第6章──仕打ちⅠ
仕打ち
Ⅰ
ある日矢馬女は種女を部屋へ招いた。ここは神室と呼ばれる矢馬女の寝室で、寝床を整える御矢馬仕えしか出入りすることを許されていない畏れ多い部屋だった。種女は部屋の様子こそ分からなかったが、自分だけが神室に呼ばれたことで人並みの緊張を覚えた。そんな種女に、矢馬女はいきなりある難題を持ちかけてきた。
「お前も知ってのとおり、神殿の心柱は立てても立ててもモノノケに邪魔をされて倒れてしまう有様…。そこでだ……聞くところによると、お前は神からお告げが下るそうだな?」
「わ、私のお告げなど矢馬女様のお力に比べればたわいのないものでございます」
「それは真の言葉か?本当は自分の方が遥かに勝っていると私を小馬鹿にしているのではないのか?」
「や、矢馬女様…なんということを仰います…。この種女はそのような思いを片時も過ぎらせたことはございません」
「ふん…まぁよい…。そなたに命ずる──どうすればモノノケに邪魔されずに九本すべての柱を立てることができるか、そなたのお告げでその答えを導け……よいな?」
「お待ちください矢馬女様……種女にそのようなことが出来るはずもございません」
「そなたの噂は知っておる。お告げを乞う民たちが後を絶たぬそうではないか……ならばできるはず。答えを導き出せ──七日やる」
「そ、そんな…矢馬女様…お待ちください」
「くどいぞ!私の命に背くとあらばその首が落ちるぞ。誰にも口外せずお告げを乞え」
その日以来、種女は暇をみつけては神に祈った。いつ下がるとも分からぬお告げのために必死で祈った。けれど頭の中では〝こんなことをしたところで無意味だ〟と分かったいた。いつもお告げは突然だったからだ。こっちの都合で頂けるお告げなら、民たちから頼まれた時にそうしていただろう。
箕耶鎚も葉女もいつもと様子の違う種女に気づいて問いただした。けれど種女は堅く口を閉ざしたまま何も語ろうとはしなかった。あまりの消沈さに箕耶鎚は種女をそっと抱き寄せてやった。
「お前は見えぬ両目を苦ともせず、明るく朗らかに生きてきた。私にとってそれは何よりの救いだった。お前も葉女もかけがえのない娘だ。苦しみは一人で抱え込むな…この父にも分けてくれ。そして共に背負わせてくれ。お前の苦しみの幾らかでも私に与えてくれ…」種女の開かぬ瞼から透きとおった涙がこぼれて頬を伝わった。
「お父様…私が光を失ったのは運命だったのです。それにこの目は形ある物を見ることはできませんが、肉眼で見えない親子の絆ははっきりと見えます。お父様にすべてお話しいたします──愛するお父様に…」
種女は矢馬女から突き付けられた無理難題を打ち明けた。箕耶鎚は内心驚いたが、それでも落ち着いた表情で口を開いた。
「一人で辛かったであろう…だがもう心配することはない。矢馬女様の意図は分からない──けれども…私にはこれから試そうとしていた妙案がある…。この方法ならば柱は倒れることなく立つはずだ…」
箕耶鎚は種女の肩を静かにさすりながら力強くそう言った。
Ⅱ
常正拳空手道師範の栗原信枝は、ほぼ毎日道着に手をとおして稽古に励んでいた。といっても少年拳士たちの指導に追われ、自分の満足いく練習は思うようにできなかったが、それでも道着を着ているだけで心が安らぐのだった。
「さぁ、今日はこれまで!みんな来週は昇級昇段試験があるからしっかり頑張ってね!」
「オス!」勇ましい元気な声が道場に響き渡った。
少年拳士たちが帰った静かな道場で、信枝はもう一汗かきたくて一人で型の演武を始めた──けれどどうしても熱が入らない。信枝は型を途中で投げ出すと、その場に正座して目を閉じた。
「…………ばか……ばか…………ばかばかばか……ばかばかばかばか…」瞑想しているわけではないらしい。
──「信枝殿…大丈夫だろうか…?」そばで様子を窺っていた綿が心配そうに見守っている。
「……ばかばか……錫雅様のばか!」信枝の頭の中は錫雅尊のことでいっぱいなのだ。
「信枝殿…信枝殿…」綿がたまりかねて声をかけた。
「あっ、まだ居たの綿…。帰らなくていいの?」
「はい、お呼びがありませんから大丈夫です。それよりどうなさったのですか?信枝殿にしては珍しく平常心をなくされて…」
「錫雅様が約束を守ってくれないからよ…。スンのお父さんと黒の国で会ったことを夢だということにしておいてくれって言われて私は承知したわ──口裏を合わせたら必ず近いうちに会ってくれる条件付きで…。なのにまったく音沙汰なし!約束したのに…あれだけ約束したのに……錫雅様のばか…」
綿はそれを聞いてホッとした。と同時に、それほど愛して止まない人のことをどうして〝ばか〟というのか、綿には人間の感情がよく理解できなかった。
「ねぇ、綿…今度錫雅様がどこかへ行くときはまた私に教えてくれる?必ずだよ?いいわね?あんたを拗隠の国から助けたのは私なんだからね?私が恩人なんだからね?」また始まったと綿は思った。錫雅尊のこととなると恩着せがましくネチネチと追い込んでくる。でも綿はそんな信枝の一面も好きだった。
「誤解しないように言っておきますけどね……私が教えてくれという理由は、いつかの時のように錫雅様が危険にさらされるかもしれないからよ…。またそんなことでもあれば助けて差し上げなくてはいけないでしょ?」
「はいはい……信枝殿のお気持ちはよく分かっております…」綿は初めて信枝をカワイイと感じた。