第7章──絡みごとⅢ
Ⅲ
久しぶりに錫は浩子の家にお邪魔していた。浩子は姉と妹を持つ美人三姉妹で、近所でも有名だった。
「幅下家にお邪魔するのは久しぶりだわ…」そう呟きながら、錫は大型テレビの置いてあるリビングを通って浩子の部屋に行こうとした。リビングの真ん中には今流行のキャラクターのオモチャやゲームが転がっていて、その横で五才くらいの男の子が瞬きもせずテレビを観ていた。
「こんにちわ…」錫はかわいらしく声をかけてみた。
「こんにちわ…」男の子は錫の顔をチラリと見て、またテレビに目線を戻した。
「何を観ているの?」錫は男の子の横に寄り添うように座り話しかけた。
「お勉強の番組…」。「へ~…どんなお勉強?」
「たしざんやひきざん…あとひらがなのお勉強…」錫は男の子が可愛くて、膝に抱っこして一緒にテレビを観始めた。ところが、これが思ったより面白くて錫の方が夢中になってしまった。内容はお笑いの要素が詰まっていて、それをもとに簡単な計算やひらがなを教える幼児番組だ。
『5は──1と4だよ。5は──2と3だよ。5は3と2だよ。5は4と1だよ』。『なんだ…数字が入れ替わっただけじゃねぇか…それならこの俺様にだって分かるってもんでぇ』こんな具合に役者が繰り返し簡単なたしざんを教えるのだ。
五十音は、ひらがなそのものがアニメーションになって動き、行と段を用いて楽しく教えてくれる。
『〝ひ〟…どこに行ってしまったの〝ひ〟…もどっておいで〝ひ〟…。誰か〝ひ〟を見ませんでしたか?』。『〝ひ〟ならさっき居たよ…たしか〝は行〟に居た…』
『ほかに誰か〝ひ〟を見ませんでしたか?』。『私見たわ…〝ひ〟なら〝い段〟で見た…』こうして〝は行〟〝い段〟にある〝ひ〟を五十音表をもとに見つけだすという教え方だ。
「あ~面白かった…。お姉ちゃんにはちょうどいいお勉強の番組だったわ!ありがとうね僕」
「桂賀…僕は桂賀…」
「あっ…桂賀くんね…ありがとう桂賀くん、また観せてね…」
「うん…僕、大きくなったら役者さんになるの!」何も聞いていない錫に、桂賀は自分から将来の夢を自慢気に語った。
「あらそう、かぁっこいい!じゃ、その時はお姉ちゃんにサインちょうだいね!?」
「うん、いいよ。じゃあね…」愛らしく手を振って〝さよなら〟する桂賀の頭を撫でて、ようやく錫は浩子の部屋へと向かった。
「なかなか来ないと思ったら桂賀の相手をしてくれていたの?あの子は姉の子で私の甥っ子。ちなみに姉はダンスのカリスマインストラクター」
「相手をしてもらっていたのは私よ…。おかげで久しぶりに勉強したわ…にしししっ…。それはそうとさぁ…浩子が家に誘ってくれるなんて珍しいね?」
「実はね、客人があるのよ」
「お客さん?そんな時に私がお邪魔して良かったの?」
「いいのいいの。スンにも居てもらわないといけないの」
「私にも…?」意味が分からないまま、浩子の淹れてくれたコーヒーをすすりながらビスケットをつまんでいると玄関のチャイムが鳴った。
浩子が三人の客人を連れて部屋に入ってくると、錫は思わず瞬きしてその客人たちを見直した。
「八枝さん、乾丸婦人、それにおばあちゃんまで……どういうこと?」
まず口を開いたのは乾丸婦人だった。「錫、その後は進展がありましたか?」
「そ、そのしゃべり方は自称神様…!?」乾丸婦人はニッコリ笑った。
「私も来ましたよ…」金子八枝に憑依しているが、錫はそれが須勢理毘売だとすぐに分かった。
「………おばあちゃんは本物?」
「それが…私も香神ミツさんに憑依させてもらって来ました。私の場合は“初めまして”というべきでしょうか?…それともお久しぶりというべきでしょうか?」ミツにも誰かが憑依しているらしい。だが錫にはミツに憑依しているのが誰だか見当がつかなかった。
