第4章──示唆するもの
示唆するもの
Ⅰ
矢馬女は自らが祭事を仕える宮を建てるのに心血を注いでいた。神の国に届くほど高く聳える宮が完成すれば、自分の名は和の国すべてに轟くであろうと考えての計画だった。
宮の高さは三十二丈──なんと百㍍近い高さだ。これまで本殿を支えるための柱を二度立ててみたが、大きな揺れに阻まれて失敗に終わっている。これをどうするかが大きな課題だった。
宮大工職人からは逆に〝どうすれば倒れない柱ができるのか占ってほしい〟との申し出が幾度もあったが、矢馬女は〝神のお告げで占いはできない〟と撥ねつけていた。
もともと矢馬女は何の能力も無いごく普通の人間だ。人と違うところを強いていうならば、幼い頃から空想好きだったということくらいだ。
ある年の夏のこと──村は干魃により水と食料に貧していた。民たちが日照りで苦しんでいるその最中、矢馬女は誤って家を全焼させるという不祥事をしでかした。まだ若かった矢馬女は叱られるのを恐さに近くの洞穴に隠れていたが、程なく村の大人たちに見つかって厳しい罰を与えられそうになった。矢馬女は〝村のために雨が降るよう神に火を捧げて祈っていた〟と、その場凌ぎに大法螺を吹いた。村の民たちは矢馬女の話を小馬鹿にしながら聞いていたが、そんな話のやり取りの途中、なんと黒い雨雲が空を覆い、恵みの雨が村を救った。
「神の仰ったとおりだ──村を湿らせ民たちを救ってくださり感謝いたします!」矢馬女はここぞとばかりに額を地に擦りつけ必死に神に祈るふりをして見せた。これを目の当たりにした民たちは、それ以上何も言えずに引き下がるしかなかった。それからは村中が矢馬女の話で持ちきりだった。やがて矢馬女は神の使者ではないかと言い出す者まで現れた。
極めつけは翌年の夏、またも村が干魃に襲われた時のことだ。民たちは乏しい水や穀物などを集めて、雨が降るよう神に願ってくれと矢馬女に頼みに来た。その頼みに尻込みした矢馬女だったが、一か八かの大博打に出たのだった。矢馬女は村の民たちにできるだけの薪を集めさせ、大きな火を焚いて神に祈るふりをした。
すると果たして──またも黒い雲が立ち込め、恵みの大雨が村に降り注いた。民たちは歓喜の叫びと共に矢馬女を称えた。
矢馬女はここぞとばかり民たちに告げた。「集めた薪には神の力が宿っていたのです。そして神はこう言いました──これからは私に神の力を与えると!今このときから私は神の使いとなって、そなたたちを幸せに導きます」
実際にこの程度の火で上昇気流が起き、大雨になるとは考えにくい。となると、矢馬女には天運があったのだろうか──。
ともあれ村の民たちは、この瞬間から矢馬女を神と認めたのだった。
Ⅱ
錫と智信枝栄は不気味な気配の漂う堕羅へと足を踏み入れた。
「こんなに早くにまたこの堕羅の大門を潜るなんて…。浩子…このまま奥へ進んで行くとどうなるの?」。「さぁ…。真堕羅とかいう場所に行き着くのかな?」
「と、とりあえず今日はこの辺りで引き返そうか?」。「今歩き始めたばっかりよ…」
「だけど道に迷わないかな…?」。「鬼門を目指して進むんだから、帰りは逆方向を目指せば大丈夫……ってスン、それって行きたくないだけでしょ?」
「テヘヘヘ…分かる?」。「分かりすぎ。行きましょ、鬼門の中の鬼門へ!」
智信枝栄は無理やり錫の手を引っ張ると、堕羅を奥へ奥へと進んで行った。
「ねぇ浩子…こんなに歩いても堕羅の亡者と一度も鉢合わせしないのは変だよね?」。「私も同じことを考えていたわ…」
「そもそも堕羅の亡者ってなんなの?白の国にも蛇や虫たちの魂はいたよ…須佐之男命がちゃんと番をしてた…。ここの連中と何が違うんだろ?」
「教えてほしいか?」いきなり後方から声がして、錫と智信枝栄は〝さっ〟と身をひるがえした。
「た、たしかあんたは…蛇蚣の化け物!」
「…蚣妖魎蛇だ!いい加減に覚えろ…小娘」
