第15章──災いⅠ
災い
Ⅰ
松本弘志はどうしようもない脱力感に襲われながら、奈緒子の勤めるスナックに足を運んだ。気持ちばかりが焦って、目的地がいつもの何倍にも遠く感じてならなかった。漸くスナックに着いた松本は、店の扉を力強く押し開け、ママと目が合うなり叫んだ。
「奈緒子はどこだ?」普段と様子の違う松本にママも一瞬戸惑ったが、すぐに落ち着いて言い返した。
「知らないわよ!前にも言ったでしょ……あの子は辞めたって」
「…嘘じゃないだろうな?ママでも隠すとただじゃ済まさんぞ!?」興奮しているせいか、すごみのある声になっている。けれどもママがそれに怯えることはなかった。
「それは脅し?変な言いがかりはよしてくれる」
「本当に知らないんだな?」
「しつっこいわね!──奈緒子ちゃんにこれからどうするのかって尋ねたら、娘さんと一緒に、どこか遠くで暮らすんだって言ってたわよ。私が知ってるのはそれだけ」
「ちくしょう…。まったく連絡がつかないんだ…奈緒子も千夏も…」
「どうしても連絡を取らないといけない理由があるの?お金でも貸してた?」
──「あぁ、そのとおりさ。あいつらみんなグルだった………覚えてろよ…タダじゃおかない。必ず捜し出して、痛い目に遭わせてやるからな…」松本の腹は煮えくり返っていた。
Ⅱ
「いし…いったいどうしちゃったの?」錫を〝ギロリ〟と睨んでいるいしの目は、いつものそれとは違っていた。
「スン…いしは何者かに憑依されているわ」
「ぐがががっ…今頃気がついたのか?お粗末な奴らだな」
「えっ!?えっ!?いしが…?どういうこと…?」まったく状況を飲み込めず、錫はオロオロするばかりだ。
「ふん…もうこの狛には用はない。正体をみせてやる」今までいしの霊気しか感じなかったその霊体内から違った霊気が漂い始めた。その霊気は、いしの背中から〝スゥー〟っと抜け出すと、いかにも堕羅の亡者独特の大蛇の姿となって現れたのだった。
そいつがいしから完全に抜け出すと、いしはパタンと倒れて動かなくなった。「いし……いし!?」
「ふん…そのうち起き上がるだろうから安心しろ。それにしてもやっと剣を見つけ出してくれたな…。いやはや、マヌケがなかなか謎を解いてくれないから、こっちは歯がゆかった…がはは」
「マヌケで悪かったわね。それで、いつからいしに憑依していたの?」
「お前が堕羅の牢を抜け出して、この狛と出会う時だ。途中で壁から離れて中央に誘ったときに憑依した」
「そう言えばあの時からいしの言葉づかいが妙だった…。〝あなた様〟なんて言ったりして…。わざとふざけて言ってるのかと思ってた…」
「私もおかしいと思っていたわよ…。いし得意の〝…ですけん〟が一度も出てこなかったし、いつもは自分のことを〝わたくし〟と言うのに〝わたし〟と言ったり…。私を〝浩子殿〟じゃなく〝浩子様〟と呼んだり…。それにやたらと剣のことを気にしていたのも気になった。いしはスンに対して催促したり、嗾けたりするような子じゃないもの」
「うん──いしは黙って見守ってくれる子だもんね…」
「ほざけ、ほざけ、今さら何を言っても手遅れだ。話によると、剣は三本揃わないと意味がないらしいな?ならばこっちはこの一本さえ押さえておけば充分なんだ…くっふっふっふ…」
「なんて奴…。返しなさいよ!」返しなさいといって、〝はいそうですか〟と返す奴はいない。
「ぐがががっ、欲しければ取りに来い。蚣妖魎蛇様のところまでな」大蛇はそれだけ言い残すと、霊気もろとも煙の如く消えてしまったのだった。
「待ちなさい!」錫が叫んだ。
「スン、無駄よ。奴は上手に気配を消し去ってる。だからこそ蚣妖魎蛇はあいつを差し向けたんでしょう」智信枝栄らしい毅然としたふるまいだった。だが、事態が事態だけに、あまりにも冷静すぎる智信枝栄の態度が錫には気に入らなかった。
いしが目を覚ましたのは、それからすぐのことだった。「ご…ご主人様…」
「いしぃ~、大丈夫!?」
「は、はい…大丈夫ですけん…。それよりこのわたくしめはとんでもない過ちを犯してしまいました…。自分が何をしていたのか、うっすらと記憶がありますです。ご主人様…どうかこのいしめを罰してくださいませ」いしは行儀良く座ったまま頭を低く垂らした。
「あんたのせいじゃないよ。あの堕羅の亡者を見つけだして必ず取り戻してやるんだから…」言うほど簡単ではないと分かっていたが、錫は忠誠心の強いいしを安心させてやりたかった。
そんな重たい空気を振り払いように、智信枝栄が割って入った。「スン、堕羅の大門の玉を三つとも出してくれない?」
「えっ!?……うん、いいけど…」言われるまま錫が堕羅の大門の玉を取り出すと、智信枝栄は玉の一つを手に取って覗き込んだ。
「…この玉の中には虹の風景がそのまま映し出されている。そしてこっちは…」智信枝栄は別の玉を覗き込んだ。
「こっちの玉は何も映っていないただの玉…」そう言ってその玉を脇に置くと、智信枝栄は最後の玉を手に取って静かに覗いてみた。
「………………やっぱりそうだ。スン…見て──この玉を…」智信枝栄が錫の目の前に玉を差し出した。その言葉に誘われて、錫は興味深げに玉の中を覗いてみた。
「なっ、なに…?どうして?──いつの間に…?なんてこと?ホワイ?」
「これはきっと錫雅様が仕込んだカラクリだわ。一つの剣が見つかると、自ずと次の絵が浮かび上がる仕掛けになっているのよ」
「ひゃ~…でも最初の虹の絵はどうして?…あぁ、そっか…木札に聖水をかけると虹の絵が浮かび上がる仕掛けだったんだね。そして一つ目の剣を見つけたから次の絵が現れた………だとすると、次の剣を見つけたら最後の玉にも絵が浮かび上がるってことね」
「そのとおりだと思うわ」
「ご主人様……先に進めそうなのに…わたくしのせいで…わたくしのせいで…」
「いしのせいじゃないってばぁ。くよくよするより次の剣を探すのを手伝いなさい!」
「はい…」元気のない返事だ。
「ほら、あんたも覗いてみなさい。その絵をよ~く見て覚えてね。そして、気づいたことはなんでも教えてちょうだい」
「は、はいですけん!」いしは、新たに現れた絵をしっかりと目に焼き付けた。