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第12章──並び替えⅣ

 Ⅴ


 三日が過ぎて、待ち望んでいた約束の日が来た──松本は大きなバッグを(わき)にしっかり(かか)えて『(バード)』に向かっていた。まるで魔法の靴でも履いたように軽い足取りだ。

 店に入ると花空(はなぞら)不動産(ふどうさん)佐出義数(さいでよしかず)が、もう権利(けんり)証書(しょうしょ)を準備して待っていた。

「自分の他にこの店を買いたいと言ってきた人はいなかったのか?」

「正直に申しましょう──ワンサカおられました。それもこちらの提示(ていじ)する価格の二倍出すと言われた方は一人や二人ではありません…。三倍でも四倍でも出すと言われ方だっておられたのです。けれどもオーナーはすべてお断りされました。もう先約があるからと…」佐出はそこまで話をして、今度は小声でこう言った。「ここだけの話…私個人としては金額が大きいほど手数料もたくさん頂けたのですがね…くふふっ…」

「なるほど……俺のせいであんたは(もう)(そこ)ねたってわけだ…。そのかわり俺がオーナーになったら、あんたをこの店のVIPルームに招待(しょうたい)にするから(うら)まんでくれよ…かっはっはっは…」

「それはなんとも楽しみです。是非よろしくお願いします!……では早速契約に入りましょうか?」


「この契約内容に全部目をとおすのか?」

「後でいざこざにならないためにも、きちんと目を通して頂きたいのですが、信用して頂けるなら細かい部分は結構です。ただ今日契約を()わしましても、権利が松本様に渡るのは来月の一日からとなります──もちろんそれも契約書には(うた)ってありますが、なにとぞご理解ください。お店を受け渡しする準備などがあるものですから…」

「あぁ、分かった。まぁ、あと半月ほどだし、少しくらい待つ楽しみがあっても良いもんだ」

「では…こちらの契約書にお名前と住所、そして印鑑(いんかん)を頂けますか?…そして、こっちが三千万の借用書(しゃくようしょ)です…これにもお名前と印鑑を。最後にこれが現金四千万円の領収書です──現金はお持ちですよね?」

「もちろん。忘れるわけがない…」松本はバッグに手を突っ込むと、目の前の机の上に現金四千万円を積み上げた。タンスの奥に隠してあった一攫千金(いっかくせんきん)で儲けた金と盗んだ金を合わせた全財産だった。それでも足らない現金はヤミ金から八百万借りて用意した。

「確かに…。ではこちらにサインを…」いざペンを持って書こうとした松本だったが、手が震えて思うように名前が書けなかった。この契約が自分にとってそれほどまでに大きな価値があることを改めて思い知らされたのだった。


「ありがとうございます。これですべて完了です。受け渡しまでにオーナーから連絡があるかもしれません。しかしなんですね──幸運の女神は本当に存在するのですね…」自分でもそう思っていた松本は、佐出の言葉をズッシリと、()つ心地よく受け止めた。


 松本を丁寧(ていねい)に見送った佐出は、急いで現金をアタッシュケースに仕舞い、片づけを済ませると店の外に出てドアの鍵を閉めた。そのドアのちょうど真上には『(バード)』の屋号に相応(ふさわ)しい木彫りの大きな鳥が取り付けてある。大空を羽ばたいている格好(かっこう)のその鳥の背中には小さな(くぼ)みがあるが、それは限られた従業員しか知らない。佐出は踏み台を使ってその窪みに鍵を置くと、何事もなかったようにその場を後にした。


 ○


 奈緒子(なおこ)(つと)めるスナックの開店時間は午後六時だったが、今日は朝早くから店に来ていた。娘の千夏(ちなつ)もカウンターに座って旅行(りょこう)雑誌(ざっし)をのんびりと(めく)っていた。

 いきなりドアの鈴が鳴って男が入ってくると、奈緒子と千夏はピンと背筋(せすじ)()ばしてその男の様子を(うかが)った。男がカウンターに座ると、奈緒子は何も言わずにビールの(せん)を抜き、グラスを渡してビールを(そそ)いでやった。男はのどの奥を鳴らしながら一気に飲み干すと、にやけた顔で(つぶや)いた。

「今日のビールは格別(かくべつ)(うま)い!」そう言ってグラスを差し出す男に、奈緒子はもう一杯ビールを注いでやった。男はそれを口にせず、いったんグラスを置くと、右手で左側のゴマ塩ヒゲをつまみ、ゆっくりと引っ張ってきれいにむしり取った。同じように鼻の下のヒゲもつまんでむしり取ると、奈緒子と千夏の顔を交互に見つめながら二杯目のビールに口をつけた。

「おめでとう!その様子だと上手(うま)くいったようね佐出義数(さいでよしかず)さん……じゃ、なかった────兼田(かねだ)眞史(まさふみ)さん」

「くくっ……結構チョロかったよ」兼田はアタッシュケースをカウンターの上にドンと置くと、手のひらで〝タンタン〟と叩いて見せた。




 Ⅶ


 蚣妖魎蛇(しょうようりようじゃ)はすこぶる機嫌が悪かった。いとも簡単に錫に逃げられ、思うように事が運ばなかったからだ。

「まだか……なぜ復活(ふっかつ)せんのだ。真堕羅の封印を解いたというのに、これではなんにもならん…」

「霊気が足らないようです。こやつはもともと相当な霊力を(まと)っていた魔物ですから、少々の霊気では復活できないのでしょう」苛立(いらだ)ちを(おさ)えきれない蚣妖魎蛇をなだめるように辰夜代(たつやしろ)が言った。

「…ぬぅ~…くそぉっ──あやつをさっさと生贄(いけにえ)にしておけば良かった…」蚣妖魎蛇は錫を最後に取っておいたことを後悔(こうかい)した。ときに辰夜代…貴様以前よりずいぶん賢くなったな。少し前は堕羅の亡者が何であるのかさえも知らなかったくせに…」

「これはありがたいお()めの言葉。私がこのように智恵を得ましたのも、蚣妖魎蛇様が私に霊力を分けてくださったゆえ。あなた様がそのように仰ってくださるなら、私はその力をあなた様の大願(たいがん)のために使いましょう」 

「なんとも(たの)もしすぎて恐ろしいくらいだ…。ならば辰夜代…貴様が責任を持ってこやつを復活させるのだ」

「ご命とあらば喜んで…」

「だが復活を前に、真堕羅を再び封印されぬようにせねばな」

「ふふっ、それならば心配はご無用……もう(さく)は打ってございます。……ちょっとお耳を…」

「……ん…んははははっ…やはり貴様は以前よりも賢くなっておるようだな…んはははっ…」

 (むかで)(へび)の姿を交互に変化させながら、蚣妖魎蛇はギラギラした不気味な赤い目を(たぎ)らせて笑った。


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