第16章──大蛇《オロチ》
大蛇
Ⅰ
遠い遠い昔────我が者顔で暴れ回っていた八匹の大蛇が睨み合った。一匹として互いの強さを譲らず、その頂点を極めるべく戦いを始めた。
八匹の大蛇には共通点があった──どの大蛇も千の魂を喰らっていたことだ。互いに牙をむき、長い胴をグネグネと絡め合いながら、幾日も幾日も戦い続けた。
勝者は自分が殺した相手を呑み込み、その魂を自らのものにした。そうやって強さを増しながら、また幾日も幾日も戦い続けた。
最後の二匹の戦いは、百日の睨み合いと、八日間の死闘の末に幕を閉じた。
勝利した大蛇は、最後の力を振り絞って殺した相手を呑み込んだ。そうして、八千の魂を得た大蛇だったが、そのまま起き上がることなく息絶えた。
それからまた幾日も幾日もが過ぎ、徐々に八千の魂は融合し力を増幅していった。やがてすべての魂が一つになったとき────八つの顔と八つのしっぽを持った巨大なオロチと化してこの世に蘇ったのだった──。
オロチがさらに強大な力を持った邪神と化すためには一万の魂が必要だった。オロチは順番に村を襲い魂を喰らい続けた。
どの村も、たえずオロチを恐れ、そして怯えながら生活していた。そのうち村の民たちは、被害を最小限に抑えるために、若い娘を生け贄にしたのだった。
一人の旅人が長い長い道のりを経てこの地方にやって来たのは、ちょうどその頃のことだった──。
Ⅱ
龍門の留守を狙って、錫と浩子といしは御扉の前に集まった。
「御扉はこれに違いないわ。きっと剣はこの中よ…。それ以外に、おじいちゃんがこの御扉を必要とした理由がないもの…」
「それを信じて…スン、開けてみようよ…」
「玉に映っている御扉の絵は左右とも開いているから、そのとおりにしてみるよ…」錫は向かって左側に引っ掛けてある鍵金具をくるりと回して外すと、右側の扉から開け始めた。
〝ギギギギギー……〟大きな音が広間中に響き渡る。
「パパが留守だからいいようなものだけど、もっと静かに開いてほしいわね…まったく…」小言を言いながら錫は左側の扉も開けた。以前開けたときと同じように、開いた扉の手前には御簾がかかっていたので、クルクルと向こう側に巻き上げて、上に吊してある〝しの字型〟の金具に引っ掛けて止めると、漸く中に顔を突っ込んで何かないか調べ始めた。
「やっぱり前と同じだ…。真ん中に小さな社があるだけ…」。「スン…これ使ってみて…念のために持ってきたの」
「おっ、懐中電灯!さっすが浩子殿…気が利くのぉ~」小型ながらも明るい懐中電灯で御扉の中を照らしてみた。あっさり見つかるとは思っていなかったが、やはりそれらしき物は見当たらなかった。
「ご主人様、天井はどうですか?」
「…………うん……ダメ…やっぱり何も無い…」
「どこかに細工があったりしない?木と木のつなぎに一カ所だけ怪しいところがあるとか…?」
「…………う~ん………………ダメ……そんなのも無い…」
「やっぱり簡単には見つけ出せないか…。弐の木札の短文を並び替えて、答えを完成させるしかないみたいね…」
「そうだね……くすん…」御扉から顔を引っ込めてしんなりしていた錫だったが、はたと何かに閃いて手を叩いた。「そうだっ!」
「ひ、閃いたのですねご主人様!またまた閃いたのですね!?どのようなことを!?」いしは話を聞く前から期待して目を輝かせた。
「まぁまぁ、そう慌てないで…コホン…。まず、御扉…これについては、ここの御扉が正解だと仮定する。そしてもう一つの謎…うさぎだけど、この御扉の中でうさぎちゃんを飼ってみるっていうのはどう?」
「……………………スン……本気で言ってる…?」
「……………………。ご、ご、ご主人様…ス、ス、スゴイですけん…スゴイですけん…」いしは顔を引きつらせながらはしゃぎ回った。
