第5章──引き合わせⅢ
Ⅳ
錫が大鳥舞子に会いに行ったのは、それから数日してからのことだった──。
錫は静かな環境が好きだった。けれども錫の住む町の中心地は、この十年でずいぶん変わってしまった。その頃は田んぼや畑、それに雑木林が殆どだった風景も今は見る影もない。みるみる整地されて広い道路が敷かれ住宅が建ち、スーパーマーケット、レストラン、大型量販店、病院に美容院、はたまたゲームセンターにカラオケボックスまで立ち並んだ。幸いなのは錫の自宅周辺はそれほど以前と変わらず静かなことだ。長閑な今の環境が気に入っていた錫は、あまりごみごみしてほしくないのが正直な気持ちだった。
そんな生活エリアを抜け、快適に車を走らせていた錫は、大鳥舞子に何を話せばよいのか悩んでいた。
「一松さんに恩返しのつもりだったけど、よく考えたら割が合わないわよね…。そう思わない…いし?」
「お気持ちは分かりますが、恩は何倍にして返しても損するものではありません。むしろそうすることで恩返しの意味がなされますけん」
「そうだったわね…。人間界に修行に来てるのに…私はまだまだだね…」
「すみません…ご主人様に生意気なことを…」
「何を言ってるの──私を大事に思ってくれているなら、これからも私を正してね」
数え切れぬほど思ってきたことだが、いしは錫を主人に持って幸せだった。
「ん~と……メモ書きの住所によるとこの辺りなんだけどなぁ…」そんないしの心の内など知らぬまま、錫は辺りを見回して家探しだ。
「ご主人様、あそこではないですか?」
「ん……あそこって?…え──っ!あのお屋敷!?」大きな門の表札は、確かに〈大鳥〉となっていた。
あまりにも立派な屋敷に戸惑いつつも、錫は勇気を出して呼び鈴を押してみた。待たされることなく女性が出てきて用件を聞かれたので、事件のことで話があると伝えるとすんなり屋敷にとおしてくれた。大きな玄関で見るからに高級そうなスリッパを履き、広い贅沢な廊下を少し歩くと、ドアに〝貴賓室〟と札の張られた洋間にとおされた。
「どうぞそちらでお待ちください」錫はおしりが沈み込んでしまいそうな〝ふかふか〟のソファーに座ると、価値の分からない絵画や置物を鑑賞しながら暫く待った。
──「きっとべらぼうに高いんだろうけど、こんな油絵のどこが良いのか私には理解できないなぁ…」
「失礼します…」上品な声とともにゆっくりとドアが開いたので、錫は慌てて頭の中を掻き消した。そして素早く背筋を伸ばし、足をきちんとそろえて立つと声のする方に向いた。そこには色の濃いサングラスをかけ、白い杖を持った若い女性が立っていた。「初めまして大鳥舞子です」
「は、初めまして香神錫と申します。突然おじゃましてすみません」舞子は杖に頼ることなくソファーまで歩いて静かに腰を下ろした。配置を把握しているのだろうが、スムーズすぎる動きに錫は感心した。
「それで私に話とは?」
「はい…えっと…実は私…一松刑事さんのちょっとした知り合いなのですが、話を聞くと舞子さんはイタコだとか…」
「あ~…あの刑事さんの知り合いの……あっ、もしかして恋人ですか?」
「ま、まさか…ち、ち、違いますって」
「あせっちゃいましたか?ふふっ…ごめんなさいね。だって刑事さんが仕事の話をする女性ならてっきりそうかと…」
「そ、それは…」──〝トントン〟──軽いノックの音がしてドアが開いた。錫にとっては頭を切り替える絶好のタイミングだった。
「コーヒーお持ちしました」錫を部屋まで案内してくれた女性だ。
「ありがとう葉子。こちら香神錫さん。一松刑事さんのお知り合いらしいわ」
「香神さん、改めて初めまして。双子の妹で葉子です」錫と葉子が互いに挨拶するのを待って、舞子は葉子を自分の隣に座らせた。
「そうですか…。では刑事さんは私を疑っているわけではないのですね?」
「はい、正当防衛にしろ、舞子さんに人は殺せないだろうって…。けれども、そうなると真犯人がいるということになります。それを見つけ出すのはもちろん警察の仕事ですが、手掛かりがまったくないそうで。それで私が…」
「どうして香神さんが?」尋ねたのは葉子だった。
「私は以前、殺された霊に教えられて死体の隠し場所を発見しました。第一発見者だったので何かと疑われたんです。発見したことが腑に落ちなかったみたいで…」
「じゃ、香神さんも姉のように霊感が…?」
「はい………まぁ…ちょっと…」
「今の話だとちょっとの霊感だとは思えませんが…」
「ふふっ…。まぁ、そういうことで一松さんに手掛かりになる情報を聞き出せないか調べてくれと頼まれたんです」
「…姉はご覧のとおり目がまったく見えないんです。情報になるようなことはとても…」
「香神さん、警察に状況はすべて話しました。とは言ってもこの目です…目撃したわけではありませんから乏しい内容ですが…」