「お黙り!……浩子、こいつ今はヘビだけど、突然ムカデに変身するから気をつけて!」
「ん?…今日は新顔と一緒か?」
「そうよ、親友の浩子よ。女だと思って甘く見ていたらヤケドするわよ!」内心ビビッていたが、錫は蚣妖魎蛇に強がってみせた。
「ん?……親友の浩子?……ぐわっはっはっ……そいつはお前の親友か?……これは愉快だ…ぐわっはっはっは…」
「なっ、何がそんなにおかしいのよぉ?」
「……いや…なんだ………あまりにも弱々しいのでな…ぐわっはっはっはっは…」
「バカにしてるわ…。浩子どうする?」。「うん…そうね…」智信枝栄にしては珍しくハッキリしない返答だ。弱々しいと悪態をつかれたことで自尊心を傷つけられたのだと錫は思った。
「真堕羅の封印が解かれれば、お前が必ず現れると思っていた。悪いがここから先は通さん。まだ真堕羅のオロチが完全に目覚めていないのでな」
「やっぱり…真堕羅の封印を解いたのはあんただったのね?」
「まぁ、死に土産に教えてやろう──そのとおりだ。そして封印が解かれた途端、真堕羅に溜まっていた邪気が一気に吹き出し堕羅の大門をも内側から破ってしまった。霊気の弱い堕羅の亡者どもは瞬時に無となり、無を逃れた亡者たちもその邪気の恐ろしさに、ある者は震え上がり、ある者は堕羅を抜け出し黒の国へと逃げて行った」
──「それで堕羅がこんなに静かなのか…。まるで核爆発ね…」
「ついでにさっきの答えも教えてやろう。堕羅の亡者の秘密を…」前々から錫が疑問に思っていた堕羅の亡者の秘密を蚣妖魎蛇が語り出した。
「堕羅のヘビやムカデはな……もともと人間の魂だ」
「に、人間!?」さすがに錫はその言葉にショックを受けた。
「そうだ。堕羅の亡者どもは救いようのない人間の魂なのだ…」
黒の国は人間界での罪を償う場所だ。人間界で他人に地獄を味わわせた何倍もの罰を今度は自らが受ける場所──それが地獄だ。ある亡者は罰を受けることで反省し、心を入れ替えて再び人間界に修行に出る。ある亡者は罰を受けても、まったく気持ちを入れ替えることなくまた人間界へと行かされる。どちらの亡者も再び人間界に行けばどのような人格になるか分からないが、少なくとも厳しい人生が強いられることだけは約束ごととして交わされている。そこで二度三度と極悪非道を繰り返す救いようのない魂は、ついに地獄にすら行くことを許されず、堕羅の亡者へと落とされる。白の国で暮らす爬虫類や虫たちとは根本的に違っていたのだ。
「奴らはこの堕羅で長い時間を過ごす。一見地獄のような厳しい罰が無いぶん気楽に思うかもしれないが、こいつらは知能だけは人間のままで醜い姿にされ、なんの希望も与えられずにここに棲み続けなければならない。そして、時が来ればまた人間界へと送られる。もちろん人間として生まれ変われることはできない──奴らは人間界でも、ヘビやムカデ、あるいは他の毒虫のままだ。多くの人間たちが嫌う生き物となって生まれ変わり、やがてまた死してもこの堕羅へと戻される。いつしか奴らの記憶から自分が人間であったことなど消えてなくなり、嫌われモノの生き物であることだけを意識する魂となった時、漸く愛らしい小動物となって生まれ変わることを許されるのだ。話にすれば簡単だが、気の遠くなるような年月だ…」
「だけど…そんな爬虫類を可愛いと思う人たちもいるわよ──私はダメだけど…」
「そのとおりだ。奴らを可愛がってくれる心優しい人間もいる。そんな奴らは幸運だ。そいつがほんの少しでも人間の癒しとなったなら、その魂は多少なりとも優遇されるからだ」
「堕羅の魂の秘密がやっと分かったわ…。自業自得にせよ、話を聞けばなんだか気の毒な気もする…」
「さて、サービスタイムはおしまいだ。ここでお前たちを捕らえてオロチのエサにしてやる。覚悟するがいい」
「エサにされるのなんてごめんだわよ!」
