すべて事もなし
「あの時見た笑顔を、俺にも向けて欲しくて」
その言葉に顔を上げたアイリを、ファビアーノは静かに見つめる。あの舞踏会の夜、美しい灰金色の髪に目を奪われ、無邪気な輝かしい笑顔に心を奪われた。最初から決められていたマリッカと、押しに負けて輿入れさせてしまったオネルヴァと違って、ファビアーノが初めて自らの意思で選んだ女性だ。
次第に心を開いてくれている様子に、喜びを感じない筈が無い。今も、白い頬が僅かに色づいたその意味に、期待しない筈が無い。ファビアーノにとってアイリと過ごす日々はすべて、大事にしたいと思えるものだった。
「きっかけは髪色なのは事実だから、それについては謝りたい。だが結果的には、それで良かったと思っている」
「……何故ですか?」
目を丸くしているアイリに微笑みながら、ファビアーノはベッドに腰を移した。必然的に距離が近くなったせいか、さらに頬を染めて目を丸くしたアイリの肩を、そっと抱き寄せる。
華奢な肩を抱きながら、改めてアイリが無事だった事をファビアーノは感謝した。もしもの時を思うと、今でも背筋に寒気が走る。あんな思いはもう二度と御免だと思いながら、アイリに問いの答えを返すために口を開く。
「運命の相手を逃がすところだっただろう」
我ながら恥ずかしいセリフだなとファビアーノが考えている中、アイリはそっと目を閉じると、ファビアーノの腰に手を回して広いその胸に顔を埋める。その温もりが自分を癒してくれることを、アイリは知っていた。
ファビアーノが息をのんだが、アイリはしばらくそのまま動かない。自分は、ずっとこうして触れたかったのだ。ファビアーノを、愛しているからこそ。アイリはそれに気がついて、くすぐったいような気持ちになる。
ふとした瞬間にエヴァルドの事を考え、感傷に浸っていたあの頃の自分を、今の自分なら笑う事が出来ると思った。あなたの幸せはそこには無いのよ、と。勇気を出しなさい、と叱る事だろう。
やがてアイリは小さく笑いながら、ぽつりと口を開いた。
「陛下。あなたにそんな風に言っていただける私は、きっと幸せ者ですね。ありがとうございます。陛下のおかげで、私は愛を知りました」
今ならば、誰に対しても胸を張ってそう言える。そんな自信に満ち溢れたようなアイリの思いが伝わったのか、ファビアーノは楽し気に笑った。
「大袈裟だな」
「陛下こそ」
寝室に、二人の笑い声が響く。
そんな二人の会話を、侍女たちがこっそり聞いていたなどとは、知る由もないのだった。




