第12章──並び替えⅡ
Ⅲ
「えっ!?スン、そんな危ない目に遭っていたの?」錫から堕羅での出来事を聞かされた浩子は思わず大声で叫んでしまった。お店の客の視線がいっぺんに浩子に集中したので、浩子は真っ赤になって顔を伏せた。喫茶『リンネ』のマスターだけが、そんな浩子を見て微笑んでいる。
「結局、ポッキーのおじさんも助けられず、晶晶白露も取り返せず…」
「あのねぇ…無事に戻れただけでもありがたく思わなきゃ…。もう一人で行っちゃダメよ」。「ふぁ~い…」
「もう…マジメに返事しなさいよ……まったく…。いしもしっかり守るのよ…大事なご主人様なんだから」。「はいです…」
心なしか浩子はご機嫌ななめだ。そうこうしているうちに、『リンネ』の新メニュー〝超超チョコレートパフェ〟が運ばれてきた。
「わ~!スッッゴイじゃないこのパフェ!バニラアイスと生クリームは今までの二倍、バナナも豪快に添えてある。それにこのなめらかなチョコレートは〝ジルバ〟の高級チョコだって!」浩子にはスンの目がハートに見えた。
「…………。ねぇ…幸せそうに食べてる時に悪いんだけど、のんびりしている場合じゃないわよ。早く剣を見つけ出さないとスンの命に関わるのよ」
「うん…言われなくても危機感はありますって。そろそろ剣の在処を示すヒントを見つけないと…。あ~っ、パフェの中から白玉みぃ~っけ!」
「スンったら…ホントに危機感があるの?白玉よりもっと大事なもの見つけて喜んでちょうだい」。「ご主人様らしいですね…」
錫がパフェを食べ終わる頃、浩子の携帯電話が鳴った。甥っ子の桂賀が遊びに来たから、帰って子守りをしてやってくれとの電話だった。
「えっ、桂賀君が来てるの!?私も行っていい?」。「いいけど疲れない?スンは以外に子供好きなのね?」
「以外にとは何よ…以外にとは…」。「くふっ……ごめんなさ~い。じゃ、行こうか!」
錫は〝超超チョコレートパフェ〟の最後のひと口を名残惜しそうにほおばった。
〇
桂賀は玩具で遊びながらテレビにも夢中だった。「桂賀君、こんにちは!」
「あっ…!」桂賀は錫と目を合わせて少しはにかんでいたが、すぐにテレビに目を移した。
「あっ、その番組楽しいね。あれから時々お姉ちゃんも家で観てるよ」。「でもこれ子供向けだよ…」
「そ、そうだけど…お姉ちゃんはまだ子供なのだぁ~!」。「聞こえないから静かにして…」
「ご、ごめんなさい…」浩子は二人のやり取りをクスクス笑った。
「おい犬…何を探しているんだ?」。「おやつの〝ほね〟を探してるんだよ…」
「それならさっき見たぜ。〝ほ〟は確か…〝は行〟の辺り。〝ね〟は確か…〝な行〟の辺りだったかな…」
「ありがとさんです…。〝は行〟は……ずいぶん遠いな…〝さ行〟も〝た行〟も越えてゆく…」
「あら犬さん…〝ほね〟を探してるって?だったら〝ほ〟は〝お段〟〝ね〟は〝え段〟にあったわよ」
「ありがとさんです…。〝は行・お段〟…あっ、〝ほ〟を見つけた!〝な行・え段〟…あった〝ね〟だ!やっと見つけたおいらの大好物の〝ほね〟…嬉しいなぁっと!」
「きゃはは、ほんと楽しい……この番組」いつの間にか錫の方がテレビにかじりついている。
「あらあら……スンの方が必死ね……ふふっ」
「僕ね全部言えるんだよ」
「えっ!?桂賀君、何を言えるの?」錫が尋ねると桂賀は得意気に〝あいうえお・かきくけこ……〟と言い始めた。最後まで言い切った桂賀は、さらに〝あかさたなはまやらわ・いきしちにひみ……〟と〝行〟〝段〟別に五十音をすべて言ってのけたのだった。
「すっご~い!桂賀君、やるぅ~!」錫に褒められた桂賀は、玩具の電車を転がして照れ隠しした。
「この子賢いね。私なんか小学校に行くようになっても、なかなか覚えられなかったわよ…。それどころか〝あかさたな…〟なんて、今だって言える自信がないわ…へへっ」
「毎日こんなテレビを観てるからよ…」。「いやぁ~この子は賢いわ…第一顔が賢そうだわ…」
感心して桂賀を見入っていた錫だったが、何を思ったのか目の色を変えて浩子の手を取った。
「浩子、部屋行こう部屋……早く!」錫は浩子の手を強引に引っ張って、ドタバタと浩子の部屋へと入って行った。
「いったいどうしたのスン、そんな慌てちゃって…」
「解っちゃったかも…。錫ちゃん解っちゃったかも!」
「なにが解ったのです?」いしがいつになく興味深げに聞いてきた。
