第8章──四天王《してんのう》
四天王
Ⅰ
奇声を発したのは錫だけだった。だが浩子とて声は出さずとも驚いていないわけではない。四天王ではない須勢理毘売でも、泉坂乃雫姫の名はもちろん知っていた。
「い、泉坂乃雫姫って…自称神様が〝霊力は高にして絶世の美女〟だと言っていた霊神様ですよね…?ひゃ~自分のことを言ってたんだ……絶世の美女だって…」
「スンってば…今はそこが問題じゃないわよ…」浩子に肘で突っつかれた錫は、左手で自分の頭にゲンコツを落としておちゃらけて見せて、すぐに天甦霊主に問いかけた。
「泉坂乃雫姫はいつの間にか姿を消したんじゃなくて、天甦霊主様になられたってことですか?」
「簡単に言えばそうです──あっ…誤解のないように申しておきますが〝霊力は高にして絶世の美女〟というのは私の言葉ではございません。あれは当時の白の国の民たちのうわさですから……まっ、それはそれとして…コッホン…」天甦霊主はすまして咳払いをすると、とっとと本題に切り替えた。「以前も説明しましたが、私は矢羽走彦が拗隠の国との戦で〝無〟になったと信じていたのです。まさか照陽龍社王尊が私の秘宝〝全気滅消瑠璃玉〟を盗み出し、矢羽走彦を誑かして拗隠の抜け穴をその秘宝で塞がせたとは思ってもみませんでした。あの頃、私は天甦霊主としての試しを受けていた時期でした。平たく言うと泉坂乃雫姫と天甦霊主とを掛け持っていたのです──私だけに限らず、どの神々もそうやって掛け持ちの試練を受けて真の神になってゆくのです。運という言葉をあえて使うならば、運の良い神は何も問題を抱えることなく天甦霊主になることができます。私の場合は神への試練の時期が、狡狗との戦に運悪く重なってしまいました。あの戦を治めることができなければ、私は天甦霊主になれなかったのです」
「ふ~ん……そもそも霊神と神様の違いってなんなのですか?」
「一番の違いは人間界での修行がないことです。故に人間界で苦しむことも修行の失敗もありません。神になれば永遠に神なのです」
「そうか!矢羽走彦が自称神様にダマされたと言って恨んでいた理由の一つにはそれがあるのですね。つまり…泉坂乃雫姫は天甦霊主という神になりたいがために、自分をダマしたのだと思い込んだ…」
「そうだと思います…いえ、そう考えるのが当然です。四天王たちは私が天甦霊主になるための試練を受けていることを知っていましたからね…。拗隠の国の抜け穴が塞がり、再び白の国に平和が戻ったとき、私は試練を終え天甦霊主という真の神になることができました。しかし実際…拗隠の国の抜け穴を塞いだのが矢羽走彦だとすると──今の私は誰のおかげで神として存在しているのでしょう?…そう考えると正直…心中は穏やかではありません…」
「そりゃそうよねぇ…。矢羽走彦の犠牲のおかげで天甦霊主という神になれたと知ってしまったら、あまり良い気はしないもんね…。けど自称神様も作為があったわけではないんだし、気にすることはないですよ」
「…けれどそのために悪の元凶を生み出してしまったことも、神としてやるせないのです…」
「天甦霊主様…それとてあなた様が悪いわけではありません」須勢理毘売が割って入って庇った。
「そのとおりですよ天甦霊主様。すべては霊神という立場にありながら身勝手な行動を起こした照陽尊が悪いのです。それにいかなる理由にせよ、良心を捨て、邪悪を取り込んだのは矢羽走彦自身の問題です。天甦霊主様が神になれたことと一緒にしてはなりません…」今度は浩子がいつになく強い口調で天甦霊主を庇った
「そなたたちの心…ありがたく思います。どんな形であれ矢羽走彦が存在している限り、あの者は白の国に危害を加えてくるでしょう。そうなる前に私が阻止しなければなりますまい…」
「天甦霊主様…それは私たち霊神の役目です。この恵栄文女之命…錫雅様やお姉様のような立派な四天王ではありませんが、できる限りのことはいたします故、どうぞご命をお与え下さいませ」
「…ふむ…頼もしく思います。できれば争いは避けたいが、それも矢羽走彦の出方次第…。最悪の事態になれば…また戦が起きるやもしれません…」
またしても今──錆びついていた巨大な運命の歯車が〝ぎしぎし〟と音を立てて回り始めようとしていた。