第18章──第二の剣Ⅲ
Ⅳ
箕耶鎚亡き後、種女と葉女は肥女へと落とされていた。矢馬女の目的は最初からそれだった。真のお告げを得ることができる種女は、矢馬女にとって脅威でしかない。そんな種女を〝じわりじわり〟と追いつめて、崖っぷちから突き落とすのが矢馬女の描いていた構図だった。
「まだだぞ種女………最後は私がお前の命にとどめを刺してやるからな…くっくっく…」
矢馬女が種女を肥女にさせたときの理由はこうだ。
「お前たち親子は私を惑わしたが、箕耶鎚は大きな功績を残したので名誉な死を授けてやった。お前にはそのような功績は無いが、神殿造りに貢献した父に免じて、今までどおり私の下で使ってやる。ただし肥女としてな…。寛大な私に感謝しろ」民たちを集めて、一同の前でそう告げたのだった。それから大きく両手を広げ、天を仰いでこう告げた。
「民よ──この私を崇拝するがよい。私は神じゃ…永遠の神じゃ!お告げがあるのは私ただ一人である!」その言葉に一人残らず跪き頭を垂れた。だが民の多くの内心は違っていた。
そして、それとは別に種女が肥女に格下げになり、大いに喜んだ人物がいた──田祢壬だった。種女が退けば、田祢壬は御矢馬仕えになれるのだ。
「さすが矢馬女様、そうでなくては…むふふっ。種女が落ちぶれる姿は実に愉快だ。これからはこの田祢壬が直に可愛がってやるからなぁ種女……ふっふっふ…」
双子の妹、葉女も同罪として肥女に落とされた。それだけは許してほしいと種女は矢馬女に食い下がったが無駄だった。種女は自分のせいで肥女にされてしまった葉女に詫びたが、葉女はむしろそれを喜んでいた。
「お姉様と私は一心同体です。御矢馬仕えであろうと肥女であろうと、そんなものどうでもよいのです。お姉様と一緒ならどんな地位でも幸せです」種女には何より救われる言葉だった。
御矢馬仕えになった田祢壬は事あるごとに種女をイビろうとした。
激しい雨の日に、わざと遠くまで水を汲みに行かせたり、風の強い日に干し物をさせては種女を困らせるのだった。しかもそれは決まって葉女が他の用を仕えているときだ。
だがそんな田祢壬の魂胆を知っている女もいた。種女にとって雨の激しい日に厄介なのは、天からの雨ではなく足下の水たまりだ。重たい水桶を抱えて深い水たまりに足を取られかけたとき、透かさず手を伸ばしてくれたのは──あの浦祇乃里女だった。
「大丈夫かい…?こんな日に遠くの水を汲みに行かせるなんて、田祢壬のすることは陰湿だね…」
「里女様…。また助けて頂きましたね…ありがとうございます」
「礼なんていらないよ。…にしても田祢壬の奴、嫌がらせばかりして…。この前も強風の日にたくさんの洗い物を干させてたろう?…洗い物が風で飛んでいったら、探すのが困難なのを分かっていてわざとさせるんだからね…」顔は見えなかったが、里女の眉毛が相当つり上がっているのだろうと種女は思った。
「あの日の事を知っておられたのですか?」
「あぁ…。もし洗い物が飛んでいったら、取りに行くつもりでいたのさ」
「ありがとうございます里女様。…私は幸せ者です!」
「父上が亡くなって、そなたも心細かろう…。これからは何でも頼るがよい」
「はい…もったいないお言葉です里女様……」今までずっと支えてくれていた父・箕耶鎚は亡くなったが、里女という大きな後ろ盾ができたことを種女は有り難く感じた。
そして、たとえ肥女という立場でもあろうとも、人の心に触れながら生きていけるなら、それに勝るものはないと強く思えるのだった。
そうやって新たな幸せを見出した種女だったが、それがほんの束の間のことだとはまだ知らない。
またしてもこの村を襲う脅威は────すぐそこまでやって来ていた。
その脅威の渦に、種女は物の見事に巻き込まれることになる。
Ⅴ
久しぶりに一松穣二から着信があった──。今度の日曜日にいつもの喫茶店に来てほしいとの連絡だった。気が急いていた錫は約束の時間より二十分も早く喫茶店に到着したが、それでも一松刑事はもう窓側の席に座ってのんびりと外を眺めていた。
「お待たせしました…。私の方が早いと思ったのに…まさか刑事さんの方が早いなんて」
「あっ、僕も今来たばかりだから…はははは…」そう言いながら灰皿にはタバコの吸いがらが三本もあった。
──「刑事さんてば、よっぽど秘密を知りたいんだね…。ゴメン…舞子さんとの約束なの。どうしても教えられないのよ…」
「さてと、まず注文と参りましょうか…今のオススメはっ…と…〝栗とソフトクリームのパフェ〟…これでいい?」
「もちろんですぅ~!それお願いしま~す」錫の大きな黒目がハート型になっている。
「注文おねがいします…〝くりくりクリームの栗栗パフェ〟二つ!」さっさと注文した一松は、さっそくテーブルから身を乗り出した。
「褒めてよ香神さん、頑張ったんだから!──松本に張りついていたら、とうとうそれらしい奴と接触があったんだ…」そう言って大きな茶封筒から写真を何枚か取り出した。「これがそいつだ…。広井善男──前科はない。怪しいと睨んだのは松本との接触の仕方があまりにも不自然だったからだ」錫は説明を聞きながら、松本と広井の二人が公園のベンチで離れたまま座っている写真に目を留めた。
「結局二人は最後までこの状態のまま話をして、たった数分で別れた。間違いなく共犯者はこの広井善男だ…刑事のカン」錫は〝誰だってそう思うだろう〟と言いたかったが、それはグッと呑み込んだ。
「ありがとう刑事さん!この写真は借りていくね。共犯者であることがハッキリしたら…最後の大仕事が待っているわ!」
「えっ、えっ?どういうことなんだ!?どうやって共犯者だと断定する?最後の大仕事ってなんだ…?」
「ふふふっ…………ひ・み・つ」
「うっそだろ……ここまで頑張ったんだ──もう教えてくれよ…」
「約束だったでしょ!何も聞かないって」
「そ、そうだけど……だが…しかし…けれども…なぜに…。くぅ~…くっそぉ~…」
約束なので仕方ないが、一松の鬱憤は指先で軽く突いただけで弾けるほどパンパンだった。それをなんとか落ち着かせようと、一松は徐に柄の長いスプーンを手に取ると、運ばれてきた〝くりくりクリーム栗栗パフェ〟をほおばった。
「ん~…くりくりと高く巻き上げたソフトクリームの周りにいっぱい張り付いた旬の大栗たち…これは最高だぁ!」さすがの錫も目をテンにして、一松の食べっぷりを見ていた。