第25章──真の支配者Ⅱ
Ⅲ
クーデターから一夜が明けた──種女は一睡もできなかった。
──「せめて少しでも眠れていれば、昨日の出来事が夢か現を知ることができたのに…」種女は落ち着かないまま里女を待った。〝明日の朝、食事を持って参ります〟と告げてこの部屋を出て行ったからだ。
「葉女……起きてる?」
「はいお姉さま。先ほど目を覚ましました…」
「私はこれからどうなるの?……すべてが不安でたまらない…」
「私もいろいろ考えました。でも行き着く先は同じです──お姉さまは神から選ばれた真の支配者だということです」
「それが私には分からない…。私は至って普通の女……いいえ、この目が見えないぶん、皆より劣っている女なのに…」
「違いますお姉さま…それは…」
「種女様…起きておいでですか?」葉女の言葉を遮って、里女が食事を運んできた。せっかくの食事も二口ほど食べただけで喉を通らなかった。
「たった一晩では心が落ち着きませんね…。ですが、これから広場に足を運んでもらわなくてはなりません…もう民たちが集まっていますので」里女は気遣いながらも、種女を広場へ連れ出した。
広場にどれほどの民たちが集まっているのかを種女はハッキリと感じ取れた。それほどの息遣いと興奮だったからだ。
「さぁ皆の者、これよりはこのお方がわが国の真の支配者となられる──種女之毘売様だ!聞くがよい、種女様のお言葉を…」里女が叫ぶと民たちは一斉にひれ伏し手をこすり合わせた。
「種女様…どうぞ民たちに…」里女は種女の耳元で囁いた。
そう言われても何も出てこない。死を覚悟していたにも関わらず寸でのところで助けられ、突然国の支配者に祭り上げられたのだ──何を民たちに語れようか。種女は沈黙のまま手をこまねいていた。しかし、民たちもひれ伏したまま黙って種女の言葉を待った。どのくらい我慢比べが続いただろうか。
──「民たちは私が口を開くまで一日でもこのままでいるだろう…。もう私の立場はそうなってしまっているのだわ…」
〝覚悟しろ…この剣が振り下ろされた時、お前には別の世が待っているだろう〟──里女が剣を振り下ろす直前に言ったあの言葉が、死を意味するものではなかったのだと種女は漸く気づいた。
種女は腹を括った。「皆のお方たち………どうぞ頭をお上げください」その言葉に従い、民たちはやっと頭を上げて種女を仰ぎ見た。「まずお礼を申さねばなりません…。私と、そしてわが妹葉女を助けてくださりありがとうございました。私たちが今こうしてここに居るのは、皆のおかげです」民たちは種女の言葉をただ有り難く受け止めていた。
「私は皆が思っているような女ではありません…。両目はこのとおりです。人の手を借りても一人前にできない足手まといな女なのです」すると民の誰かが叫んだ。
「いいえ、今だって頭を上げろと仰いました。目の見えない種女様が、どうしてわしらが頭を下げていることを知っておられたのですか?」
「そ、それは………心の眼がそう感じるからです」種女はそのままを伝えた。
「わしらにそんな眼は無いのです…。その心の眼こそが神の使いの証…」。「種女様が神に使われしお方だからこそ、地のお怒りや祟り神から救う手立てを神が教えになったのです」。「本当の神の使いが如何なるものなのかも知らず、わしらはずっと矢馬女様のまやかしに怯えながら従ってきました」民たちが思い思いに心の丈を伝えると、最後に長老が叫んだ。「自分の欲のために力で屈服させようとする支配者などいらんのです。わしらに必要なのは民のために政を行う真の支配者なのです」
「…それならばなおのこと、私には皆を束ねる人徳などありません」
「種女様──今こうしてわしらが集まっているのはどうしてだと思いますか?…あなた様はもう皆の心を束ねておいでなのです。あなた様を必要としているからこそ、わしらはここに集っているのです。望まなくても皆が慕う…皆を引き寄せる…それが真の支配者の人徳なのです──お願いします…迷い苦しむ民たちを導いてくださいませ」種女は返す言葉が見つからなかった。口を一文字にして暫し考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「分かりました──微弱な私の力がお役に立つならそういたしましょう…」その言葉に民たちは歓喜の声を上げて手を取り合った。「ですが…」種女は今までにない大きな声を上げた。「ですが…皆さんが私を支配者に選んだ限り──私はその権力を存分に使います。必ず私に従ってください。そして……私は何があっても自らその立場を退きません…」
〝種女様でも権力を手にしたとたん豹変するのか…?〟民たちの心が一瞬で凍りついた。
Ⅳ
「つ、つまりあれだ…。彼女は幽体離脱することで、魂が健常者と同じ状態になれるわけだな?」
「そういうこと!…もちろん肉体は死んだ状態よ。それを悟られないように彼女は車いすに座っていたわけ」
「なるほど…。だけど彼女はちゃんと喋っていたぞ?」
「そこが舞子さんのスゴいところなの…。私なんか一人で幽体離脱しようと思ったら、気合い入れて時間をかけないとできないけど、彼女は瞬時にできちゃう」
「瞬時にとは?」
「容疑者のおじさんが花を一本持って、これはなんの花だと尋ねたでしょ?…あの瞬間、舞子さんは肉体を抜け出して、なんの花なのか、何色なのか…ちゃんと見極めてまた肉体に戻っていたの…スゴいでしょ?──あんな芸当、私にはとてもとても…」
「あの場でそんなオカルト的なことが行われていたのか…。驚くより寒気がしてきた…」
「事件の時、あの二人は舞子さんの手にナイフを持たせて立ち去った。そして離れた場所に止めてあった車に乗って急いで逃げたのよ。だけど…実は舞子さんは肉体を抜け出して二人を追っていたの」
「魂となった舞子さんは、二人の顔も、車のナンバーもすべて知っていたということか…」
「うん。ただ一つの弱点は、舞子さんの魂は肉体からあまり遠くに離れられないってこと。意識がぼんやりしてしまうんだって…。だからあの時も、車で逃げた二人をそれ以上追いかけて行くことはできなかったの」
「それが事の全貌か…」一松刑事は漸く落ち着いた表情を見せた。「それにしても君と一緒に仕事ができたら検挙率一〇〇%間違いなしだ。迷宮入りの事件なんか無くなるだろうなぁ…」
「でも私の捜査方法は警察では通用しないわよ」
「確かにな…。それでも難事件に遭遇したらまた頼むよ…。スイーツおごるから!」
「う~ん…褒美はスウィーツか…。そうね…食べ放題なら手を打つわ…くふふ…」
「お安いご用だ」底なしの錫の胃袋を知らない一松刑事は安請け合いをした。