第8章──四天王Ⅱ
Ⅱ
箕耶鎚には後先を考える余裕すらなかった。ただただ愛娘・種女を助けたい一心だった。
「実は…お告げを受けていたのはこの箕耶鎚めでございます。今まで種女にお告げがあるように民たちに思い込ませて偽っておりました。すべて箕耶鎚の図り事でございます」
「なぜそのような嘘をついた?」
「種女が哀れでならなかったからです。この子にお告げがあり、民たちが頼ってくれば生きてゆくのに事欠かないと思ったのです。ですから私は、種女を矢馬女様のような支配力のある人間に仕立てようと企みました。矢馬女様が羨ましくてならなかったのです。この度のことで悩んでいた種女に口を割らせたのも私です。矢馬女様からすべて聞いたと鎌をかけたら簡単に口を割りました。種女はそんな単純な女です…害などございません。矢馬女様から頂いた箕耶鎚之工という高貴な名も返上いたします。私たち親子を元の卑しい身分に戻してください。その上でこの命を捧げます。ですからどうか種女だけはお助けくださいませ」箕耶鎚は必死に助けを乞うた。この機を逃せば二度と種女を助けることはできないと分かっていたからだ。
「箕耶鎚之工…そなたは何か勘違いをしておるなぁ…。それでは私がまるで血も涙もない鬼のような女に聞こえるではないか…。種女を殺す気ならとっくにそうしておるわ。私にはすべてが分かっておったのだ──本当のお告げの主がそなただということもな…。私の占いにそう出ておったわ。民の目はごまかせても、この矢馬女の目をごまかすことはできんのだ」この瞬間、箕耶鎚は矢馬女がとんでもない女だということに気づいた。今まで横暴ではあるにせよ、人にはない摩訶不思議な力で民たちを導く人神だと信じていた。だが、それさえも嘘偽りだったと知ってしまったのだ。
──「この女は…矢馬女という女は恐ろしい人間だ。占いによってお告げの主が私だと知っていた?なんといい加減なことを…。これが民たちの信じている矢馬女の正体か…」
「民は誑かせても、やはり矢馬女様は神。私たち親子の小細工など見抜き見とおしであられたのですね…」箕耶鎚は心の内と正反対の言葉を返した。
「当然のことだ。よし…今回は正直に話したそなたに免じて種女を許してつかわそう。私の寛大な行為を忘れるでないぞ」
「ありがとうございます!ありがとうございます!」箕耶鎚は両手を組んだまま、額を地面に何度も擦りつけて感謝の気持ちを表した。だが心の中では〝こんな女に睨まれたら最後──娘たちを守ってやることもできなくなる〟と恐怖を感じていた。
「箕耶鎚よ──種女は咎めはせぬ。だがそなたにはまだ用がある…」これで自分の命はおしまいだと箕耶鎚は覚悟した。けれども、たとえ自分が八つ裂きにされても、それで種女が助かるならば満足だった。
矢馬女は側に控えていた女に、種女を今までどおり御矢馬仕えに使えと指示し、人払いをさせると箕耶鎚に問いかけた。
「倒れぬ柱を立てる妙案はそなたのお告げによるものなのだな?」。「そのとおりでございます…」
「私と種女の他にこのことを知っている者はおるか?」。「誰もおりません…」
「ならばよい。お告げのことは誰にも申すな。絶対にだ…よいな?」。「承知いたしました」
矢馬女がわざわざ釘を刺す理由は、自分以外の人間が神のお告げを受けることを恐れているのだと大凡の検討はついた。けれどもすぐに箕耶鎚は、その考えも自分の中で訂正した。
──「自分以外の人間が神のお告げを受けることを恐れているという表現は正しくない………なぜならこの女にはもともと神のお告げなどありはしないのだから…。真に神の啓示を受ける人間によって化けの皮を剥がされ、威厳を崩されるのを恐れているだけなのだ」尤もそれが分かったからといって、今の箕耶鎚には何も為す術はなかった。
「神殿の柱のことをもっと詳しく話してみよ」
「…はい。心柱は天を貫くほどの高さであります。いくら太い柱を使っても所詮は一本です。そのことを考えておりましたら……神からお告げがあったのです──〝三本を一括りにして一本にせよ〟と…」
「どうやって一括りにする?」
「銅を使って固定させましょう。さすれば今度は太い柱となり安定するはずです」
「よいか箕耶鎚之工…私にはお告げがあったのだ。柱が倒れるのはこの地に伝わるモノノケ・大蛇の仕業であるとな…。そなたのお告げはこの矢馬女を冒涜するものぞ」
「よく存じております矢馬女様。柱が倒れる理由はモノノケの仕業に違いありません…。私のお告げは矢馬女様のお告げを否定するものではなく、モノノケに打ち勝つための策であります」
「なるほどそうであったか…それならば何も問題はない。やはりそなたは私が見込んだ職人だ」三本の柱を一括りにして一本にする方法は、以前から箕耶鎚の頭の中にあった。後は地面に深い穴を掘り、大きな石でぐるりを固めれば、どっしりと安定して倒れることはないはずだと箕耶鎚は確信していた。この案をずっと口外せずにいた理由は他でもない──柱の倒れる理由がモノノケの仕業だと矢馬女が言葉にしていたからにすぎなかった。
そのことはひとまず解決したとして、牢から釈放された種女に口裏を合わさせる必要があった。今まで種女に下がったお告げはすべて箕耶鎚の指図だったということにして、今後は如何なるお告げがあっても絶対にそれを口にしないよう申し合わせておかねばならない。
箕耶鎚が種女を助けるためにとった策は間違ってはいなかった。むしろ最善の策だったと言ってよいだろう。だがそれは、この時点でのことだ。結果的にこの策が大きな悲劇を招くことになることを────箕耶鎚はまだ知らない。




