第13章──知恵絞りⅡ
Ⅲ
種女は安心した毎日を送っていた。妹の葉女は幼い頃からずっと種女の目の代わりをしてくれていた──それは今も変わらない。自分のことも顧みず、ずっと付き添ってくれている葉女に、種女は痛いほど感謝していた。そして今はその葉女に加えて里女までもが守護神のように種女を守ってくれている。こんな厄介者をこれほどまで労ってくれる人たちに心から祈りを捧げる種女だった。もちろん箕耶鎚もまた種女が祈りを捧げている中の一人だ。命がけで我が子を守ってくれようとする父・箕耶鎚には、いつも申しわけない気持ちでいっぱいだった。たびたび心配ばかりかける親不孝な自分を許してくださいと、種女は時間を見つけては神に祈るのだった。
○
箕耶鎚は、三十二丈──おおかた百㍍もある〝心御柱〟を漸く完成させ村の者たちと酒盛りをしていた。
一本の直径が一㍍半もある大木を三本合わせ、それぞれの大木にできる隙間には補助材で埋木をして円にし、金輪でガッチリと縛って束ねたのだ。明日からは、いよいよ御柱を立てる作業に入る。この仕事に関わった者たちはみんな陽気にはしゃいでいた。
だが──〝人間万事塞翁が馬〟というやつだ。これから彼らは、人が天地自然の前ではいかに非力であるのかを思い知らされる。そしてそのことが箕耶鎚を大きな悲劇へと追い込むことになるのだが、そんなことはまだ誰一人として知る由もないことだった。
Ⅳ
大鳥舞子とその妹の葉子、そして錫の三人は、雪島繁殺しの真犯人を自分たちの手で挙げようと密談中だった。
「…それってかなり危険な行為だと思うけど……舞子さん大丈夫?」
「真犯人を見逃せないわ──やるしかない!」
「こんな時のお姉ちゃんは頑固というか…無謀というか………言いだしたら聞かないんだから…」
「〝正義感の強い女〟と言ってほしいわ!」舞子は明るい口調で葉子に反論した。
「それじゃ、この話はここまでとして……錫さん、何か憂鬱なことでもある?…もしかして便秘三日目?」舞子がサラリと錫に問いかけた。
「便秘三日目なんて失礼ね…七日目よ…………んなわけないでしょ!」この二人、波長の合ったコンビだ。
「でもどうして私が憂鬱だって分かったの?」錫は自分の気持ちを見抜いていた舞子に流石だと感心した。
「あなたの顔の表情を肉眼で見ることはできないわ。だけどね、心の奥底に何かがあると、心の眼がそれを感じるの…。もちろんいつもじゃないし、間違いもあるけどね…」舞子に心の内を見抜かれた錫は、どういう経緯で聖霊師になり、どんな奇怪な体験をしてきたのかを詳しく話した。そして今抱えている大きな難題を思い切ってぶつけてみたのだった。
「なんだか小説でも読んで聞かせてもらっているみたい……ねぇ、お姉ちゃん?」
「うん。イタコの私でさえ、そんなスケールの大きな話には驚きだわ!…でも、どうしてまだ知り合って間もない私たち姉妹にそんな大事な話を?」
「どうしてだろう…?二人になら話してもいいかなぁって……ううん、むしろ聞いてもらいたいと思ったの」
「もしかして…私たち前世で家族だったのかもね?」舞子はたった今錫から聞いた生まれ変わりの話を元にして言った。
「ねぇ錫さん、もし差し支えなかったら木札っていうのを見せてもらえない?まぁ、私の場合は触らせてもらえないって言うのが正しいだろうけど…くふふっ」錫は快くバッグの中から手紙も木札も取り出してテーブルの上に置いた。舞子はまず木札を一つ一つ興味深く手に取って、その感触を確かた。次に和紙の手紙を手に取った舞子は、信じられないことを口にしたのだった。
「これを読む者が現れないことを祈る。もし読む者があれば、晶晶白露さえも脅かす何者かが現れたということだ。万が一、それが堕羅と関わることなら木札を頼れ。 記 燃える鍛冶──か…」
「…ぎょへっ!舞子さんっ…手紙読んでるしっ!」
「なぜだか頭に浮かんでくるの…。でも木札に書かれた文字はまったく分からない…」
「お姉ちゃんの霊能力のせいだわ。私は逆に、肉眼で見える木札の文字は読めても、この手紙は白紙だもの」
「…錫さん、その木札文字というのを読んでみてもらえる?」錫は言われるまま〝壱〟の木札から順に読んで聞かせた。
「なるほど……最初は木札に記された短文を鍵にして三つの玉を見つけ出したものの、実はこの木札には更なる秘密があったというわけか…。だけどこれだけの文字を入れ替えて違う内容の短文にするなんて至難の業だよね…。これじゃ憂鬱になるはずだわ…」
「でしょ…?文字カードを作ってあれこれ入れ替えてみたけどサッパリなの…」
「…他にヒントになるものがあるんじゃないのかしら?」
「これで全部よ……あっいや…もう一つあるけど、あれは関係なさそう…」
「それは何?この際なんでも見せてもらえる?」舞子にせがまれて取り出したのは堕羅の大門の玉だった。ここでも舞子は手紙同様、驚きの一言を口にした。
「これも見えるわ…。三つの玉のうち、一つだけ中央のラインが金色に輝いている綺麗な虹がはっきりと…」
「これもお姉ちゃんの霊能力の賜ね…。悔しいけど私には、堕羅の玉というものさえ見えない…」葉子は自分だけ置いてけ堀にされているみたいで、少々イジケ気味だ。
「最初は暗号の数字が時間を表しているんじゃないかと思ったの…虹は二時っていう具合に…。でも導き出した答えは時間とは関係なかった。それで私としては、この虹はもともと玉の中にあったものだと判断したの…」
「ホントにそうかな…?玉は三つ、木札は三枚、それに剣も三本…これらすべて何かしらの関連性を持ってるんじゃないの?」
「木札の三枚はたしかに三本の剣を見つけ出す鍵だと思う。だけど堕羅の大門の玉と剣に関連があると結びつけるのは、ちょっとばかりこじつけだと思うけど…」
「そうかもしれない…。だけどあなたのいう錫雅様はかなりの切れ者のようじゃない?どこにヒントを隠しているのか分からないから、油断して見落とさないことね…」
その一言は錫の胸に重くのしかかった──。
Ⅴ
一日一日が長かった。誰かに意地悪されていると感じるほど時間がゆっくり流れている気がした。
──「もうすぐ俺は、高級クラブ『鳥』のオーナーだ…」松本弘志は逸る気持ちを抑えてカウンターの一番奥でグラスに入ったビールを飲みほした。カウンターの向こう側では、この店のママが一人で忙しそうに切り盛りしている──奈緒子が店を辞めたからだ。ママには一身上の都合だと言って店を辞めた奈緒子だったが、本当の理由を松本は知っている。来月からは『鳥』のママとして働くのだ。そして千夏は№1ホステスとしてバリバリ頑張ってくれる約束だ。
その奈緒子と千夏は、これから忙しくなるから今のうちにと旅行に出かけた。大方ハワイにでも行ったのだろうが、松本はちっとも羨ましくなかった。
──「『鳥』のオーナーになったら、ハワイどころか豪華客船で世界一周旅行を満喫してやる…」顔を引き締めようとするが、勝手に顔面の筋肉が緩んでニヤけてしまう。
──「俺には明るすぎる未来しかない」松本は完全に浮かれていた。




