時は来たれり
「趣味か。……特にないな」
ファビアーノは少し考えたが、何も見つからずにあっさりとした口調でそう答える。国王である彼に、自由な時間はあまりない。強いて言うなら仕事か、などと冗談めかして言ってから、同じ質問をアイリに投げかける。
「アイリは何が好きだ?」
「私は乗馬が好きですわ」
「それはいい。今度馬を与えよう」
気軽にそう言われて、アイリは恐縮してしまう。ねだったつもりでは無かったのに、と。しかしファビアーノはそれを一笑に付し、早速どんな馬がいいかと聞いてくる。
その様子が本当に少年のようで、アイリは笑みを浮かべた。そして気が付けば、会話が弾んでいるのだ。宴が終わり、舞踏会が始まっても二人は会話を続けている。
仲睦まじい事だ、これなら心配いらないだろう、という周囲の者達の視線も、アイリは気が付かなかった。
しかしそれは、その時が来るまでの事。
二人でのダンスを終え、皆が躍る様子を眺めていた時の事。アイリの隣で、従者に耳打ちされたファビアーノが立ち上がった。
それが合図だ。
舞踏会は唐突に静まり返り、皆が頭を下げて瑪瑙の宮への扉を潜るファビアーノを見送った。次いでアイリが別の侍従に促され、ファビアーノとは反対の扉から部屋を出る。
アイリはまず、白銀の宮で祈りを捧げてから、玻璃の宮を通り、ファビアーノの待つ瑪瑙の宮へ向かうのだ。
白銀の宮へと向かう渡り廊下は静かで、先ほどまでの賑やかな宴が嘘のようだった。侍従に先導されるまま白銀の宮へ足を踏み入れると、一面に星屑をちりばめたような壁画がアイリを優しく迎え入れた。
その中央に佇む女神像に祈りを捧げ、今度は反対側の扉から出て玻璃の宮へと渡る。王の政務でしか使わないこの宮も、同じように静まり返っている。
アイリの瞳と同じ、淡青色の壁紙の貼られた廊下を通り過ぎ、瑪瑙の宮への渡り廊下へと足を進めて行く。
瑪瑙の宮が近づくにつれて、アイリの足は重くなる。それでも逃げ切れるわけでは無い。一歩一歩、その時に近づいて行く。
王妃の控えの間に着くと、そこでは侍女たちが準備万端に待ち構えており、アイリはあっという間に支度を整えられる。そして侍女の持つ淡い蝋燭の光を頼りに、その場所へと向かった。
そうして、ようやく着いた、とアイリが感じたファビアーノの私室の前で、恭しく侍女たちが下がっていく。
アイリは深呼吸をすると、まるで戦にでも行くかのような顔で、ゆっくりと扉を開けた――――。