第4章──示唆するものⅡ
Ⅲ
いしは久しぶりに錫を背中に乗せて大満足だった。
二人がいしと綿に礼を言うと、いしは嬉しそうにデレッとしたが、綿は相変らず澄ましていた。
「それで、あんたたちがどうしてここに?」
「天甦霊主様から許しをもらったのです。白の国は落ち着いているので、ご主人様の手助けをするようにと…。もちろんその理由も聞きました。ご主人様…いしはご主人様がお気の毒でならんですけん。何も分からぬまま難題だけを押しつけられて…」
「でしょ?でっっしょ?でっっっっしょ?分かってくれるのはいしだけよねぇ」
「お言葉ですけどスン…私も綿もあなたの気持ちはよーく分かっているつもりですけど…」智信枝栄は皮肉っぽく言った。
「てへへっ…」錫はペロッと舌を出して愛想笑いでごまかした。
「それはそうと浩子、そうとう辛そうだけど大丈夫?」。「えぇ…たった一発なのに堪えたわ…」
「私が短刀を出していながら躊躇したばっかりに…」。「スンのせいじゃないわよ。相手が保鬼さんなら私だって躊躇したわよ」
「そう言ってもらえると気が楽よ…」。「それより、私の霊力はかなり弱ってる…。戦ってみてよく分かったわ…なんとかしないと…」
「なんとかってどうするの…?」。「驚異的な早さで霊力を回復する場所に行くのよ。〝魅園〟という楽園に…。俗にいう極楽とは、実はここのことよ。魂を魅了して抜け出せなくしてしまう恐ろしい場所…。霊気は回復してくれるけど、精神が弱いと居心地が良すぎてそのまま居ついてしまい、骨抜きにされてしまう──それ故〝魅園〟と呼ばれているの。私もまだ行ったことのない未知の楽園…」
「ふぅ~ん……極楽って本当はそんな場所なのか…」
「まっ…それはともかく、今日は保鬼さんの行方が分かっただけでも収穫だったわね」。「うん、それは言える!」
「落ち着いたら保鬼さんを助けに行くつもりなんでしょうけど、闇雲に動いちゃダメよ…。行く時は必ず私に声をかけてね」。「は~い…ありがとう浩子」
「それじゃ、みんな解散しましょう」そう言って智信枝栄は浩子の自宅に、そして綿は信枝に会いにそれぞれ別れた。
錫は自分の肉体に戻るとぐったりと疲れていることに気づいた。いしにも聞いてもらいたい話がたくさんあったが、その前に一眠りしようと目を閉じた。
「……………………。どうしちゃったんだろう…疲れてるはずなのに眠れない…」
「ご主人様、あまりにも神経を尖らせ過ぎでは…?少し肩の力を抜いてください」
「ありがとう…いろいろ考えちゃうのよ…。ねぇいし…まさかあんた知らないわよね?…剣の隠し場所」
「はい…。下僕のわたくしなどにそのような大事なことをお聞かせには…」
「錫雅は堕羅の門番の守秘義務として話さなかっただけよ…いしが下僕だからじゃない。それだけは絶対よ」いしはその言葉に胸が熱くなったが、それは顔に出さずに話を続けた。
「ご主人様はぬかりのないお方です。きっと隠し場所を示す何かを残しているはずです。それだけは絶対ですけん」今度はいしがそう言い切った。「そこでですが、もう一度振り出しに戻って調べ直してみてはいかがでしょうか?」
「振り出しに戻るってどういうこと?…堕羅の大門の玉を示す木札からやり直せってこと?」
「そういうことです。手がかりがないのですから、まずはそこからではないでしょうか?」
「一理あるけど、終わったものを調べたところで何か分かるかなぁ…?」錫は疑問に思いながらも、机の引き出しから大きな封筒を取り出した。中には木札が四枚、それに霊力で浮かび上がる白紙の手紙が二枚あった。
もしもこれを読む者が、晶晶白露を探るためだけに訪れたならそれでいい。
もしもこれを読む者が、晶晶白露の危機で訪れたならあるじに尋ねよ。
