第21章──騙すⅢ
Ⅲ
綿胡は村人に囲まれて酒を勧められていた。
「私がこの村の長です、旅のお方。われわれ村の連中は、数日ずっと隠れておりました。それぞれ家の中には大きな穴が掘ってありますから、そこへ…」
「オロチに襲われるのを恐れて?」
「そうです。生け贄の娘などもう居りません。差し出す食物も微々たるものです。ただ身を隠すことしかできませんでした…」長がそう言うと、村の若者が話に割って入った。
「わしらは、この村の守り神さまに必死に願ったです。村を救ってくれと…。なあ?」
「あぁ、わしらは守り神さまにただただ願っただ」
「守り神…?」
「よく聞いてください旅のお方。この者たちの言う守り神こそが────そう……ヤマコクさまなのです」
「えっ!?ヤ…ヤマコクが守り神?」
「はい。そして〝右守・添乃木〟さまも同じ守り神なのです。ご神体はずっと山の奥にあります…」
「山の奥?………………も、もしや…それは〝滝〟ではあるまいか?」
「おぉ、よくお分かりになられましたな。〝右守・添乃木〟さまは〝ヤマコクの滝〟を守り続けている御神木なのです」
──「あの二本の老木だ…」綿胡は大きな目をさらに大きく開いて放心していた。
この村では春と秋の満月の夜、オロチが生け贄を求めて村を襲っていた。その度に若い娘が犠牲となり、ついには誰一人として娘が居なくなってしまった。仕方なく村人たちは、半年分の食べ物を差し出してオロチを鎮めていたが、そんなことを続けていては村が滅んでしまう。それで長は苦肉の策に打って出た。村人を全員隠れさせたのだ。たとえ村がむちゃくちゃに荒らされても、滅びてしまうよりはましだと考えてのことだった。
「あの親子は……神の化身だったのか…」
「ヤマコクさまは、わしら村人の願いを聞き入れてくださったのだ…。皆の衆、わが村の守り神──ヤマコクさまと、それを守る右守・添乃木さま………そして、旅のお方…布羅保志之綿胡さまにも心より礼を申そうぞ」長は杯を片手に立ち上がって力強く告げると、村人たちは歓喜に湧いた。
『邪悪現れしとき旅人来たれば、勇者となりて民を救わん』
──「どうやら言い伝えは本当に私のことだったようだ……本当に…」綿胡も村人と溶け込んで酒を酌み交わし、至福のひとときを過ごしたのだった。
○
「お父様…知りませんでした。あのような言い伝えがあったなんて…。すると旅人の綿胡様は本当に勇者だったのですね…?」
「……………ヤマコク、何も聞くな…」
「はっ!?……どういうことですか…?」
「つまりだ………あれは思いつきだ…………綿胡様になんとかここに留まってもらいたくて、あのような戯れ言を語ったのだ」
「えっっ!?……な、なんと言う……では綿胡様はそれを信じてオロチ退治を?」
「そうだ。…だが嘘が真事になることもある。現に綿胡様は見事にオロチ退治をしてくれた……言ってみるものだ…むはははっ」
「…………むはははってお父様……そうとも知らずに綿胡様は…。なんとお気の毒な…。まぁ、結果的には本当に勇者となられたのですが…」
美しく清らかな滝と、それを見守る老木のナイショ話に耳を澄ましていたのは、山に棲む生き物たちだった。
Ⅳ
堕羅の牢獄に囚われていた智信枝栄と共に無事人間界へと戻ってきた錫は、時間を惜しんで文字の入れ替えに全力を注いでいた。
「…今のところ絵のヒントから明らかなのは、この人物が大国主命だってこと…」
「そして、その人物が社に納まっているということですけん…」
「さらに背景には陽の沈みかけた山の絵………確信はないけど、以上のことからなんとか抜き出せた文字は〝おおみわ〟の四文字。大国主命を祀る〝大神神社〟は三輪山の麓にあって、その三輪山そのものが大国主命のご神体だからね…」
「これが正解ならいいですね!?…ご主人様」
「うん……けど、これだけの文字数から〝おおみわ〟だけを抜き取っても、その後が問題ね…」錫はげんなりした顔で、残った文字カードを見つめた。
【だ・い・も・ん・の・あ・か・に・は・ほ・こ・ら・い・ず・の・ん・で・そ・れ・る】
「まだこんなにもあるんだよぉ…。まったくもう…考えれば考えるほど腹が立つわぁ~…錫雅のやつぅ…」
「あっ、そっちですか…」いしは苦笑いして、堕羅の大門の玉の中に浮かんだ絵を覗いた。
「何か手がかりはありそう…?」
「そんな簡単には見つからんですけん…。んっ?…んっ?……ご主人様、この絵に雲の絵もあるのは存じてましたか?」
「うん、もちろん知ってるよ。山が高いから雲を描いたんでしょ」
「わたくしも最初はそう思いましたから、気にも止めませんでした…ですが………よく見ると雲の絵の位置が不自然だと思いませんか?」いしに指摘されて、錫も堕羅の大門の玉を覗き込んだ。
「よく見てください、ご主人様。社の手前に雲がかかっているでしょう?山にかかる雲を表現するなら、社の向こうに描かれてある山側に描きませんか?」
「……たしかにそうだね…。つまり…この雲は単なる飾りではなく、何らかの意味を持っているっ…ということ?」
「はい、そう見てもいいのではないでしょうか!?」
「いし…あんたはやっぱり賢い狛犬ね…ステキ!」いしはそう言われただけで、お腹を上にしてゴロゴロと転げ回った。
「さ~て…では仕切直して隠された絵の意味を解いてみましょうか…」錫は珍しく食事をするのも忘れて文字カードと格闘した。
ポケットの中で携帯が鳴ったのは、ちょうどその頃だった。