第24章──出雲大社Ⅰ
出雲大社
Ⅰ
とっくに日は暮れていた──草露の滴る原っぱに座った種女は、ひんやりとした心地よさを感じて少しだけ落ち着くことができた。
「いったい…どうなっているのですか?」そこに居たのは葉女と浦祇乃里女だけだった。
「私はずっと矢馬女様を…いや、矢馬女を信じてきました…」
矢馬女の命令は絶対であり、決して逆らわなかった。矢馬女の言うことは全てが正しく、民たちを救う道しるべそのものだと信じていたからだ。その根底にあったのは、矢馬女が真の支配者であり、神の使いだと信じて疑わない里女の一心だった。それほどまでに固かった里女の心だったが──。
「種女様が地のお怒りのお告げを受けた時、一緒に畑に逃げましたよね。もし災いが本当に起こったら私はどうするべきかを考えていました。果たしてお告げどおり地は怒り、先回りして逃げていた民たちは救われました。それでも私はどうすることが正しいのか分からず矢馬女に事の真相を話したのです。そのため種女様の父である箕耶鎚之工が人柱となられました。──そして…流行病の時、矢馬女は自分だけ祈り小屋を作って隠れました。あの小屋が自分だけ助かるための小屋だということは、筆頭の世話役だった私だけが知っている事実です──矢馬女は己が助かるためなら民たちを犠牲にする支配者でした。その一方で、種女様は民たちを救うためのお告げを受けました。そのことを私に話してくだされた時、やっと目が覚めたのです。その地位を守るために政を行う者を支配者とは呼べないことを…。真の神の使いとは、民たちを救うために、神に使われる者なのだということを…」浦祇乃里女は今までしてきた全ての過ちを悔い詫びた。「箕耶鎚之工を人柱に追いやったのは私です。どうぞ、この私をお二人の手で殺してください…いいえお二人にとってそれでも足りないくらいでしょうが…」
「何を言うのですか…里女様は正しいと思われたことを忠実に守られただけ…そこに悪意がないことは分かります。なぜなら目の見えぬ私は、そうした人の心には敏感なのです。その私でさえ、里女様を信じて疑わなかったのは、その胸に二心がなかったからです。それに父が人柱になったのは私が矢馬女様を騙したため…里女様は真実を伝えただけです。一番の責任は騙した私にあるのです…」
「私からも一言だけ言わせてください。なにより父は、姉の代わりに死んでゆけたことを……そして民たちの拠り所となる出雲の神殿を完成させるための人柱となれたことを誇りに思っているでしょう。決して無駄な死ではないはずです」葉女がそう言葉を添えた。
「ですから里女様…ご自分を責めないでください。それよりこの度の策を教えていただけませんか?」種女はそれとなく話題を変えた。
自らの過ちを知った里女は謀反を企て、矢馬女に仕えている側近たちを水面下で仲間に引き入れていった。驚いたのは、矢馬女を真の支配者だと認めている者がほとんどいないことだった。それでも里女は慎重に計画を進めた。少数とはいえ、矢馬女を崇拝する者もいる。その連中を逃がすことなく一網打尽にする方法は一つだ。種女には気の毒だったが、矢馬女の怒りを買って処刑されるよう事を運ぶことだった。側近も民たちも一斉に集まる場を設けるには、それが一番自然だったからだ。
「絶対に失敗は許されませんでした。申しわけなかったですが、矢馬女に悟られぬよう種女様を騙しました。それが一番安全でしたから…」種女は全てに合点がいった。
「それで…矢馬女様はこれからどうなるのですか?」
「民たちが決して許しはしないでしょう。処刑か…それとも死ぬまで牢獄か…」
種女はそれを聞くだけで、胸をえぐられるほどの痛みを覚えた。