「私は恵栄文女之命と申します」
「えっ!?そなたは文女か?」驚いて割って入ったのは浩子だった。
「はい。お久しゅうございます──姉上様」この一言に今度は錫が驚いた。
「姉上さまぁ──!?」
「そう…文女は私の妹なの」
「白の国にも血縁関係があるの?」錫は大きな目をくりっとさせて尋ねた。
「あるわよ。人間界の延長としてだけどね…」
「ふ~ん…。初めまして文女さん……お久しぶりです」変わった挨拶だ。
「…なるほど──これが生まれ変わった錫雅様ですか…くふふふ」
「なんか意味ありげな笑い…」錫は目を細めて恵栄文女之命を見た。
「あっ、いし!遠慮しないでこっちにいらっしゃい。久しぶりねぇ…」文女之命はいしを手招きした。
「へぇ、お久しぶりですけん…はい」照れ屋のいしは恥ずかしそうに頭を下げた。
「だけどどうしてまたおばあちゃんに憑依を?」
「私や須勢理毘売様は霊体となってここへ来ても良かったのですが、天甦霊主様は霊体も持たない存在なので人か物に憑依しなければなりません。それならば私たちも肉体を借りようということになったのです。須勢理毘売様は金子八枝が憑依しやすいという理由でしたし、私は手短なところで香神ミツなら霊力もあり、精神的な後遺症も心配ないと思いまして…」
「なるほどね!」
一通りの挨拶を済ませると、天甦霊主が全員にとって興味深い話をして聞かせた。
「…それがここに来た理由です──ここまではいいですね?」
「はいはい!この錫ちゃんでもよ~っく分かりました!自称神様がもともと白の国を治める神様だったのか──それとも途中からそうなったのかってことですね…!?それにしてもやっぱりでしたね──私は自称神様には何か隠し事があると思っていたのよ…」
「白の国において霊神は特別な存在です。霊力も品行も著しく備わったものの中から選ばれた──いわばエリートです。その白の国と霊神を司っているのが私です。しかし私が神の頂点なわけではありません。神界には多くの神々が存在していて、必要とあらば私に助言をもたらしてもくれます。神々たちはそれぞれの役目がありますが、いずれはその役目を終えて更に奥にある〝神深の園〟へと向かうのです」
「なんだか神様の世界も複雑なんだね…」
「天甦霊主という神の位置づけは、まだ駆け出し──下っ端に過ぎないのです」
「へ~…そうなの!?」
「…それでです…私は天甦霊主になるまで何をしていたのか──そこがこの度の論点…そうですね?須勢理毘売に恵栄文女之命…」
「はい。天甦霊主様は元からその場所に納まっておられる神だと思っておりましたから…驚いております」
「私も須勢理毘売様と同じく驚いております…」当然のことながら、錫と浩子にも興味深い話だった。
「実は──私はもともと白の国の霊神だったのです」
「霊神だったのですか!?……私たちと同じ…?」恵栄文女之命が問い返した。
「そうです──あなたたちと同じ霊神でした…」
「それでどのような霊神だったのですか?」今度は浩子が尋ねた。
「私はもともと四天王の一人だったのです…」
「えっ!?自称神様が四天王の一人だったなんて……みんなは知ってんのぉ?…なんちゃって…」誰も錫のダジャレを笑ってくれなかった──。「ぶぅ──っ!」
「なんという…まさか天甦霊主様が…。それはいつの話なのですか?」今度は須勢理毘売が尋ねた。
「遠い遠い遥か昔の話です─────────その時の名は……泉坂乃雫姫でした」
「泉坂の…しずく…?どこかで聞いたような…………あ~あ~あの三角関係の霊神ね…────────────………エェ~~~~~~~~~!」くりくりとした錫の大きな両目が飛び出そうになった。