「これよ、これ……見て…」錫は持ち歩いている木札と手紙をバッグから取り出した。
ほー七 ろー゛三 いー二 にー一 はー九
「この暗号が未だ解けないのは、固定観念に囚われていたからかも…」
「それはどういうことですか?」やはりいつになくいしは興味あり気だ。
「今まで私たちは漢数字の謎だけを追っていた。なぜなら、ひらがなは順番を示すためのものだと思っていたから」
「うん…。だから順番を〝ほ・ろ・い・に・は〟から〝い・ろ・は・に・ほ〟に並び替えた…」
「だよね。けどその考え方が落とし穴だったとしたら…。つまり〝い・ろ・は・に・ほ〟が別の意味を持っていたとしたら?」
「…旦那様の言っていることが分かりません…」。「…私にもまだ分からないわ」
「さっきの番組を観ていて閃いたの!あいうえお順に並んだ五十音の一つを探し出すには、縦軸と横軸があればいいって…」
「うん…それは分かる。もしかして、この暗号はひらがなを探すためのものだとか?」
「一般的には、さっきの番組のように、行はあいうえお、段はあかさたな…で示す。もし段を〝いろはにほ〟行を〝一二三四五…〟としたらどうなる?」
「つまり、〝あ段を〈い〉・い段を〈ろ〉・う段を〈は〉・え段を〈に〉・お段を〈ほ〉〟にするってこと?」
「そのとおり!行の場合も同様に〝あ行を〈一〉・か行を〈二〉・さ行を〈三〉・た行を〈四〉……〟として、縦軸と横軸を定めたら、どのひらがなも導きだせる」錫の説明をもとにして、早速暗号に当てはめてみることにした。
「まず…〝ほー七〟だけど、〝ほ〟は〝お段〟、そして〝七〟は〝ま行〟だから……お段・ま行は『も』だね。次は〝ろー゛三〟だけど、〝ろ〟は〝い段〟、〝三〟は〝さ行〟だからい段・さ行は『し』だわ……ただこの場合、途中の〝てんてん〟は濁点と考えると『じ』ね。他の三文字も同様に…」錫はそうやってすべての文字を当てはめてみた。
「〝も・じ・か・え・る〟…。浩子…こんなのになっちゃったけど正解?」
「日本語としてはおかしくないわね…。ただ……何を意味するかだけど…」
「何か思い当たりませんか?わたしは早く答えを見つけて剣を探し出してほしいです」
「……。いし、そんなに早くスンに剣を見つけてほしい?」
「そりゃもう当然です。そうしないとわが主人の命が危ないのですから…」
「そうだね……優しいねいしは!」浩子はそう言っていしの頭を丹念に撫でてやった。
いしは浩子のされるままにしていたが、最後にペロペロと浩子の手の甲を舐めた。浩子は黙っていしに手を舐めさせていたが、その表情はどこか違っていた。そしてどこを見つめるわけでもなくポツリと錫に告げた。
「スン………今更だけど、やっぱり錫雅様は頭の良い霊神だわ」
「へっ!?それって…もしかして……答えが解ったとか?」
「うん今…たった今解ったわ。いし、とりあえずあなたの旦那様は死ななくてもよさそうかも…」
「それはなによりです!──で…剣は?」
「これから説明するわ────さてっと…………スン、これを見てほしいの…」浩子はすべての木札と手紙とをテーブルの上に並べて置くと、物静かに説明を始めた。「三枚の大きな木札の表には〝壱・弐・参〟と書かれているのに、小さな木札は〝記〟となっていたでしょ?そして大きな木札は堕羅の大門の玉の在処を示したものだったけど、小さな木札はそうじゃなかった…」
「小さな木札は〝穢れなき器に清き泉をすくいて我にたらせよ〟と記されたいたわ。堕羅の大門の玉を見つけ出すのには必要なかったけど、堕羅の解毒には必要だったよね?」
「そう、そのとおり!私が引っかかっていたのはそこだったのよ。小さな木札は、その時点では堕羅の解毒の方法を示すためのものだった────いいえ…そうだと思っていた。けど〝我に〟の対象を木札そのものにしたことによって、まったく別のもの…つまり〝暗号〟に変化してしまったわ──こんな風にね…」浩子は〝も・じ・か・え・る〟と解読した暗号を指先でトントンと叩きながらそう言った。「…正直、錫雅様がどこまでのことを見越していたのか見当がつかないのよ。小さな木札は、もしかすると、ここまでの事すべてを想定して用意したのかもしれないし、そうではなく──この暗号だけが目的だったのかもしれないってこと…」
「で…でも、解毒の方法を示していたのは事実だよ」
「結果的にそうなっただけで、錫雅様はそこまで考えていたのかどうかは分からない…」