「まず最初にこの手紙を読んで、晶晶白露の危機だということで、主の久間谷吾郎さんから次の手紙を受け取ったわ…それがこれよ」錫はもう一枚の和紙に目をとおした。
これを読む者が現れないことを祈る。
もし読む者があれば、晶晶白露さえも脅かす何者かが現れたということだ。
万が一、それが堕羅と関わることなら木札を頼れ。
記 燃える鍛冶
「……これを読んで、木札が堕羅の大門の玉を示していると予想ができたわ。果たしてそのとおり…大きい三枚の木札にはそれぞれの玉の隠し場所が記されていた…」
「小さい札には何て書かれていましたっけ?」
穢れなき器に清き泉をすくいて我にたらせよ
「〝穢れなき器〟とは〝ひらひら散る木の実〟──そして〝清き泉〟とは〝堕羅の祠の泉〟を意味していた…」錫は札を何気なくひっくり返した。「反対側には〝記〟と書かれている…。そして大きい三枚の札にはそれぞれ〝壱〟〝弐〟〝参〟と…。どうしてこの小さい札だけ〝四〟じゃくて〝記〟なんだろう…?」
「ご主人様、それなら説明がつきます。大きい札は玉の在処を示したもの。そして小さい札は堕羅の解毒の方法を示したものだからですけん」
「そうか…そうだね。なんだかつまらないことで引っ掛かっているなぁ…」
「いいえ、ご主人様は今までそうやって難問を解決してきましたですけん」
「今思い返してみても、秘宝や堕羅の大門の玉が見つかったのは奇跡よ…奇跡!あ~…本当に剣なんて見つかるのかしら」錫は大きくため息を吐いてうなだれた。
「ご主人様、もっと自信を持ってください。ご主人様は自分が思っているよりスゴいお方なのですよ」
「私はみんなの助けがないと何もできない天然・単純・臆病の錫ちゃんだよ…」
「そんなことありませんて…。疑問があれば一晩でも考えるお方ですけん」
「あったね、秘宝を見つけるのに…そんなことも…。どうして〝孫と娘〟じゃなきゃいけないのかってね。〝孫や娘〟と何が違うのか…必死で考えたわ」
「そして孫には錫、娘には杖…この二つがそれぞれ手渡されていたことに辿り着いて、見事に秘宝の錫杖を手にしたのです」
「………あ~……やっぱりあれは奇跡だ…」またしてもため息を吐いてうなだれる錫だった。
「ご主人様……」
「だって…新たな手がかりがこの中にありそう…?手紙も木札も解決した代物だよ…」まったく見通しの立たない難題に、錫は和紙の手紙と木札を乱暴に振りながらイライラを表した。「ごめん…。私、どうかしてるね…物に当たっても仕方ないのに…。でも命がかかってるし……正直どうかなりそう…」
いしは錫の気持ちに胸が痛んだ。この先なんの手がかりも無ければ、大切な主人はどんどん追い込まれてしまうだろう。その時、どうやって主人を支えればよいのか──肝心な時に何もできない自分に歯痒さを感じていた。
途端──錫が急におとなしくなって一人でぶつぶつ言い始めた。いしは来るべき時が来たかと覚悟した。
「〝と〟と〝や〟……〝と〟と〝や〟……」いしが耳をすまして聞いていると、錫はさっきの〝と〟と〝や〟の違いを呟いていた。
──「ご主人様…お気の毒に…とうとう頭が…」それから錫は和紙の手紙に目をとおして、またもぶつぶつと呟いた。
「〝に〟…〝に〟…〝に〟……?」
「ご主人様……どうか正気に戻ってくださいませぇ~」ついに居たたまれなくなったいしが泣き出した。
「はい!?……バカね、いし…私は正気よ。あんた私の頭が変になったと思ったの?きゃはははっ!」
「えっ!?ではご主人様はまともなのですか?」
「あったり前でしょ!錫ちゃんはこんなことでおかしくなったりしませんよ~」錫はいしをぎゅっと抱きしめてやった。言うまでもなく、いしはこのまま死んでもいいと思った。──生きてはいないが…。