「絶対服従のいしは、こんな時どう対応していいか分からないからツラいわよねぇ…ふふふっ…」
「あれっ!?………私ってば、なんかオカシなこと言った…?」
「あのねぇスン……。御扉の中で生き物飼って、どうやって世話をするのよ…。第一うさぎが中でドタバタしてたら、スンのお父さんが〝神様のお怒りだぁ~〟って腰を抜かすわよ…くふふっ」
「……どうせ私の考えることは、その程度のことですよぉ~~~…」
結局これといった新たな発見はなかった。強いて分かったことと言えば、錫の天然ぶりは健在だということくらいだった。
Ⅲ
「神を謀る不届き者は──────────お前じゃ!」矢馬女の指さした先に民たちの視線が集まった。
「お前じゃ、種女。神を…そしてこの矢馬女をも騙そうとした不届き者とはお前のことじゃ!…その女をここへ連れてまいれ」矢馬女の側近が二人、種女を捕らえようと民たちに向かって〝どけっ!〟と叫んだ。民たちは一斉に道を開け、種女はポツンと取り残された。いや、たった一人ではない。その種女を庇おうと、葉女だけが盾になっていた。
「邪魔だ…どけ!」二人がかりで葉女を簡単に突き飛ばすと、種女は両腕を取られて矢馬女のもとに引きずり出された。
「自分の罪は分かっておろう?」矢馬女から問われた種女だったが、正直その理由がなんなのか分からなかった。「分からぬか?…ならば教えてやろう」矢馬女が側近に目で合図すると、縄で縛られた男が屋敷の裏から引きずり出された。
「お父様…」種女は気配と歩き方で、それが箕耶鎚之工だとすぐに分かった。
「ふん…目は見えなくても父親だと分かるのか…。それにしてもお前たち親子は、よくも私を誑かせしてくれたものよの?」種女はここにきて漸く自分が何の罪に問われているのかが理解できた。
「矢馬女様…種女にはお告げはありません。お告げがあったのはこの箕耶鎚めでございます…」
「まだ言うか。もう嘘は通じぬ。お告げはそなたにではなく種女にあるのだ…」もう逃げられないと種女は覚悟を決めた。密告したのが誰なのかも分かっている。あの時部屋の外にいた田祢壬の仕業に違いない──やはり立ち聞きされていたと種女は察した。
「どこかで誤解が生じたようでございます。種女にはお告げなどありません…決して種女にそのような力はございません…」
「父の愛か…。涙ぐましいのぉ…」言葉と裏腹に、矢馬女の口元は笑っている。
「箕耶鎚…種女を助けたいか?」
「…はい。私はどんな罰でも受けますから、娘だけは助けてください」
「申したな箕耶鎚…その言葉に偽りはないな?」
「はい。偽りなどございません」
矢馬女は胸を張り、両手を広げると大声で告げた。「民たちよ──今の言葉を聞いたであろう。箕耶鎚はどんな罰でも受けると申した。だがこの矢馬女は箕耶鎚にそのような扱いはせぬ。お前たちも知ってのとおり、箕耶鎚は心御柱を作り上げた男だ。決して無下にはできん」矢馬女は横にあった松明を手に取って高々とそれを挙げ、ひときわ大きな声で告げた。「心御柱は、この度も大きな揺れによって倒れてしまった。お前たちはこれが地のお怒りだと思っているであろう…。だが違う…これは地のお怒りなどではない…。八つの首と八つの尻尾を持った大蛇の仕業なのだ。にもかかわらず、その私のお告げに盾突いて地のお怒りだという者がある……神をも恐れぬ奴らだ。即刻首を刎ねてやりたいところだが、さっきも申したとおり箕耶鎚の功績は大きい…。よって寛大な私は箕耶鎚の願いを聞き入れ、娘の種女の命を助けてやる。そして箕耶鎚は、その功績を称えて────最も名誉な命を下すことにする」
この言葉を最後列で聞いていた田祢壬は、奥歯を噛んで不満げに顔を歪ませていた。