「だけど…それって、今議論しても答えが出ない話でしょ?」
「そのとおりよ…。スンが死んで錫雅様の記憶が蘇るまでは……………謎よ…」
「ぞぅ~っ!……ちょっとぉ~…そんな低い声でコワいこと言わないでよぉ…」
「うふふっ、冗談よ。だけど錫雅様がどこまで計算してこの短文を残したのかは──本当に謎…」
「うんうん……もし最初から全部計算づくだったら、確かに賢い奴だよね…私…」
「そうね…ふふっ。いしも旦那様はスゴイと思うでしょ?」
「そりゃもう…スゴイです!」
「…………。錫雅様がどこまで計算していたかは置いておいて…。この小さな木札の目的が、本当は解毒のためではなく、剣の在処に導く鍵だったとしたら──そう考えてみて思ったの…」
「何なに…!?何を思ったの?」錫は浩子の顔に息がかかるほど自分の顔を近づけた。
「ちょっとスン…近いわ…。それにチョコパくさい…」浩子の冗談に錫も笑っている。
「…最初から少しだけ引っかかっていたの。どうして大きな木札の表は〝壱・弐・参〟なのに、この小さな木札だけ表が〝記〟なのかを…。──こっちを見て…」浩子は和紙の手紙を広げた。
これを読む者が現れないことを祈る。
もし読む者があれば、晶晶白露さえも脅かす何者かが現れたということだ。
万が一、それが堕羅と関わることなら木札を頼れ。
記 燃える鍛冶
「ねっ…もう分かったでしょう?この手紙にも〝記〟がある。当時二人で誰のペンネームかを議論していたけど、それ以上の意味があるとは思っていなかった。今スンが暗号を解読して〝も・じ・か・え・る〟という文字が現れて漸く解ったの。手紙と木札の〝記〟には〝メッセージ〟が隠されていたんだと…」
「〝記 燃える鍛冶〟は、本当はペンネームじゃなかたってこと?」
「だと思うわ…。それこそ上手くカムフラージュされていたのかも…。だって火を扱う鍛冶屋で手紙を渡されて、〝記 燃える鍛冶〟だよ──なんの疑いもなく誰かのペンネームだと思うわよ」
「確かに……。それで…〝記〟にはどんなメッセージが隠されているの?」
「見て…小さな木札にも〝記〟。そしてペンネームにも〝記〟。共通して〝記〟…」
「うん、うん!そうだね!」錫はどんどん前のめりになってゆく。
「燃える鍛冶──これをひらがなにすると“もえるかじ”。木札からは“もじかえる”が現れた ──ほら…共通する〝記〟は同じ文字を使ってる。つまりこの〝記〟は同じ文字だけど入れ替えると別の意味になっちゃう“文字替える”というメッセージ──即ち〝アナグラム〟だったんだわ!」
「……えっ!?〝穴もぐら〟?」
「くっふふふふ…〝アナモグラ〟じゃなくて〝アナグラム〟よ!文字の配列を替えることで別の意味の語句をつくること」
「ふぅ~ん。すっごぉ~い!やっぱ浩子はあったまいいぃ!」
「すごいのは私じゃなくて錫雅様よ…。そこまでの説明はいいわね?」
「げっ、まだ続きがあるの…?」
「あるけど、まだ確かだとは言えないから鵜呑みにしないでね…」
三枚の大きな木札の表には、それぞれ〝壱・弐・参〟と記されていたが、実際に堕羅の大門の玉を見つけ出すのに順番は関係なかった。一番始めに手に入れたのは〝ひらひら散る木の実は鬼様も飛びつく実〟という短文を手がかりにした玉だった。けれどそれは〝弐〟と記された木札だった。そうすると〝壱・弐・参〟の順番は何を意味するのだろうか?あるいはただ単に数字をふっただけの意味のないものだったのだろうか?
だがこうして新たな展開を迎えると、意味もなく数字を記したとは考えづらい。そうすると再びこの三つの短文を基にして、今度は数字の順番どおりに謎を解くことで、隠された剣を見つけ出すことができるのではないか──というのが浩子の仮説だった。
「おぉ~…持つべき者は浩子だね~。智信枝栄様だね~。そんな深いところまで考えていたなんて…それが正解に違いない気がする。…虹は二時という単純な錫ちゃんの仮説は却下だな…きゃは」
「これでやっと剣が探せますね?」いしが割って入って喜んだ。
「こうなったら旦那様に一刻も早く剣を見つてほしいわよね?」浩子がわざわざいしに念を押した。
「はい!そのとおりですね…」いしもしっかり返事を返した。
「錫ちゃんは死んで剣の在処を思い出すという最悪のシナリオを免れたいと思いま~す!」
こうして錫は、どうにか剣を見つけ出すためのスタートラインに立てたのだった。