「あのね…さっき〝と〟と〝や〟の話をしてたでしょ?それで、“ふっ”と思ったの…。これ…もう一度読んでみて…」
穢れなき器に清き泉をすくいて我にたらせよ
「…。これを見てご主人様が “ふっ”と何を思われたのか……わたくしには見当もつかんですけん」
錫は左の人差し指で、ある一字をポンポンと軽く叩いて言った。「これよ…これ…。〝我に〟の〝に〟よ!」
「…………?」いしには錫が何を言わんとしているのか理解できない。
「どうして〝に〟なんだろう…?私もまだ不確かなんだけど、解毒の方法は〝我に〟じゃなくて〝我を〟だったはず…」
「確かにそうですね。祠の泉の聖水の立場になって言えば、〝毒に侵された者に我をたらせ〟ですけん」
「でしょう。なのにこれは〝我に〟なのよ…。〝に〟と〝を〟の違いは何かしら?」
「ご主人様はそれでぶつぶつと呟いていたんですか…」
「そうだよ、あの時と同じだなぁ…っと思って考えていたの。頭が変になったわけじゃないんだぞぉ~」錫は自分の鼻先をいしの鼻先にくっつけて軽く擦った。いしはデレデレになってお腹を上に向け、ゴロゴロと転げ回った。
「そんでもって…もし〝我に〟が正しいとするなら、いったい〝我に〟の〝我〟は何かってこと…」
「なるほど!〝我に〟だとすると、祠の泉の聖水をその〝我に〟とやらにたらすことになりますからね」
「ややこしいけどそういうこと。まぁ、簡単に言えば〝聖水を何かにたらせ〟ってことよ!」
「本当に簡単な一言ですね…」
「だけどそれが何か分からないのよ……残念だけど…」
「…わたくし、今のご主人様の話を聞いて、一つだけ思い当たったことがありますけん」
「なになに!?」錫は思わず身を乗り出した。
「はい。わたくしが気になったのは木札の反対側の〝記〟という文字ですけん。手紙にも〝記 燃える鍛冶〟とありましたよね…。共通するものと言えば、この〝記〟という文字です。ご主人様の話を聞いて、もしや〝我に〟とは〝燃える鍛冶〟を指しているのではと思ったのです」
「なるほど!だとすると、燃える鍛冶は誰なのかということになる。以前浩子と話したとき、これはおじいちゃんだという結論に結びついたわ。だけどそれはまだおじいちゃんが堕羅の大門の門番だと信じていた時の話…。本当の門番が私だったということになると、もしかしたらこの手紙を書いたのは私自身かもしれない…。おじいちゃんはただそれを預かって、さらに久間谷泉治郎さんに託した…」
「とすると…燃える鍛冶は………ご主人様で?」錫はそれを聞いて元気のない声でいしに告げた。
「実はね…あんたが黒の国で牢獄に入っているとき…私、毒に侵されたの…」
「えっ!?……そんなことが…?」
「うん…だから〝我に〟が〝燃える鍛冶〟で、それが私だったとすると、もう祠の泉をたらしていることになる…」
「…。では…燃える鍛冶がご主人様でも、天翔虎慈之尊でも万事休すということですか?」
「そういうことだね…。無になったおじいちゃんに聖水をたらすことはできないもの。だけど今考え始めたばかりよ。結果を出すには早いわ」
「そ、そうですね…すみません、決めつけてしまって…」
「少し休もう…時間をおけば何か思いつくかも…なんてったって閃きの錫ちゃんだから…きゃは」一番辛いのは主人だといしは痛いほど理解している。見つけ出す答えが一つ一つ崩されてしまう虚しさに耐えている錫に、いしはそっと寄り添った。
それから五分も経たぬうち──錫はガバッと上半身を起こした。
「いし……もう一つだけ……もう一つだけある…。試してはいないモノがもう一つだけ…」
「ほ、本当ですか!?」
「えぇ、ホントよ!賭けてみるわ──〝我に〟がそれであることに!」
錫は目を輝かせて手のひらに霊気を溜めると、聖水の入った宝水玉の実を静かに取り出したのだった