くほど近づいた。「残念だが、そんな奴はここにはいない。──さぁ、私がさっさとお前を取り込んでやろう!」そう言って大きく口を開けたオロチに対し、文女之命は素早く体を伏せてから転がり回避した。
「上手く躱したな。おい辰夜代、その赤い巨人の化け物と一緒にこいつを始末しろ」
「はい。こんな奴ごときに蚣妖魎蛇様の手を煩わすことはありません。──おい、やるぞ!」辰夜代が赤い巨人に一声かけた。二体は同時に文女之命に襲いかかった。
「お待ちなさい!」どこからか声がした。
「誰だ!?邪魔をするのは…」辰夜代が辺りを見渡していると、目の前に声の主が現れた。
「お姉様!」智信枝栄之命だった。
「ごめんね…遅くなって」
「私もいるわよ!」遅れて錫がいしに跨っての登場だ!真堕羅の入り口付近でちょっとだけビビっていたのが遅れの原因だった。
「あれ…?私真堕羅に入った途端、錫雅の姿になっちゃった…」
「今ここは霊気が不安定なので、錫雅様のお姿になったのでしょう」智信枝栄がそういうと、真堕羅のオロチと辰夜代の顔が一瞬引きつったが、それには誰も気づかなかった。
「バカが…飛んで火にいる夏の虫とはよく言ったもんだ」辰夜代は何もなかったようにそう言って笑った。「さて、お前たち…ここから出られると思うな!…この真堕羅がお前たち全員の墓場となるのだ──やれ!」辰夜代が赤い巨人を嗾けた。赤い巨人は太い腕を手当たり次第に振り回して暴れた。
「やめて!ポッキーのおじさん…。私だよ…錫だよ!」赤い巨人は知らぬ顔で太い腕を武器に襲いかかった。
──「ダメだ…。ポッキーのおじさん相手に本気で戦えない…」錫はどうしても躊躇してしまう。
「どれ私も加勢してやろう」辰夜代が戦いに加わった。いしは赤い巨人に投げ倒され、文女之命と智信枝栄は辰夜代の素早い動きを躱せず、あっけなく捕まってしまったのだった。
「勝負あったな。おい錫雅尊、このまま一人でじたばたするなら、こいつらを全員無にしてやる…」真堕羅のオロチがねちっこく言うと、錫は下唇を噛んで動きを止めた。
「そうだ、それでいいんだ!…そいつを捕まえろ」赤い巨人は大きな手で錫を握るように捕まえ縄で縛り上げた。
「さてと…ずいぶん手こずったが、どうやらこれで本当に幕のようだな…。一人ずつゆっくりと始末してやるぞ。まずお前からだ…錫雅尊…」真堕羅のオロチがゆっくりと目で合図をすると、赤い巨人は手に何かを取り出した。
「晶晶白露…」錫は思わず口にした。
「お前は仲間の手によって、お前自身の短刀で無にされるのだ。最高のシナリオだな…がぁはっはっ…」辰夜代が高笑いして右手を下した。赤い巨人は持っていた晶晶白露を高く上げ、錫の胸元に刃先を向けた。
──「今度こそ終わりだ」そう思って諦めた時──。
「ちょ──っと待ちなさ~い!」またしてもどこからか声が聞こえたのだった。