花開く頃
侍女たちがそんな会話をしていた頃、アイリとファビアーノは他愛もない会話をしていた。
「……もう、お戻りになるのですか?」
しばらくして、おもむろに立ち上がったファビアーノに対し、名残を惜しむようにアイリは言った。
無意識だろうか。ファビアーノの服の裾を、軽く摘まむようにして持っている。もう少し一緒にいてほしい、という意思表示に他ならないが、さすがにファビアーノは苦笑した。
掴まれた裾からそっと手を離して、両手で優しく包み込むようにする。互いに同じ思いと知っては、後ろ髪を引かれる思いのファビアーノだが、今日はそうも言ってられないのである。
「もう少し休め。湖に落ちたんだぞ」
「ですが、もう元気です。心配し過ぎですわ。このままご一緒に瑪瑙の宮へ向かっても構わないくらい元気です」
不満そうなアイリに、再び苦笑するファビアーノ。中々に大胆な発言だという事に、果たして気が付いているのだろうか、と。王妃が瑪瑙の宮へ向かう意味は、本来一つしか無いのだから。
アイリの発言が夫を癒したい妻としての物かはともかく、ファビアーノとてもちろん、もっとアイリと長く一緒にいたいと思っている。しかしアイリは病み上がりだ。今後のためにも、ゆっくりと静養して欲しいという気持ちが勝った。
「いや。さすがに今日は止めておく」
「今日、は?」
今日、も、ではないのか、と言外に問う。
「私では不満ですか?」
珍しく少し怒ったような口調で言ったアイリの台詞に、少なからずファビアーノは驚いた。アイリがそんな事を言うとは、夢にも思っていなかったのだ。
言った本人も驚いていたが、発言を翻す事は出来ない。そのつもりも無かった。とっくに、心の準備は出来ている。ファビアーノへの思いを自覚した日から、待ち望んでいた。
訴えかけるような瞳にファビアーノは苦笑して、アイリの手の甲にキスを落とす。これは不安にさせていた事への謝罪と、今後はそんな真似はしないという誓いの為に。ちいさな音を立てて離すと、アイリに柔らかな笑みを向けながら言った。
「そうじゃなくて、少し時間が必要だろうと思っていたんだ。初めての夜にあんな泣きそうな顔をしていたら、誰でもそう思うだろう」
「そんな顔を、私はしていましたか?」
「気が付いていなかったのか」
「はい。まったく」
「まあいい。明日の夕刻に使いを出す。いいか?」
「……はい。お待ち申しあげておりますわ」
花が綻ぶように笑って、アイリはファビアーノを見送ったのだった。