第20章──退治Ⅰ
退治
Ⅰ
「錫殿…助けてください……どうか助けてください!」いつも落ち着いている綿が取り乱して錫のところにやって来たのは、答えを導き出せない文字替えに頭を悩ませているときだった。
「ど、どうしたの綿…?と、とにかく落ち着こうね…」
この日──ねずみ色の空は〝はらはら〟と牡丹雪が舞っていた。
「…………うん、そこまでは分かったわ…」
綿の話はこうだ──。恵栄文女之命が堕羅に拉致されたことを知った智信枝栄は、妹を救出すべく急いで堕羅に向かった。だがその折、信枝がこっそり智信枝栄を追いかけていたというのだ。
「どうしてわざわざ信枝殿に知らせたんだ?危険なのは分かっていただろうが?」いしがきつい口調で問うた。
「狛犬が忠実なのは、あんただって分かってるでしょ?」
「信枝殿はお前の主人か?──そういう間柄か?」
「…………そ、そうじゃないけど…」綿らしくないもごつきようだ。
「まあまあいし…。今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう?これからどうするかを考えないと…」
「は、はいですけん…すみませんご主人様…」。「ふんっ…ほら自分だって…」
「なに!?」
「ほらほら…いいかげんにしなさいってば!」
「すみません…」。「すみません…」
恵栄文女之命が拉致されたことを智信枝栄に伝えたのは白の国の霊神だった。智信枝栄は恵栄文女之命を助け出そうと、その霊神を連れて堕羅に向かったという。ところが途中で信枝がひょっこり智信枝栄の前に現れる。驚いて理由を尋ねると、智信枝栄が動き出せば錫雅尊も現れるだろうと踏んでのことだった。激しい恋心を燃やす信枝の気持ちが理解できる智信枝栄は怒るに怒れず、むしろ胸が切なくなってしまった。だからといってこのまま放っても置けず〝せっかくだが今回は空振りだ。錫雅尊は現れないからすぐに引き返せ〟と告げた智信枝栄だったが、〝今更引き返せないから自分もお供させてくれ〟と信枝に強くせがまれ、仕方なく二人して堕羅に行ったというのだ。
堕羅の大門の入り口まで来ると、そこでお供の霊神に番をさせて、智信枝栄、信枝、綿は堕羅の大門を潜って奥へと潜入した。その際、智信枝栄は〝もし時間までに帰ってこなかったら、ただならぬ事が起きたと思って先に帰れ〟と霊神に命じていたのだった。
「ふ~ん…そもそも恵栄文女之命が堕羅に行った理由はなんだったの?」
「どうやら天甦霊主様が動き出すらしいです。それで一足先に恵栄文女之命が様子を窺いに…」
「そういうことか…。堕羅は侮れないわ。私も簡単に捕まっちゃったもん…」
「はい…。堕羅では智信枝栄殿も信枝殿も力を尽くして戦われましたが、最後はとうとう捕らえられてしまいました。あたいは信枝殿から逃げるよう言われ、仕方なく大門で待っていた霊神と共に逃げ帰ったのです…」
「…………。いし、綿…行くわよ!」錫はどこか一点をしっかり見据え、口を一文字にして立ち上がった。
「はいですけん!」。「お供します!」
こうして錫はすぐさま黒の国へと向かうことになったのだった。
Ⅱ
松本弘志は途方に暮れていた。八方に手を尽くしてみたが、奈緒子と千夏の足取りが皆目掴めないからだ。
「チクショウめ…。苦労して手にした大金を騙し取ってどこにトンヅラしやがったんだ…」
○
「苦労した──だってさぁ。この男ってば寝ぼけたこと言ってるよね」
「くふふっ、まったくだね…。盗んだ金をギャンブルで当てた泡銭のくせに…。ねぇ嵐姉さん……これからあたしたちは何をするの?」
「…もうあたしたちがすることは何もありゃしないよ。雛も幹もよく頑張ってくれたからね」
「これで終わりってこと?…なんだか中途半端でスッキリしないなぁ…」
「あたしも幹と同感。もっと取り憑いてやりたいのに…」
「もうそんなことしなくても、あたしたちの代わりに完膚無きまで叩き潰してくれる人間がいるからだよ」
「えっ!?じゃぁ…その人たちが奈緒子と千夏に取り憑くの…?」
「バカだねぇ…違うよ!もうじき……もうじきだよ……ここから先はバトンタッチさ…」
「なんだかよく分からないよ……嵐姉さんの言ってること…」
「つまりだね……………まぁ、いいやね…」
「………………?」「………………?」
「くふふふふっ、気になるかい?……とにかくあたしたちは高みの見物と洒落込んでいればいいのさ…」
謎の三体の霊体は、そのままどこかに消え去ってしまった。