「ぐわっはっはっ…私が手を下さずとも、頼もしい奴隷がお前たちを捕らえてくれるわ!」蚣妖魎蛇が手を上げると奇妙な化け物がどこからか〝ぬっ〟と現れた。その外見を一言でいうなら硬いウロコに覆われた赤い巨人だ。掴まれたら握りつぶされそうな太い手足、そして頭の先から突き出している二本の長く太い角も印象的だった。
「さぁ忠実な奴隷よ──こいつらを捕まえて私に差し出せ!」赤いウロコの巨人は言われるまま錫たちに近づくと、太い手を伸ばして掴みにかかってきた。
「スン、素手で戦える?」
「うん、実は秘密兵器があるのよ」赤い巨人の攻撃を躱しながら、錫は右手に真紅の霊気を集めた。霊気は渦を巻きながら三十㌢ほどの高さまで伸び、そのまま先細りになると形を崩すことなく固まった。錫はその霊気の根本を左手で握ると、智信枝栄の目の前に差し出した。
「な、なにこれ!?スンあなたいつの間に…?」
「へっへ~んスゴイでしょ?これはロウソクの修行の賜よ!ロウソクの火を霊気で消し続けていたら、だんだん霊気が強くなってきちゃって…。そんでもって晶晶白露を取られたことを悩んでいたら、こんな霊気の短刀ができちゃったの!…名付けて──晶晶白露Ⅱ」
「そのまんまね………試したみた?」。「これからよ!」
素早く逃げながら会話をする錫と智信枝栄に腹を立てた赤い巨人は、怒り声を上げると大きな金棒を取り出した。
「この化け物どうして金棒なんて持ってるの?」
「ぐふふふ…驚いただろう。こいつは私が創り出した新種だ──傑作だろう?。さぁ私の可愛い奴隷よ、お前の力を見せつけてやれ!」赤い巨人は大きな金棒を〝グゥングゥン〟と右に左に振り回した。錫も智信枝栄も間合いは充分取っているが避けるのに精一杯だ。
「がはははっ…そうだそうだ。さすが赤鬼の力を秘めた化け物だ!」
「赤鬼ですって…!?」錫が何かに思い当って反応した。
「そうだ…こいつは堕羅の大蛇と赤鬼を掛け合わせた剛力の化け物だ」
錫は思わず化け物の目を見た。「浩子、見て…見てよあの目…」
智信枝栄は錫が何を言わんとしているのか察しがついた。「似ているわ……ううん、同じ目よ…」
「やっぱり!…………いったいどこからその赤鬼を?」
「堕羅の大門が封印される前、辰夜代がどっかの洞穴から見つけてきたのだ。毒にやられた赤鬼をなぁ」
「決まりだわ…間違いない。これは────ポッキーのおじさん!」
「なんだ…お前の知り合いか?これはおもしろい。おい、もっともっと暴れて二人の魂を私に差し出せ!」蚣妖魎蛇の命令に、保鬼は前にも増して激しく暴れ出した。
二人は保鬼を挟んで前後に別れたが、保鬼はお構いなしに金棒を振り回してくる。その一振り一振りを素早く躱していた二人だったが、間合いの目測を誤った智信枝栄に金棒の先が当たった。
「くっ──!」わずか一発で吹き飛ばされ、なんとか片膝をついて態勢を整えたものの、瞬時に立ち上がることはできなかった。
「こっちよポッキーのおじさん…敵はここよ!」錫の誘いに保鬼は勢いよく金棒を振りまして襲ってきた。
──「ダメだ…短刀は使えない…」隙が無いわけではない。試したことのない短刀を保鬼に使うのを躊躇したのだ。
──「どうしよう…やっぱりダメ…。もし…もしポッキーのおじさんが無になってしまったら…」錫はただ保鬼の執拗な攻撃を躱し続けた。
その時、保鬼の動きが止まった。相変わらず金棒は振り回しているが足は前に出てこない。見ると両方の足にがっちり噛みついている助っ人がいる──いや助狛犬だ。
「いし!綿!」二匹の狛犬いしと綿は、口吻に皺を寄せ牙をむいて太い足に噛みついていた。
「ご主人様、逃げますよ!浩子殿、綿の背中に乗ってくだされ、早く!」綿が噛みついていた保鬼の足を放し、浩子を背に乗せると一目散に堕羅の大門へと駆け出した。次いでいしが錫を自分の背に乗せると綿を追いかけるように逃げ出した。
「くそっ…とんだ邪魔が入ったな…。それにしても弱い…あの霊神ども…」蚣妖魎蛇は逃げる錫と智信枝栄を意味ありげな目で追いながら呟いた。