第17章──真の親子
真の親子
Ⅰ
──「矢馬女様は、まだ種女に死を与えぬというのか…。それどころか箕耶鎚に名誉を与えるとは…いったいどういうことだ?」田祢壬は苦虫を噛み潰したような顔で、じっと話を聞いていた。
「箕耶鎚よ──そなたには最も名誉な命を与えてやる。その命とは────────人柱だ!」民たちからどよめきが起こった。
「お、お待ちください!父は…父は関係ないのです。お告げがあるのは私です…どうかこの種女を人柱にしてください…どうか、どうか…ううぅっ…」
「お前は何か勘違いしているな…?言ったであろう…箕耶鎚には最高の名誉を与えてやるのだ。お前ごときが人柱になってどうなるというのだ。大蛇を鎮めるにはお前などではどうにもならん…箕耶鎚でなければならんのだ」
「ですが……これは…」
「黙っておれ、種女。矢馬女様の御心が分からんのか!?」種女の言葉を強く遮って怒鳴りつけた箕耶鎚の目は血走っていた。箕耶鎚のきつい口調に、どんな思いが隠されているのか──種女には痛いほど分かっていた。
「種女はまだまだ子供で、矢馬女様の御心が分かっておりません。その上自分にお告げがあるなどといい加減なことを…。親を庇っての戯れ言でございますゆえ、ご無礼の段どうかお許しください。そして、この箕耶鎚めに最も誉れな命をお授けくだれたこと、謹んでお受けいたします」そう言って地面に額を擦りつけたまま箕耶鎚は顔を上げようとしなかった。
──「お父様…すべての罪を自分一人が背負うつもりで…。この私のために…これほどまでに…」種女の見えぬ目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
──「くふふっ、そういうことか…。そうでなくては困る……くふふっ」さっきまで顔を歪めていた田祢壬がほくそ笑んだ。
「…ふんっ…箕耶鎚を牢へ入れておけ。今宵は牢越しに親子三人の対面を許してやる。最後に心ゆくまで語り合え。寛大な私のはからいじゃ」
父の代わりに人柱になりたい──種女の本心だった。だがそれは絶対に口に出せない──命がけで娘を守り抜こうとしている父の気持ちを無駄にすることはできないからだ。
娘を思う父の気持ちと自分の本心との間で、種女の心は押し潰されそうだった。
最後の夜を牢獄で迎えることになった箕耶鎚だったが寂しいとは思わなかった。牢越しに〝種女〟〝葉女〟二人の愛しい我が子が一緒だったからだ。三人は時間を忘れて、たわいない話を続けた。そしてどっぷりと夜が更けた頃、箕耶鎚が二人にこんな話をしたのだった。
「ここまで来たら私が居なくなっても神殿は完成するだろう。だが万が一…また心御柱が倒れたとしても、それは決してモノノケのせいではない。矢馬女様は地のお怒りを大蛇の仕業にしたがるが、そうではないことを種女が一番よく知っているはずだ。もしかすると、オロチ再来と称して、今一度モノノケ退治をしたことにし、自分の力と威厳を不動のものにしたいのかもしれん。なんにせよ、私亡き後は、絶対に矢馬女様には逆らわないことだ…よいな?」
「お父様…」
「泣くな…。矢馬女様の本心がどうあれ人柱とはめでたいことだ。神出ずる国の名を轟かすため、延いては民のためにこの命を捧げるのだ。喜んで送ってくれ」
「そんな…お父様…」
「葉女は眠ったのか?…ちょうど良かった。最後に……お前にどうしてもこのことを伝えておかねばならない…」弱々しい声で呟いた箕耶鎚のその時の顔は、種女が一度も見たことのない悲痛な顔だった。
Ⅱ
「なんと心地よい気分なんだ。私は死んだのか…?」
「そうだ、お前は死んだのだ」布羅保志之綿胡の目の前に、一人の男が立っていた。
「あんたは誰だ?死んだ私の魂を奪いに来たのか?」
「そうではない、私は霊神だ。神とも違う…人間の魂だが少しばかり徳がある。神に近い人間の霊だ」
「それが私に何の用だ?」
「お前に興味があってここに来た。お前の魂は生まれ変わりではなく新生のようだが……にもかかわらず、高い霊力を秘めている」
「だからどうなんだ?死んだ人間にそんなことを話しても仕方ないだろう…」
「まぁ、そう噛みつくな。さっきも言ったように私はお前に興味があって来たのだ。どうだ私と共に生きてみる気はないか?」
「あんたと共に…?どういう意味だ?私は死んだのだろう?」
「お前は変わった奴だ。たった一人で旅に出たと思ったら、こんな場所で命を落とすまで修行を続けるとは…」
「…ただ気になるだけだ。この先に何があるのか…何が待っているのか…。そう思うと、この国の最果てに足を運びたくなる…」
「先が気になるならどうして命を落とすまで修行をしたのだ?」
「修行の先に待っているものも気になるのだ…。もし修行の途中で命を落としたのなら、それが私の見たかった結末だったのだと得心できる──だから後悔はない」
「本当に変わった奴だ…。ならば、お前はまだ結末を迎えていないかもしれない…。もちろん、お前の選択次第だが…」
「ん……?どういう意味だ?」
「確かにお前は死んだ。だが私と共に生きる道を選べば、お前は別の結末を見ることができる。…そう思えば悪くないのではないか?──この私と共に生きてみるのもな…」
「だが、どうやってあんたと一緒に生きていくのだ?」
「心配せずともよい。取って食ったりはせん。私がお前の魂に入り込んで生気を与えてやる…。お前は今までと変わらず生きていける。ただ……いいやなんでもない…」最後に言いかけた言葉が引っ掛かった綿胡だったが、それは聞かずにすべてを受け止めることにした。
「分かった!お前を信じてすべてを任せることにする」
「よし、交渉は成立だ。これからもお前はお前らしく生きていくがよい。ときにお前はいくつだ?」
「十八になったばかりだが…」
「十八か…これからお前の人生は大きく変わるかもしれんな…」その言葉を最後に男の姿は消えた。
昇る朝日に目を射られて、綿胡は瞼を〝ぴくっ〟としばつかせた。
「…なんだったんだ?あれは現か夢か…?そもそも私は生きているのか?」大きな一枚岩の上にすっくと立ち、深く深呼吸をしてみた。
「うまい空気だ……どうやらまだ生きているようだ」綿胡は長のところへ戻って昨夜に起こった出来事を話した。長は特に驚く様子もなく、囲炉裏に枝木を放り込みながら黙って話を聞いていた。
「お前に備わった神玉はまさにそれだな…」。「えっ!?……どれです?」
「ふふん……宿りの神玉だ!お前には霊神の力が備わったのだ」。「い、いったいどんな力です?」
「分からん。それはお前が自分で確かめることだ。けれども、霊神が宿った者はこの村にはおらん……極めて稀だ。お前はやはりスゴい男かもしれん……少しばかり無謀でマヌケなところもあるがな…ふぉふぉっ…」
「そうなのですか?……よく分かりませんが、内から力が漲る気がします。」
「ふぉふぉふぉっ。そりゃ、お前……魂が二つあるようなものだ。これからの旅で霊神の力を知るであろう」
こうして布羅保志之綿胡は、この村と別れを告げて再び旅に出た。