珊瑚の宮へ
レトニア国の宮殿は、庁舎にぐるりを囲まれた、七つの建物からなっている。
一つしかない堅牢な門を潜ってすぐにあるのが、式典や謁見を行う黄金の宮。先ほど、アイリが王との対面を果たした場所である。
その奥に、王が政務を行う玻璃の宮。この二つの宮を挟むようにして、西側には王と王族の居住空間である瑪瑙の宮が、東側には神を奉った白銀の宮がある。
これらの建物はすべて渡り廊下で繋がれており、自由に行き来ができた。
そして、王妃たちの住まう後宮は、庭園を挟んで、北に真珠の宮、東に珊瑚の宮、西に瑠璃の宮が離れて建つ。
それぞれ独立した建物であるのは、三人までなら王妃を持てるこの国において、彼女らがむやみに争わないように、との配慮からだった。
とはいえ、実際問題、過去には壮絶な争いを繰り広げたとも言うから、無駄な配慮かもしれないが……。
珊瑚の宮はその名の通り、珊瑚色の壁が特徴的な建物だ。三階建てで、一階に炊事場、食堂、談話室などの団欒スペース。二階は侍女たちの私室と寝室、三階は王妃の私室と寝室となっている。
国王は、午後のお茶の時間などに一階の談話室を訪れる事もあるが、夜は瑪瑙の宮で休む。王妃と夜を共にする時も瑪瑙の宮へ呼び出すので、実質王妃が一人になれるとすれば三階だけ。そのため国王も王妃を気遣い、後宮を訪れる事自体は可能でも、三階に入るのは遠慮していた。
まず談話室に入ったアイリは、美しい部屋の調度品や景色を見るのもそこそこに、深いため息と共に沈むようにしてソファに座り込んだ。
侍女たちが続々と荷物を運び入れる様子を、ただただぼんやりと眺めている。きっと今鏡を見たら、呆けた自分が見返すに違いない。
「お嬢様。大丈夫ですか。お疲れなのでしょう。今日は早めに休みましょうね」
そんなアイリを、やんわりとした口調でそう気遣うのは、古くからザヴィカンナス家に仕え、アイリの乳母でもあるミーナであった。
身長は低めだがふっくらした体型で、見るからに包容力のありそうな女性である。そんなミーナの白いものが混じり始めた黒髪も、今のアイリにとっては羨ましいものだ。
幼い頃のアイリは、母親譲りの自分の髪色が大嫌いだった。父親の茶髪の要素が一切なく、兄弟の中で唯一、アイリに受け継がれたその灰金髪。どうして兄弟なのに自分だけ、と両親を困らせた事もあった。
これを変えてくれたのは、元婚約者のエヴァルドである。国王ファビアーノの異母弟であり、自分の義理の弟になってしまった人。彼と家族になるのは、こんな形では無かったはずなのに。
しかし、彼が美しいと言ってくれたおかげで、やっと好きになれていたこの髪が、今は忌々しい。いっそ切り落としてしまいたいが、そんな事をしても意味は無いと分かっていた。