第3章──五里霧中Ⅱ
Ⅲ
指定された喫茶店に着いたのは待ち合わせ時間より二十分も前だった。錫にしては珍しく早い到着だ。気持ちが落ち着かないのがよく分かる。
やがて十分も経たないうちに、待ち合わせの相手がやって来た。
「こんにちは。私の方が早いと思ったのに香神さんの方が先だったね?」
「いいえ、私が早く着きすぎたから…。それより私に話ってなんです?…逮捕するつもり?」
「はぁ…?逮捕…?逮捕するならわざわざ呼び出さずに家に押しかけるよ」一松穣二は笑ってそう言うと錫にメニューを渡した。錫はすぐに注文が決まったので、一松は店員を呼んでホットコーヒーとチョコレートパフェを頼んだ。
「それでなんですか…?相談って?」
「それなんだけど……こんなことを頼める人は他にいなくてね…」一松は、担当している大鳥舞子の一件について詳しく説明した。
一松は大鳥舞子の職業に興味を持った。彼女はイタコを生業としていたのだ。イタコは依頼人の会いたい身近な霊を呼び出して、自らが媒介人になり話をさせる特殊な職業だ。昔イタコは盲目の仕事とされていたが、今はそうでない人たちが殆どだ。大鳥舞子のような正真正銘盲目のイタコは今となってはむしろ珍しい。一松が詳しく調べてみると、そのイタコの中でも大鳥舞子の人気は抜きん出ていた。恐山では、彼女に霊を呼び出してもらいたい人の列が絶えなかったようだ。その理由は、大鳥舞子が霊を呼び出すと、依頼人しか知り得ない内容の会話をしてもらえることにあった。
「僕は大鳥舞子と何度か話をしてみたんだが、とても犯人だとは思えない。まして目の不自由な彼女に人が殺せるはずがない。けれど上司は〝目が見えない人間ほど気配を感じる力は秀でているはずだ──騙されるな!〟という始末…」
「だからって私に何をしろと…?」
「うん…。犯人かどうかは別として、彼女は何かを隠しているようなんだ…。もちろん確信は無いんだけどね…」その時、注文の品が運ばれてきた。
「お待たせしました…チョコレートパフェのお客様は?」
「あっ、僕です…」一松はちょっと恥ずかしそうに手を上げた。「甘い物に目がなくて…」錫はそれにはほんの少し笑みを返しただけだった。本当は自分もチョコレートパフェを食べたいところだが、捜査一課の刑事から呼び出された緊張と不安で、ガラにもなく胃袋が拒否していた。
「それで……霊を呼び出したり、話をするのって…どんな感覚なの?」
「それって事件と関係あるの?」
「分からない……けど調べてみたいんだ。何か見えてくるかもしれないからね…。頼れるのは君しかいない…あの事件を不思議な力で解決した君しか…」
錫が明日香紗樹の娘、明日香美鈴に取り憑いていた西河浪子の霊を助けたことで、ある事件の真実が浮き彫りになった。西河浪子は男と駆け落ちしたと思われていたが、実は夫の西河良之に殺されていたのだ。死体はドラム缶の中でコンクリート詰めなって家の床下に隠されていた。
真相が明らかになったことで浪子の霊は安心してあの世へと旅だった。錫もそれで一件落着だと思っていた。ところがその後、錫は警察から執拗に取り調べを受けていたのだ。その時担当していた刑事の一人が一松穣二だった。
霊的能力で床下からコンクリートの死体を見つけ出したと証言する錫に対して、警察が疑問を持つのも無理はなかったが、あまりにしつこいので、さすがの錫も頭にきてしまった。
「いい加減にしてよ!私が西河を殺したとでもいうの!?」
「そうじゃないが……調書に死体を霊能力で見つけたとは書けないんだ。上司が承知するはずがない…」
「あっそ……じゃ、こうしましょ!──ローソクを持ってきて。なければマッチでもいい…」
「………?マッチならここに…」
「一度に何本か火を点けて持ってて」一松は言われるとおり5本のマッチに火をつけた。
「よぉ~っっく見ててよ…」錫が机越しに一松の持っていたマッチの火を睨んだ瞬間、その炎は揺らぎもせずに消えてしまった。
「な、なんだ今のは!?──いっぺんに消えた…」