「ですよね…。ごめんなさい…刑事さんに頼まれてここに来たものの正直気が乗らなかったのは事実なんです。ただ一松刑事以外は舞子さんを疑っているようで、真犯人を挙げられない限り容疑がかかったままなんですって。それで一松刑事は違う角度からも捜査をするといって私を…」隠していても仕方ないと思った錫は、ここに来た経緯を正直に話した。
「イタコだった舞子さんは霊感が鋭いだろうから、同じ力を持っている私があなたから知っていることを聞き出してくれと…。刑事の勘というやつで──これがすべてです。あ~スッキリした!やっぱり正直が一番ね。舞子さん…不愉快にさせたならごめんなさい。一松刑事には何も得られなかったと伝えておきます。本当にすみませんでした」錫はぺこんと頭を下げたが、舞子にはその仕草は見えない。
「素直な人ね、香神さんは…。錫さんって呼んでもいいかしら?それに敬語も止しましょう…」
「もちろん!私も堅苦しいのは好きじゃないし…」錫は舞子からそんなふうに言ってもらえたことが嬉しかった。
「それじゃ…改めて話をするわ。私の祖父は朱雀建設の創始者だったの…」
「朱雀建設って…私でも聞いたことがあるわ。かなり大きな会社よね…?」
「えぇ…でも一人息子だった私の父は〝絶対に会社は継ぎたくない。自分一人で父さんに負けないような会社を建てる〟といって家を飛び出し、同じ畑で父を追い越そうとしていたの…。だけど母は私たちを産むと間もなく亡くなり、父も工事現場で仕事をしている最中、不慮の事故で亡くなった…。私たちは祖父母に引き取られ、何不自由なく暮らしていた。けれど私の霊力を知っていた祖父は、私にイタコになれと言ったのよ…。けど悪い気はしなかった。私に最も適した仕事を選んでくれたと思ったわ」
「…でも私は違った。お姉ちゃんだけ重い荷物を背負わされている気がして…」
「葉子は〝お姉ちゃんだけ苦労させるわけにはいかない──自分もイタコになる〟と言いだすありさま。説得するのに苦労したわ…ふふっ──ね?」
「だって…あまりにも可哀想で…」思い出しただけで葉子は涙を浮かべた。
「祖父は温かい人だった。私の将来のことを本気で心配して友人にも相談してくれていたの…」
「舞子さんのことを友人にも?」
「うん…結局その方がイタコにさせたらどうかってアドバイスしてくれたのよ…。祖父もイタコと聞いて悩んだかもしれない──けど結局私には天職だった。妹が帰って来いと言ってくれてその気になったのは、もう恐山でなくてもこの仕事が出来ると思ったからよ…」錫は舞子をイタコにさせた友人に興味を持った。
「…舞子さんをイタコにさせた人ってどんな人かしら…。実はね…私のおじいちゃんはゴミソだったの」舞子はそれを聞いて驚いた。
「えっ!?ゴ、ゴミソ?私たちとは根本的に違うけど魅力は感じるていたわ…。そうだったの…錫さんのおじい様はゴミソ…」
「うん、香神虎……私の自慢のおじいちゃんの名前!」
「ゴミソのおじい様かぁ……是非お会いしたいわ」
「………亡くなったの。私が中学の時に…」
「あっ…ごめんなさい……私、軽はずみなことを言ったようね…」
「そんなこと気にしないでいいよ……普通の会話だよ!それより舞子さんのおじいさんの友人に会ってみたいわ…」
「残念ながらその方も亡くなっているの…」。「あっ!ごめんなさい…」
「ふふっ…これでお互い様ね…」。「そうだね…きゃはは…」
「祖父は頑固な人だったけど優しかった。それに仕事には絶対の自信を持っていて、少々のことでは譲らなかった。でも、私の霊感のことはまったく理解できなかったみたい。だからその友人を頼りにしていたの。祖父をそこまで信頼させ、言いなりにさせる人なんて他にいなかったわ…。だから会ってみたかった…」
「一枚だけ写真があるけど、お姉ちゃんにはね…」葉子が横から呟いた。
「えっ、写真があるの?」
「えぇ…その飾り棚に…」葉子はそう言って目的の写真を手に取ると錫に渡した。
「右が祖父です。そして左側が祖父の友人です」。
「……………………こ、これが…!?」写真を持つ錫の手に思わず力が入った。
「…どうかした錫さん?」舞子は雰囲気で錫の様子の変化を感じ取った。「もしかして私の祖父を知っているの?」
「…ううん……でも…その友人が…………………そ、そっくりで…」
「…?祖父の友人が誰かとそっくりなの?」
錫は“じぃ──っ”と写真を見つめてから言った「やっぱり…この友人…おじいちゃんにそっくり…」
けれど、その言葉を否定するように舞子がきっぱりと言った。「錫さん…残念だけどその人は香神虎という名前の人ではないの…」
「……そ、そうよね…。そうだよね──他人の空似だね…」錫は気が抜けた。
「そのご友人はね────天登虎ノ門さんという人なの!」
「あ、あ……あああまの…ぼり……」錫は写真を見つめて口をパクパクさせていた──。