「分かったでしょ?この世には未知の力が存在するの。殺された浪子さんの霊は、自分の死体が隠されていた場所を私に教えてくれたの。これ以上何も答えようがないわ」
「……あの時は驚いたけど、摩訶不思議な世界の存在が僕の中でハッキリしたよ。それで今回、君にお願いしたいのはそっちの話なんだ…。彼女がどれほどの霊能力というか霊感というか…その類の力を持っているのか聞き出してほしいんだ。彼女は何かを隠している…それは今のところ刑事の勘だが、少なくとも上司の言っているそれとは違う…」終わりの方の言葉はぶつぶつと自分に言い聞かせているようだった。
「もし断ったら…?」
「あの事件を振り出しに戻す!」一松は笑いながら答えた。
「冗談でしょ!?…まぁいいわ──引き受けます。あの時私を信じて必死で庇ってくれたのは刑事さんだけだったからね…。受けた恩はちゃんと返さなきゃ!」錫は軽い気持ちで引き受けたが、実は大鳥舞子とは不思議な縁で繋がっていた。
Ⅳ
智信枝栄は浩子の体を抜け出し錫を迎えに行くと、速攻錫の肉体から魂を引っ張り出した。
「最近は信枝のように一人で肉体を離れることが多かったけど、やっぱり手を借りると楽に離脱できるわね…」
「スン…黒の国には何度か足を運んでいるようだけど、今度はどうなっているか分からないわよ」
「分かってるってぇ!」二人は黒龍に乗ると、一路黒の国へと向かった。
智信枝栄から忠告されていたものの、まさかここまで酷いとは思ってもみなかった。
「何よぉこれ…。鬼さんたちが走り回って…それにこのおどろおどろしい霊気はなんなの…?」あまりに様子の違う黒の国に困惑していると、一匹の鬼が錫と智信枝栄に近寄って声をかけてきた。
「あんたたち…何してるだね?」
「わ、私たちは黒の国の様子を見に…」錫は少しビビりながら答えた。
「あ~…ご苦労だが見てのとおりの有様だ…。今回はひでぇ…あまりにひでぇ…」
「それは分かるけど…いったいどうなってるの?」
「それがだな……封印されていたはずの堕羅の大門がだ……なんと内側から破られただ…。まったく信じられない事態だ…くわばらくわばら…」
「……スン、どうやらとんでもないことになっているようね…」
「うん……また封印し直し…?幸い三つの玉はまだ手元にあるけど…」
「内側から封印が解かれたということは、今スンが封印しても、またすぐに内側から封印が解かれるということだわ。根本の解決にはならない…」
「なにが恐えって…俺たち鬼でもゾッとするような気味の悪い霊気が堕羅から流れてくるだ」
「…堕羅の亡者は襲って来ないんですか?」
「そうなんだ…。門が破られているのに何故だか一体もこっちには来ねぇ…。俺たちはそれが余計に不気味だ…」鬼は顔に似合わず怯えきっている。
「どうやら行くしかないわねスン…」。「やっぱりそれしかないか…」鬼の話を聞いた二人は互いに顔を見合わせてそう言った。
渋々だが錫は堕羅に入らざるを得なくなってしまった。堕羅に入るとその魂は本来の姿に戻される──つまり香神錫の姿になってしまうのだ。もしここに信枝が居合わせていたら正体がバレてしまうところだ。
二人は堕羅の大門へ向かって駆けだした。黒の国の亡者たちは地獄の拷問に苦しみ、あちこちの洞窟の中から苦痛に喘ぐ声が漏れ聞こえてくる。だが獄卒の鬼たちはいつもののんびりした様子はなく、落ち着かない体で、辺りをきょろきょろしていた。
「やっぱりおどろおどろしい霊気の源はこの堕羅のようね…」封印が解かれた堕羅の大門の入り口に着くと、智信枝栄が呟いた。
「ね、ねぇ浩子…私晶晶白露も持ってないし、もし襲われたらどうしよう…」
「大丈夫よ、今のスンは晶晶白露がなくても戦えるだけの霊力を持ち合わせているわ。それに晶晶白露を取り戻すためにも中に入らないと」
「〝虎穴に入らずんば虎児を得ず〟ってやつね…。せめて猫穴くらいにしてほしかったなぁ…」
「もう…またスンったら…。さぁ、勇気を出して行くわよ!」
智信枝栄に背中を押され、錫は仕方なく堕羅の大門を潜った。